Interview 01_ 2002年12月オーストラリアから、主に「千年女優」に関するインタビュー

1.「千年女優」における千代子の思い出は、実際の歴史の出来事や現実よりもより鮮やかで意味を持っているという印象を受けました。「MEMORIES/ 彼女の思い出」から「パーフェクトブルー」、そして「千年女優」と、思い出と直感、イマジネーションと実際の世界との境界線を曖昧にさせるというテーマ性 が統一されているように感じました。そのテーマに惹かれる理由をお聞かせください。

過度なほどに合理性を求める価値観にうんざりしてきた、といえるかもしれません。近代西洋合理主義的な態度で対象物を切り分けて分析し、規範に従って「正し いか正しくないか」といった判断やそれらの積み重ねによって形成された価値観が現状を支配していると思います。もちろん「規範」自体も現在は大きく揺らい でいると思いますが、それでも過度な合理性が支配的ですし、自分と自分を取りまく世界の認識もそれに大きく支配されていると思います。
私が興味を持つ対象は、そうした合理精神からはみ出した部分なのでしょう。
たとえば私はこうしてメールインタビューに答えてキーボードを叩いています。
「今敏が東京、阿佐ヶ谷にある仕事場でテキストを打っている」、これは他人も共有しうる客観的な事実です。しかし私の頭の中では質問への答えを考えている と同時に、他の仕事のことを考える瞬間があったり、まったく別なイメージが浮かんでくることもあります。
このインタビューはオーストラリアから届けられたものですから、オーストラリアというイメージから頭の片隅では色々な連想が生まれ、テレビや映画で見た オーストラリアの自然や風物などがイメージとして浮かんできます。オーストラリアには小学校の同級生が住んでいるので、彼女の小学生時代の顔や姿も浮かん で来ますし、その繋がりで自分が通った小学校や当時住んでいたアパートのイメージも浮かんできて……というように連想は次々と生まれてきます。
インタビューとは一見無関係なそうしたイメージや思考をも含めて、このテキストは成り立っている。なので、まったく同じ質問を別な人から別な日に受ければ、また少し違ったものになるでしょう。
これは私の考えが一貫していない、ということではありません。論理的な考えは大きく変わらずとも、その場その時における偶然に立脚した一回性の出会いというものを大事にしているのです。
ともかく「今 敏が東京、阿佐ヶ谷にある仕事場でテキストを打っている」のと同時に、私の頭の中では隔たった場所や時間のイメージが生起している。それが私が経験している現在です。
そうした多元的なイメージの把握こそが真実だといっても良いと思いますし、私の描きたいのはそういうことなのです。描きたいのは事実ではなく真実です。
なので御質問にある「境界線を曖昧にさせるというテーマ性」という言い方はあまり正しくないかもしれません。そうした境界線は人間が便宜上設定したもの で、自分と自分を取り巻く世界を認識する在り方はもっと多元的なものであり、実は元来曖昧なものなのだと思います。私がそうしたテーマに惹かれるのは、そ うした在り方を回復したいからなのかもしれません。

2.またもう一つのテーマ性として「パーフェクトブルー」と「千年女優」の両作品中、スターと崇拝者、オタクとアイコンの関係を描いています。このテーマ性についてお話ください。

「パーフェクトブルー」の場合は、元来私の企画ではありませんし、監督のオファーが来た時点ですでに内容は「B級アイドルと変態のファン」という設定が決まっていました。
「千年女優」の場合は、オリジナル作品ということもあるでしょうが、私と私の理想の作品という関係がはっきりと投影されていると思います。
私が追い求め続けるであろう理想の作品は、決して私には手の届かないものだと思っています。これは悲観ではありません。
作品を作っている最中にも作り手である私自身は変化しています。アイディアを思いついた時点で理想としたイメージに日々近づいていると同時に、イメージ自体も私の変化に伴って育って行きます。ですから決して追いつくことはない、ということです。
追いつくことはないかもしれないけれど、それを追い求める態度こそが大事であるという私の価値観が反映しているのだと思います。
「MEMORIES/彼女の想いで」、「パーフェクトブルー」そして「千年女優」と、スター・芸能人を扱う結果になっています。これは必ずしも私の意図ではなかったとはいえ、私にとっては興味深い対象だったと思います。
彼らは、ある意味、現代の神話における神々、あるいはおとぎ話の主人公のように思えます。これは精神分析家の岸田秀氏が指摘していることですが、彼等は、 一般市民が経験できないような世界や一般では許されないような不道徳なことをも体験して、それが逆に魅力にすらなっている。ご存知の通り、神話には神々の 不道徳な行為が多く描かれています。
現代では神話が失われてしまっているように見えますが、実は人々が求める神話性を生きているのが、彼等芸能界の人々じゃないのかと思えます。そうした現代の神話と、私自身が現代版おとぎ話を描きたいという欲求が響き合ったのかとも思います。

3.監督の映画では情熱的で一途な女性(ある意味ペテン師的な)が出てきます。ただ他のアニメ作品の一般的な描写より、感情豊かで心理的にも細かい人物描写をされていると思います。なぜ男性の精神より女性の精神を描くことに興味をお持ちなのですか?

非常に現実的な側面では、アニメファンには若い女性キャラクターが受け入れられやすいという事情が大きく手伝っているのも事実です(笑)
私自身女性が大好きですしね。
表現者の部分で真面目にお答えしますと、男性主人公を描くとなると私自身が男性なものですから、嫌な面やずるい面や弱い面や汚い面やスケベな面などが見えすぎてしまって、物語の担い手としてあまり相応しくない主人公になってしまいそうです。
なので女性の方が幻想を投影しやすいのかもしれません。

4.「千年女優」で、千代子は素晴らしいキャリアを持った女性にも関わらず、自分の運命をコントロールできない、または自分の欲望をかなえるような理解を得られません。これは日本の社会では結婚をした女性の一般的な扱いなのでしょうか?

一概には言えないでしょうし、私も結婚という形態をそれほど悲観的に見ているわけではありません。千代子のような魂の欲求が強い人間には、社会との折り合 いが付かないことが多いでしょう。私自身あまり上手に社会生活を送れていると思いませんしね(笑)。自分のそうした部分が投影されているのでしょう。

5.日本のみならず、西洋での「パーフェクトブルー」と「千年女優」の好意的な反応についてどう思われますか?二作目を製作する際に観客がどう反応するか心配になられたことはありますか?

「パーフェクトブルー」が世界でも注目されたのは意外という他ありませんでした。
この作品は元来ビデオアニメーションとして作られたものですし、狭い市場で少し話題になって消えて行くのが関の山だと思っていたので、映画として公開され たこと自体が想定外でした。ましてや数多くの海外映画祭に招待されることなど夢にも思っていませんでした。
「パーフェクトブルー」での好意的な反応や評価に自信を得られたので、「千年女優」制作に際してはそれほど心配はしていませんでした。むしろ「パーフェク トブルー」の次回作ということで楽しみにしてくれている観客を、どう裏切るか(もちろん良い意味でですが)を考えるのが楽しいくらいでした。

6.「パーフェクトブルー」と「千年女優」の両作品で脚本家の村井さんとお仕事を一緒にされていますね。彼の仕事についてどう思われますか?

両作品とも物語の構成が複雑で、その複雑さこそが魅力であり、私のやりたかったことでもあります。村井氏も構成で見せるのが得意なライターだと思いますの で、作品にはまっていたと思いますし、彼と私とでなければ両作品における複雑に絡み合ったシナリオは出来なかったと思います。
ただ村井氏にしても私にしても、人物描写というかキャラクターに対する愛着が薄い方で、「千年女優」の千代子のような欲求が強い人物を描くには少しエネル ギーが足りなかったかもしれません。ただ、千代子というキャラクターは生身の人間というより、昔話の主人公のような象徴的な意味合いが強いイメージでした ので、むしろあのくらいで良かったとは思っています。押しつけがましいキャラクター描写ほど嫌いなものはありませんので。

7.「千年女優」では千代子の思い出を数々の印象的な歴史の出来事の中で反映させているのと同時に、日本という国の思い出を浮き彫りにできる映画の力を上手く表現しているように思いました。
監督が影響を受けた日本の監督や西洋の監督、または映画について教えていただけますか?

あまりに多くの映画や監督に影響を受けているのでとても手短には言えません。
直接私の監督作品にまつわるようなものに限ってお答えしたいと思います。
「パーフェクトブルー」や「千年女優」において描きたかった「普通と違う時間感覚」、「主観による時間」という言い方が出来ると思いますが、これはジョージ・ロイ・ヒル監督の「スローターハウス5」に触発された面が大きいと思います。
本人の中では、現在も未来も過去も同時にあるという感覚、そしてそれを具体化し得た映像表現は大変素晴らしいと思います。
夢と現実の混交、という面ではテリー・ギリアム監督に大きく触発されていると思います。「バンデットQ」「未来世紀ブラジル」「バロン」の3本が素晴らしい。その後の作品には刺激を感じないのですが。
この3本は基本的に同じ題材を言い方を変えて描いていると思うのですが、特に「バロン」は人間の想像力の豊かさを再認識させてくれる傑作だと思います。映 画としての出来については色々な批判もありうると思いますが、そうした問題は些細なことだと思いますし、現代社会において死に瀕している想像力というもの に再生の光をすら投げかけている映画として私は大好きな一本です。
ジャン・ジュネ監督の「デリカテッセン」「ロストチルドレン」も素晴らしいですね。特に「ロストチルドレン」は非常に素晴らしい。想像力を刺激されます。

日本の映画監督、特に黒澤明監督には多くのことを学んだと思いますが、私が自分なりの映画の文法を身に付ける上で、多く参考にしたのは海外、とりわけアメ リカ映画です。ある種、明解すぎるほどのアメリカ映画の文法を参考にしてきたにもかかわらず、私の描く映画世界は現実と夢の混交や時間の曖昧さといった、 実は非常にアジア的なものになっているのが自分でも面白いと思います。

8.あるインタビュー中、監督が「日本は第二次大戦で敗戦した後、自国の歴史や文化から切り離されている」というお話をされているのを拝読しました。このことをもう少しお話していただけますか?

敗戦によって多くの日本人自身が「日本はダメな国」「間違っていた国」だと思ったのではないかと思います。もちろん戦争に関しては何から何までダメな国だったと思います。
しかしだからといって日本の全てがダメなわけもなく、歴史にしろ文化にしろいい面はたくさんあったはずなのですが、戦争に負けた「ダメな国」を払拭しよう として、折角あったいい面までも「西洋に比べれば見劣りがするもの」という見方をしてしまったのではないかと思います。何しろ西洋、特にアメリカを手本に してそれに追いつくことが「正しいこと」のように刷り込まれてきたように思います。私自身そういう教育の下に育ってきました。
日本の歴史的文化的遺産も、日本人である自分との直接の関係で見るより、もしかしたら日本人の上に西洋人の仮面を被って見るような、歪な接し方をしていた かもしれないとすら思えてきます。そう、まるで畳の上にジュータンを敷いて椅子で生活しているような。
そうした間接的な接し方ではなく、日本人直接の視線で自国を見られるようでありたいと思うのです。そういう意味で私にとって「千年女優」は自国の文化を積極的に意識し、コミットする絶好の機会になったと思います。

9.現代的な舞台設定や考え方にも拘わらず、監督の映画は寓話的な要素があると思いました。監督自身、物語を考える時日本の昔話に影響を受けていると思いますか?また監督は日本と西洋の昔話の違いや物語の語り方に違いがあると思いますか?

そういう風に見てもらうのは嬉しいですね。
特に「千年女優」は昔話的な要素を意図的に盛り込んだつもりです。リアルなドラマや人物描写より、エッセンスを切り取るような単純化されたものが好きで す。もちろん人物やエピソードの意味を一度単純化した上で、そこに説得力を持たせるためのリアリティのある描写を心がけていますが。
また「千年女優」は日本の昔話である「竹取物語」を意識してもいます。竹から生まれた“かぐや姫”が権力者たちの求婚に無理難題で応え、最後には帝まで袖 にして故郷の月へ帰る、というお話です。老千代子の山荘へ向かう途中に竹林があるのはそういうイメージがあるからで、月へまでも走るというのもそうです。 千代子は“月さえも越えて行くかぐや姫”というイメージでした。
日本と西洋の昔話の違いは大いにあると思いますが、それについて書き始めると膨大な量になりそうですし、詳しく語れるほどの知識があるわけでもありませんので、印象的な違いを一つだけ挙げます。
西洋の昔話では主人公が多くの苦難の末に美女と結ばれてハッピーエンド、というパターンが多いようですが、日本の昔話には少ないですね。むしろかぐや姫のように異界から来た女が去って行って終わる、というパターンが多いように思います。
それと昔話ではありませんが、旧約聖書などでは罰として人間に「労働」が課せられたのとは対照的に、日本の神話では天上界の神々が率先して労働(農業)を しており、働くことには聖なる神事という面があるとなっている。なので西洋人がワーカホリックと呼ぶ病に、私はむしろ自信とプライドを持っています。

10. 「パーフェクトブルー」はもともと実写の映画にする予定がアニメーションに変更したと伺いました。今監督の作品はスペシャル・エフェクトを使えば実写映画 にもあるように同じような感じました。マンガとしてのあなたの仕事と違うセルに描かれるアニメーションは違うと思われますか?また監督の描くイメージの表 現するにあたってアニメーションのどこが一番適している部分だと思いますか?また物語を語るに当たって実写を撮った方が自分のイメージを表現するに当たっ ていいと思いませんか?

「パーフェクトブルー」に実写化の予定があったというのは、作品が完成後にたまたま耳にしましたが、それは私の関知するところではありません。私に監督の オファーが来たときには「オリジナルビデオアニメーション」という企画でした。私はいまでも「パーフェクトブルー」はビデオアニメだと思っています。ビデ オアニメとして作ったのですから。
また私の作品が実写でも作りうる、とのことですが、私はそうは思いません。もちろん単純な意味で実写に置き換えられるかといえば、それは可能だと思います が、そういう表面的な見方は映画制作をよく知らないかアニメに無知か、なのではないでしょうか。
私は実写を撮りたいと思ったことはありませんし、撮ることに憧れてもいません。アニメがもっとも気に入った表現方法です。現在は漫画よりもはるかに面白い と思って作っています。漫画は漫画の良さがありますが、動きと色によって視覚に訴え、言葉と効果音と音楽で聴覚に訴えられるアニメーションの表現の幅は非 常に大きい。しかもそれらの相乗効果はそれ以上に大きい。
絵描きの私にとって、アニメーションはコントロールもしやすいですし、私の意図も表現しやすい。少なくとも下手くそな役者に幻滅することは避けられます (笑)。実写では役者が下手だからといって、監督が替わりに演じるわけにはいかないでしょうからね。
それは半分冗談ですが、私は実写という表現手段を使ったことがないのでよく分からないですし、漫画にしろアニメーションにしろ絵を媒介にした表現手段が一 番適していると思います。よく知りもしない表現手段を自分の思うようになるまで修得する時間が勿体ないということもあります。何しろ私がいまの絵を描ける ようになるまで30年以上かかっているのですからね。私はその技術に自信とプライドを持っていますし、その技術があるからこそアニメーションを作っている のです。
インタビュー(特に海外)の度に毎回毎回「実写を撮るつもりはないのか」と聞かれるのですが、この質問の背景にはやはり「実写はアニメより上のもの」とい うつまらない考えがあるようですね。確かに世の中のほとんどの人がそう思っているでしょうし、実写で表現した方がより多くの人間に見てもらう機会もあるの でしょう。
毎度毎度実写のことを聞かれるので、そんなに言うなら撮ってやろうかな、という気さえしてきました(笑)。あまり本気ではありませんが、実写向きのアイ ディア(アニメには向かず、なおかつ低予算でも撮れるような、という意味ですが)を思いついたので、シナリオにしようかとは思っています。いつになるか分 かりませんが。

11.監督の大人向けの素材を物語に入れることは今までのアニメの物語と違い画期的なことだと思いました。それは意識的に観客に挑戦していることなのでしょうか?

私の作品が大人向けかどうか、また私の作品が画期的かどうかは他人が判断することですが、私が作品を作る上での基本的な態度は「何より私が見たいと思う作 品を作る」ということですので、私が大人になった分だけ作品も子供向けではないものになるのでしょう。
観客への挑戦という意識はあまりないですね。
ただ「分からない人に無理してでも分かってもらおう」などという過剰な親切は持ち合わせていないので、商業主義の過剰なサービスに馴らされた人には挑戦的 に見えるかもしれませんが。そういう人はボックスオフィスだけ気にしていれば良いのです。もちろん私も自分の作品をより多くの人に見てもらいたいと思いま すし、興行的な成功を望んでいますが、そのために作品が歪むほど自分の制作態度を曲げる気はありません。

12.新作の「東京ゴッドファーザーズ」についてお話ください。またそのテーマについても教えていただけますか?

テーマは完成した映画を見なければ感じることは出来ません。言葉にしきれるテーマなら映像にはしません。
ストーリーは単純です。東京、新宿に暮らす3人のホームレスがクリスマスの夜にゴミ捨て場で赤ん坊を拾い、何とかその赤ん坊を親元へ返そうと東京都内を探して歩く、というものです。コメディです。
主役の3人はそれぞれ、中年のオッサン、家出少女、中年のオカマ。
彼らは血は繋がっていませんが、まるで家族のように暮らしている。赤ん坊の親を捜す道中、赤ん坊がきっかけとなってもたらされる奇跡のような偶然によって、彼らそれぞれが失ってきてしまった本来の家族との繋がりを回復して行く、という物語です。
ホームレスは言葉通り、家がないということですが、この作品においては単に“家”を失った人というだけではなく“家族”を失った人、という意味で捉えています。失った家族を回復する物語といって良いです。
重要なモチーフとなるのは「家族」と「偶然」です。「東京ゴッドファーザーズ」ではこれまで2作とは違い、劇中劇や夢と現実の揺らぎといった仕掛けはあり ませんが、やはり客観的な現実とは別の流れを大切にしている作品ですので、目の肥えた方ならばそうした多元的な物語世界を楽しめると思います。
完成は2003年春の予定で、公開はまだ未定です。

さようなら

忘れもしない今年の5月18日。
武蔵野赤十字病院、循環器科の医師から次のような宣告を受けた。
「膵臓ガン末期、骨の随所に転移あり。余命長くて半年」
妻と二人で聞いた。二人の腕だけでは受け止められないほど、唐突で理不尽な運命だった。
普段から心底思ってはいた。
「いつ死んでも仕方ない」
とはいえあまりに突然だった。

確かに兆候はあったと言えるかもしれない。その2〜3ヶ月前から背中の各所、脚の付け根などに強い痛みを感じ、右脚には力が入らなくなり、歩行にも大きく困難を生じ、鍼灸師やカイロプラクティックなどに通っていたのだが、改善されることはなく、MRIやPET-CTなどの精密機器で検査した結果、いきなりの余命宣告となった次第である。
気がつけば死がすぐ背後にいたようなもので、私にはどうにも手の打ちようもなかったのだ。

宣告の後、生き延びるための方法を妻と模索してきた。それこそ必死だ。
頼もしい友人や強力この上ない方の支援も得てきた。抗ガン剤は拒否し、世間一般とは少々異なる世界観を信じて生きようとした。「普通」を拒否するあたりが私らしくていいような気がした。どうせいつだって多数派に身の置き所なんかなかったように思う。医療についてだって同じだ。現代医療の主流派の裏にどんなカラクリがあるのかもあれこれ思い知った。
「自分の選んだ世界観で生き延びてやろうじゃないか!」
しかし。気力だけではままならないのは作品制作とご同様。
病状は確実に進行する日々だった。

一方私だって一社会人として世間一般の世界観も、半分くらいは受け入れて生きている。ちゃんと税金だって払ってるんだから。立派には縁遠いが歴とした日本社会のフルメンバーの1人だ。
だから生き延びるための私的世界観の準備とは別に、
「ちゃんと死ぬための用意」
にも手を回してきたつもりだ。全然ちゃんと出来なかったけど。
その一つが、信頼のおける二人の友人に協力してもらい、今 敏の持つ儚いとはいえ著作権などの管理を任せる会社を作ること。
もう一つは、たくさんはないが財産を円滑に家内に譲り渡せるように遺言書を作ることだった。無論遺産争いがこじれるようなことはないが、この世に残る妻の不安を一つでも取り除いてやりたいし、それがちょいと向こうに旅立つ私の安心に繋がるというもの。

手続きにまつわる、私や家内の苦手な事務処理や、下調べなどは素晴らしき友人の手によってスピーディに進めてもらった。
後日、肺炎による危篤状態の中で、朦朧としつつ遺言書に最後のサインをしたときは、とりあえず、これで死ぬのも仕方ないと思ったくらいだった。
「はぁ…やっと死ねる」
なにしろ、その二日前に救急で武蔵野赤十字に運ばれ、一日おいてまた救急で同じ病院へ運ばれた。さすがにここで入院して細かい検査となったわけだ。結果は肺炎の併発、胸水も相当溜まっている。医師にはっきり聞いたところ、答えは大変事務的で、ある意味ありがたかった。
「持って…一日二日……これを越えても今月いっぱいくらいでしょう」
聞きながら「天気予報みたいだな」と思ったが事態は切迫していた。
それが7月7日のこと。なかなか過酷な七夕だったことだよ。

ということで早速腹はきまった。
私は自宅で死にたい。
周囲の人間に対して最後の大迷惑になるかもしれないが、なんとしてでも自宅へ脱出する方法をあたってもらった。
妻の頑張りと、病院のあきらめたかのような態度でありつつも実は実に助かる協力、外部医院の甚大な支援、そして多くの天恵としか思えぬ偶然の数々。
あんなに上手く偶然や必然が隙間なくはまった様が現実にあるとは信じられないくらいだ。「東京ゴッドファーザーズ」じゃあるまいし。

妻が脱出の段取りに走り回る一方、私はと言えば、医師に対して「半日でも一日でも家にいられればまだ出来ることがあるんです!」と訴えた後は、陰気な病室で一人死を待ち受けていた。
寂しくはあったが考えていたのはこんなこと。
「死ぬってのも悪くないかもな」
理由が特にあるわけもなく、そうとでも思わないといられなかったのかもしれないが、気持ちは自分でもびっくりするほど穏やかだった。
ただ、一つだけどうしても気に入らない。
「この場所で死ぬのだけは嫌だなぁ…」
と、見ると壁のカレンダーから何か動き出して部屋に広がり始めるし。
「やれやれ…カレンダーから行列とはな。私の幻覚はちっとも個性的じゃないなぁ」
こんな時だって職業意識が働くものだと微笑ましく感じたが、全くこの時が一番死の世界に近寄っていたのかもしれない。本当に死を間近に感じた。
死の世界とシーツにくるまれながら、多くの人の尽力のおかげで奇跡的に武蔵野赤十字を脱出して、自宅に辿り付いた。
死ぬのもツライよ。
断っておくが、別に武蔵野赤十字への批判や嫌悪はないので、誤解なきよう。
ただ、私は自分の家に帰りたかっただけなのだ。
私が暮らしているあの家へ。

少しばかり驚いたのは、自宅の茶の間に運びこまれるとき、臨死体験でおなじみの「高所から自分が部屋に運ばれる姿を見る」なんていうオマケがついたことだった。
自分と自分を含む風景を、地上数メートルくらいからだろうか、ワイド気味のレンズで真俯瞰で見ていた。部屋中央のベッドの四角がやけに大きく印象的で、シーツにくるまれた自分がその四角に下ろされる。あんまり丁寧な感じじゃなかったが、文句は言うまい。

さて、あとは自宅で死を待つばかりのはずだった。
ところが。
肺炎の山を難なく越えてしまったらしい。
ありゃ?
ある意味、こう思った。
「死にそびれたか(笑)」
その後、死のことしか考えられなかった私は一度たしかに死んだように思う。朦朧とした意識の奥の方で「reborn」という言葉が何度か揺れた。
不思議なことに、その翌日再び気力が再起動した。
妻を始め、見舞いに来て気力を分け与えてくれた方々、応援してくれた友人、医師や看護師、ケアマネージャなど携わってくれている人すべてのおかげだと思う。本当に素直に心の底から。

生きる気力が再起動したからには、ぼんやりしているわけにはいかない。
エクストラで与えられたような命だと肝に命じて、大事に使わねばならない。
そこで現世に残した不義理を一つでも減らしたいと思った。
実はガンのことはごくごく身の回りの人間にしか伝えていなかった。両親にも知らせていなかったくらいだ。特に仕事上においては色々なしがらみがあり、言うに言えなかった。
インターネット上でガンの宣言をして、残りの人生を日々報告したい気持ちもあったのだが、今 敏の死が予定されることは、小さいとはいえ諸々影響が懸念されると思えたし、それがゆえに身近な知り合いにも不義理を重ねてしまっていた。まことに申し訳ない。

死ぬ前にせめて一度会って、一言でも挨拶したい人はたくさんいる。
家族や親戚、古くは小中学校からの友人や高校の同級生、大学で知り合った仲間、漫画の世界で出会い多くの刺激を交換した人たち、アニメの世界で机を並べ、一緒に酒を飲み、同じ作品で腕前を刺激しあい、楽しみも苦しみも分け合った多くの仲間たち、監督という立場のおかげで知り会えた数知れないほどたくさんの人びと、日本のみならず世界各地でファンだといってくれる人たちにも出会うことが出来た。ウェブを通じて知り合った友人もいる。

出来れば一目会いたい人はたくさんいるが(会いたくないのもいるけれど)、会えば「この人ともう会えなくなるんだな」という思いばかりが溜まっていきそうで、上手く死を迎えられなくなってしまいそうな気がした。回復されたとはいえ私に残る気力はわずかで、会うにはよほどの覚悟がいる。会いたい人ほど会うのがつらい。皮肉な話だ。
それに、骨への転移への影響で下半身が麻痺してほぼ寝たきりになり、痩せ細った姿を見られたくもなかった。多くの知り合いの中で元気な頃の今 敏を覚えていて欲しいと思った。
病状を知らせなかった親戚、あらゆる友人、すべての知人の皆さん、この場を借りて不義理をお詫びします。でも、今 敏のわがままも理解してやっていただきたい。
だって、「そういうやつ」だったでしょ、今 敏って。
顔を思い出せば、いい思い出と笑顔が思い起こされます。
みんな、本当にいい思い出をたくさんありがとう。
自分の生きた世界を愛している。
そう思えることそのものが幸せだ。

私の人生で出会った少なからぬ人たちは、肯定的否定的どちらであっても、やっぱり今 敏という人間の形成にはどこか必要だっただろうし、全ての出会いに感謝している。その結果が四十代半ばの早い死であったとしても、これはこれとして他ならぬ私の運命と受け止めている。いい思いだって随分させてもらったのだ。
いま死について思うのはこういうこと。
「残念としかいいようがないな」
本当に。

しかし、多くの不義理は仕方ないと諦めるにせよ、私がどうしても気に病んで仕方なかったことがある。
両親とマッドハウス丸山さんだ。
今 敏の本当の親と、アニメ監督の親。
遅くなったとはいえ、洗いざらい本当のことを告げる以外にない。
許しを乞いたいような気持ちだった。

自宅に見舞いに来てくれた丸山さんの顔を見た途端、流れ出る涙と情けない気持ちが止めどなかった。
「すいません、こんな姿になってしまいました…」
丸山さんは何も言わず、顔を振り両手を握ってくれた。
感謝の気持ちでいっぱいになった。
怒涛のように、この人と仕事が出来たことへの感謝なんて言葉ではいえないほどの歓喜が押し寄せた。大袈裟な表現に聞こえるかもしれないが、そうとしか言いようがない。
勝手かもしれないが一挙に赦された思いがした。

一番の心残りは映画「夢みる機械」のことだ。
映画そのものも勿論、参加してくれているスタッフのことも気がかりで仕方ない。だって、下手をすればこれまでに血道をあげて描いて来たカットたちが誰の目にも触れない可能性が十分以上にあるのだ。
何せ今 敏が原作、脚本、キャラクターと世界観設定、絵コンテ、音楽イメージ…ありとあらゆるイメージソースを抱え込んでいるのだ。
もちろん、作画監督、美術監督はじめ、多くのスタッフと共有していることもたくさんあるが、基本的には今 敏でなければ分からない、作れないことばかりの内容だ。そう仕向けたのは私の責任と言われればそれまでだが、私の方から世界観を共有するために少なからぬ努力はして来たつもりだ。だが、こうとなっては不徳のいたすところだけが骨に響いて軋んだ痛みを上げる。
スタッフのみんなにはまことに申し訳ないと思う。
けれど少しは理解もしてやって欲しい。
だって、今 敏って「そういうやつ」で、だからこそ多少なりとも他とはちょっと違うヘンナモノを凝縮したアニメを作り得てきたとも言えるんだから。
かなり傲慢な物言いかもしれないが、ガンに免じて許してやってくれ。

私も漫然と死を待っていたわけでなく、今 敏亡き後も何とか作品が存続するべく、ない頭を捻って来た。しかしそれも浅知恵。
丸山さんに「夢みる機械」の懸念を伝えると、
「大丈夫。なんとでもするから心配ない」
とのこと。
泣けた。
もう号泣。
これまでの映画制作においても予算においても不義理ばかり重ねて来て、でも結局はいつだって丸山さんに何とかしてもらって来た。
今回も同じだ。私も進歩がない。
丸山さんとはたっぷり話をする時間が持てた。おかげで、今 敏の才能や技術がいまの業界においてかなり貴重なものであることを少しだけ実感させてもらった。
才能が惜しい。何とかおいていってもらいたい。
何しろザ・マッドハウス丸山さんが仰るのだから多少の自信を土産に冥途に行けるというものだ。
確かに他人に言われるまでもなく、変な発想や細かい描写の技術がこのまま失われるのは単純に勿体ないと思うが、いた仕方ない。
それらを世間に出す機会を与えてくれた丸山さんには心から感謝している。本当にありがとうございました。
今 敏はアニメーション監督としても幸せ者でした。

両親に告げるのは本当に切なかった。
本当なら、まだ身体の自由がきくうちに札幌に住む両親にガンの報告に行くつもりだったが、病気の進行は悔しいほど韋駄天で、結局、死に一番近づいた病室から唐突極まりない電話をすることになってしまった。
「オレ、膵臓ガン末期でもうすぐ死ぬから。お父さんとお母さんの子供に生まれて来て本当に良かった。ありがとう」
突然聞かされた方は溜まったものではないだろうが、何せその時はもう死ぬという予感に包まれていたのだ。

それが自宅に帰り、肺炎の危篤を何とか越えて来た頃。
一大決心をして親に会うことにした。
両親だって会いたがっていた。
しかし会えば辛いし、会う気力もなかったのだが、どうしても一目親の顔を見たくなった。直接、この世に産んでもらった感謝を伝えたかった。
私は本当に幸せだった。
ちょっと他の人より生き急いでしまったのは、妻にも両親にも、私が好きな人たちみんなに申し訳ないけれど。
私のわがままにすぐ対応してくれて、翌日には札幌から両親が自宅についた。
寝たきりとなった私を一目見るなり母が言った言葉が忘れられない。
「ごめんねぇ!丈夫に産んでやれなくて!」
何も言えなかった。

両親とは短い間しか過ごさなかったが、それで十分だった。
顔を見れば、それですべてわかるような気がしたし、実際そうだった。

ありがとう、お父さん、お母さん。
二人の間の子供としてこの世に生を受けたことが何よりの幸せでした。
数えきれないほどの思い出と感謝で胸がいっぱいになります。
幸せそのものも大事だけれど、幸せを感じる力を育ててもらったことに感謝してもしきれません。
本当にありがとうございました。

親に先立つのはあまりに親不孝だが、この十数年の間、アニメーション監督として自分の好きに腕を振るい、目標を達成し、評価もそれなりに得た。あまり売れなかったのはちょいと残念だが、分相応だと思っている。
特にこの十数年、他人の何倍かの密度で生きていたように思うし、両親も私の胸のうちを分かってくれていたことだろう。

両親と丸山さんに直接話が出来たことで、肩の荷が下りたように思う。

最後に、誰よりも気がかりで、けれど最後まで頼りになってくれた妻へ。
あの余命宣告以来何度も二人で涙にくれた。お互い、身体的にも精神的にも過酷な毎日だった。言葉にすることなんて出来ないくらい。
でも、そんなしんどくも切ない日々を何とか越えて来られたのは、あの宣告後すぐに言ってくれた力強い言葉のおかげだと私は思っている。
「私、最後までちゃんと伴走するからね」
その言葉の通り、私の心配など追い越すかのように、怒濤のごとく押し寄せるあちらこちらからの要求や請求を交通整理し、亭主の介護を見よう見まねですぐに覚え、テキパキとこなす姿に私は感動を覚えた。
「私の妻はすごいぞ」
今さらながら言うな?って。いやいや、今まで思っていた以上なんだと実感した次第だ。
私が死んだ後も、きっと上手いこと今 敏を送り出してくれると信じている。
思い起こせば、結婚以来「仕事仕事」の毎日で、自宅でゆっくり出来る時間が出来たと思えばガンだった、ではあんまりだ。
けれど、仕事に没頭する人であること、そこに才能があることを間近にいてよく理解してくれていたね。私は幸せだったよ、本当に。
生きることについても死を迎えるにあたっても、どれほど感謝してもしきれない。ありがとう。

気がかりなことはもちろんまだまだあるが、数え上げればキリがない。物事にも終わりが必要だ。
最後に、今どきはなかなか受け入れてもらいにくいであろう、自宅での終末ケアを引き受けてくれた主治医のH先生、そしてその奥様で看護師のKさんに深い感謝の気持ちをお伝えしたい。
自宅という医療には不便きわまりない状況のなか、ガンの疼痛をあれやこれやの方法で粘り強く取り除いていただき、死というゴールまでの間を少しでも快適に過ごせるようご尽力いただき、どれほど助けられたことでしょう。
しかも、ただでさえ面倒くさく図体と態度の大きな患者に、単なる仕事の枠組みをはるかに越え、何より人間的に接していただいたことにどれほど私たち夫婦が支えられ、救われたか分かりません。先生方御夫婦のお人柄にも励まされることも多々ありました。
深く深く感謝いたしております。

そして、いよいよ最後になりますが、5月半ばに余命宣告を受けてすぐの頃から、公私に渡って尋常ではないほどの協力と尽力、精神的な支えにもなってくれた二人の友人。株式会社KON’STONEのメンバーでもある高校時代からの友人Tと、プロデューサーHに心からの感謝を送ります。
本当にありがとう。私の貧相なボキャブラリーから、適切な感謝の言葉を探すのも難しいほど、夫婦揃って世話になった。
2人がいなければ死はもっとつらい形で私や、そばで看取る家内を呑み込んでいたことでしょう。
何から何まで、本当に世話になった。
で。世話になりついでですまんのだが、死んだあとの送り出しまで、家内に協力してやってくれぬか。
そうすりゃ、私も安心してフライトに乗れる。
心から頼む。

さて、ここまで長々とこの文章におつき合いしてくれた皆さん、どうもありがとう。
世界中に存する善きものすべてに感謝したい気持ちと共に、筆をおくことにしよう。

じゃ、お先に。

今 敏

親切なお節介

親切なお節介
親切な、というより単にリストに漏らすには惜しいという選び手の事情でもうちょっと上げておく。
クソ暑いこの夏に、ど~んと景気よくぶちまけてみようじゃないか、オッさんくさい趣味を。

『酔いどれ天使』(1948、黒澤 明)

『野良犬』(1949、黒澤 明)
『生きる』(1952、黒澤 明)
『蜘蛛巣城』(1957、黒澤 明)
『隠し砦の三悪人』(1958、黒澤 明)
『椿三十朗』(1962、黒澤 明)
『晩春』(1949、小津安二郎)
『麦秋』(1951、小津安二郎)y
『お早う』(1959、小津安二郎)
『カルメン故郷に帰る』(1951、木下恵介)

『にっぽん昆虫記』(1963、今村昌平)
『赤い殺意』(1964、今村昌平)
『幕末太陽傳』(1957、川島雄三)
『人情紙風船』(1974、山中貞雄)
『荒野の決闘』(My Darling Clementine,1946、ジョン・フォード)
『アパッチ砦』(Fort Apache,1948、ジョン・フォード)
『黄色いリボン』(She Wore a Yellow Ribbon,1950、ジョン・フォード)
『リオ・グランデの砦』(Rio Grande ,1950、ジョン・フォード)
『静かなる男』(The Quiet Man,1952、ジョン・フォード)
『情婦』(Witness for the Prosecution,1957、ビリー・ワイルダー)

『アパートの鍵貸します』(The Apartment,1960、ビリー・ワイルダー)
『あなただけ今晩は』(Irma la Douce、1963、ビリー・ワイルダー)
『北北西に進路を取れ』(North by Northewest、1959、アルフレッド・ヒッチコック)
『めまい』(Vertigo,1958、アルフレッド・ヒッチコック)
『知りすぎていた男』(The Man Who Knew Too Much,1956、アルフレッド・ヒッチコック)
『博士の異常な愛情』(Dr.Strange Love:or How I Learned to Stop Worrying and Love the Bomb, 1963、スタンリー・キューブリック)
『バリー・リンドン』(Barry Lyndon,1975、スタンリー・キューブリック)
『ミラノの奇蹟』(Miracolo a Milano、1951、ヴィットリオ・デ・シーカ)
『明日に向かって撃て!』(Butch Cassidy and The Sundance Kid,1969、ジョージ・ロイ・ヒル)
『スティング』(The Sting,1973、ジョージ・ロイ・ヒル)

『激突!』(Duel,1971、スティーブン・スピルバーグ)
『太陽の帝国』(Empire of the Sun,1987、スティーブン・スピルバーグ)
『第三の男』(The Third Man,1949、キャロル・リード)
『マーズ・アタック』(Mars Attacks!,1996、ティム・バートン)
『シザーハンズ』(Edward Scissorhands、1990、ティム・バートン)
『デッドゾーン』(The Dead Zone,1983、デイヴィッド・クローネンバーグ)
『デュエリスト』(The Duellists,1977、リドリー・スコット)
『サイダーハウス・ルール』(The Cider House Rules,1999、ラッセル・ハルストレム)
『シッピング・ニュース』(The Shipping News,2001、ラッセ・ハルストレム)
『ホテル・ニューハンプシャー』(The Hotel New Hampshire,1984、トニー・リチャードソン)

『デリカッセン』(Delicatessen,1991、ジャン・P・ジュネ&マイク・キャロ)
『ヒドゥン』(The Hidden,1988、ジャック・ショルダー)
『トレマーズ』(Tremors,1990、ロン・アンダーウッド)
『バロン』(The Adventure of Baron Munchausen,1989、テリー・ギリアム)
『恋に落ちたシェイクスピア』(Shakespeare in Love,1998、ジョン・マッデン)
『ブラック・サンデー』(Black Sunday,1977、ジョン・フランケンハイマー)
『フィツカラルド』(Fitzcarrald,1982、ヴェルナー・ヘルツォーク)
『マーフィの戦い』(Murphy’s War,1971、ピーター・イェーツ)
『ブリット』(Bullitt,1968、ピーター・イェーツ)
『イージー・ライダー』(Easy Rider,1969、デニス・ホッパー)

『バッファロー‘66』(Buffalo’66 ,1998、ヴィンセント・ギャロ)
『ミスター・ノーボディ』(My Name is Nobody,1975、トニー・ヴァレリー)
『道』(La Strada,1954、フェデリコ・フェリーニ)
『スケアクロウ』(Scarecrow,1973、ジェリー・シャッツバーグ)
『ハリーとトント』(Harry & Tonto,1974、ポール・マザースキー)
『ポセイドン・アドベンチャー』(The Poseidon Adventure,1972、ロナルド・ニーム)
『ラスト・アクション・ヒーロー』(Last Action Hero,1993、ジョン・マクティアナン)
『攻撃』(Attack!,1956、ロバート・アルドリッチ)
『フォレスト・ガンプ』(Forrest Gump,1994、ロバート・ゼメキス)
『ザ・コミットメンツ』(The Commitments,1991、アラン・パーカー)

『ロボコップ』(Robocop,1987、ポール・ヴァーホーヴェン)
『まぼろしの市街戦』(The king of Hearts,1967、フィリップ・ド・ブロカ)
『リオの男』(L’Homme de Rio,1963、フィリップ・ド・ブロカ)
『ローゼンクランツとギルデンスターンは死んだ』(Rosencrants and Guildenster are dead,1990、トム・ストッパード)
『ライフ・イズ・ビューティフル』(La vita e bella,1998、ロベルト・ベニーニ)
『遊星からの物体X』(The Ting,1982、ジョン・カーペンター)
『バタフライ・エフェクト』(The Butterfly Effect,2004、エリック・ブレス&J・マッキー・グラバー)
『ロイ・ビーン』(Judge Roy Bean,1972、ジョン・ヒューストン)
『マホランド・ドライブ』(Mulholland Drive,2001、デイヴィッド・リンチ)
『ストレイト・ストーリー』(The Straight Story,1999、デイヴィッド・リンチ)

『ドクトル・ジバゴ』(Doctor Zhivago,1965、デイヴィッド・リーン)
『ライアンの娘』(Ryan’s Daughter,1970、デイヴィッド・リーン)
『ターミネーター2』(The Terminator:Judgement Day,1991、ジェームズ・キャメロン)
『ミリオンダラー・ベイビー』(Million Dollar Baby,2004、クリント・イ-ストウッド)
『グラン・トリノ』(Gran Torino,2008、クリント・イーストウッド)
『ココシリ』(KEKEXILI:MOUTAIN PATROL,2004、Lu Chuan)
『恋はデジャ・ブ』(Groundhog Day,1993、ハロルド・レイミス)
『パピヨン』(Papillon,1973、フランクリン・J・シャフナー)
『狼たちの午後』(Dog Day Afternoon,1975、シドニー・ルメット)

「夢みる機械」班が選ぶ映画100・後編

では後半50本。

『天国の日々』(Days of Heaven,1978,テレンス・マリック)
『小さな恋のメロディ』(Melody,1971,ワリス・フセイン)
『ミツバチのささやき』(EL ESPIRITU DDE LA COLMENA,1973,ビクトル・エリセ)
『オール・ザット・ジャズ』(All That Jazz,1979,ボブ・フォッシー)
『グロリア』(Gloria,1980,ジョン・カサヴェテス)
『バーディ』(Birdy,1984,アラン・パーカー)
『目撃者 刑事ジョン・ブック』(Witness,1985,ピーター・ウィアー)
『ブルー・ベルベット』(Blue Velvet,1986,デヴィット・リンチ)
『ミッドナイト・ラン』(Midnight Run,1988,マーティン・ブレスト)
『ダイ・ハード』(Die Hard,1988,ジョン・マクティアナン)

『レザボア・ドッグス』(Reservoir Dogs,1992,クエンティン・タランティーノ)
『パルプ・フィクション』(Pulp Fiction,1994,クエンティン・タランティーノ)
『ロック・ストック&トゥー・スモーキング・バレルズ』(Lock,Stock and Two Smoking Barrels ,1999,ガイ・リッチー)
『ショーシャンクの空に』(The Shashank Redemption,1994,フランク・ダラボン)
『セブン』(Seven,1995,デヴィット・フィンチャー)
『エイリアン』(Alien,1979,リドリー・スコット)
『エイリアン2』(Alien2,1986,ジェームズ・キャメロン)
『ブレードランナー』(Blade Runner,1982,リドリー・スコット)
『未来世紀ブラジル』(Brazil,1985,テリー・ギリアム)
『マッド・マックス2』(Mad Max2:The Road Warrior,1981,ジョージ・ミラー)

『ターミネーター』(The Terminator,1984,ジェームズ・キャメロン)
『ロスト・チルドレン』(La Cite des enfas perdus,1995,ジャン・P・ジュネ&マルク・キャロ)
『バットマン・リターンズ』(Batman Returns,1992,ティム・バートン)
『ダークナイト』(The Dark Knight,2008,クリストファー・ノーラン)
『エルム街の悪魔』(A Nightmare on Elm Street,1984,ウェス・クレイブン)
『リトル・ダンサー』(Billy Elliot,2000,スティーブン・ダルドリー)い
『ブラス!』(Brassed off,1997,ピーター・カッタネオ)
『フル・モンティ』(The Full Monty,1997、ピーター・カッタネオ)
『スライディング・ドア』(Sliding Doors,1998,ピーター・ハウィット)
『リトル・ミス・サンシャイン』(Little Miss Sunshine,2006,J・デイトン&V・ファリス)

『天国から来たチャンピオン』(Heaven Can Wait,1978,ウォーレン・ベイティ&バック・ヘンリー)
『ミリィ 少年は空を飛んだ』(The Boy Who Could Fly,1985,ニック・キャッスル)
『愛が微笑むとき』(Heart and Souls,1993,ロン・アンダーウッド)

『七人の侍』(1954、黒澤明)
『赤ひげ』(1965、黒澤明)
『羅生門』(1950、黒澤明)
『天国と地獄』(1963、黒澤明)
『用心棒』(1961、黒澤明)
『東京物語』(1953、小津安二郎)
『切腹』(1962、小林正樹)

『上意討ち 拝領妻始末』(1967、小林正樹)
『ゴジラ』(1954、本多猪四郎)
『独立愚連隊西へ』(1960、岡本喜八)
『血と砂』(1965、岡本喜八)
『豚と軍艦』(1961、今村昌平)
『股旅』(1973、市川崑)
『砂の器』(1974、野村芳太郎)
『太陽を盗んだ男』(1979、長谷川和彦)
『転校生』(1982、大林宣彦)
『家族ゲーム』(1983、森田芳光)

「夢みる機械」班が選ぶ映画100・前編

「夢みる機械」班が選んだ映画100本である。
班、といっても主に今敏の判断、鈴木美千代のアドバイスによって選ばれたもの。
「ベスト100」というわけではなく、あくまで我々スタッフの普段の会話に出て来やすいタイトルを中心としているので、奇妙なものも混じっている。
こういうのを人前に出すのって、難しいんだよね(笑)
ま、あくまで「うちの趣味」ということで。
ちなみに順序や10本毎のまとめは便宜上のものである。

前半50本

『長い灰色の線』(The Long Gray Line,1954,ジョン・フォード)
『素晴らしき哉、人生!』(It’s Wonderful Life ,1946,フランク・キャプラ)
『お熱いのがお好き』(Some Like It Hot,1959,ビリー・ワイルダー)
『麗しのサブリナ』(Sabrina,1954,ビリー・ワイルダー)
『サンセット大通り』(Sunset Boulevard,1950ビリ・ワイルダー)
『第十七捕虜収容所』(Stalag17,1953,ビリー・ワイルダー)
『ローマの休日』(Roman Holiday,1953,ウィリアム・ワイラー)
『アラビアのロレンス』(Lawrence of Arabia,1962,デーヴィッド・リーン)
『鳥』(The Birds,1963,アルフレッド・ヒッチコック)
『裏窓』(Rear Window,1954,アルフレッド・ヒッチコック)

『サイコ』(Psycho,1960,アルフレッド・ヒッチコック)
『十二人の怒れる男』(12Angry Men,1957,シドニー・ルメット)
『時計仕掛けのオレンジ』(A Clockwork Orange,1971,スタンリー・キューブリック)
『シャイニング』(The Shining,1980,スタンリー・キューブリック)
『2001年宇宙の旅』(2001:A Space Odyssey,1968,スタンリー・キューブリック)
『ストーカー』(Сталкар,1979,アンドレイ・タルコフスキー)
『惑星ソラリス』(Солярис,1972,アンドレイ・タルコフスキー)
『未知との遭遇』(1977,Close Encounters of the Third Kind)
『ジョーズ』(Jaws,1975,スティーブン・スピルバーグ)
『スター・ウォーズ』(Star Wars Episode IV:A New Hope ,1977,ジョージ・ルーカス)

『地獄の黙示録』(Apocalypse Now,1979,フランシス・フォード・コッポラ)
『ゴッドファーザー』(The Godfather,1972フランシス・フォード・コッポラ,)
『ゴッドファーザーPARTII』(The Godfather Part II,1974, フランシス・フォード・コッポラ)
『カッコーの巣の上で』(One Flew Over the Cuckoo’s Nest,1975,ミロシュ・フォアマン)
『アマデウス』(Amadeus,1984,ミロシュ・フォアマン)
『風と共に去りぬ』(Gone With the Wind,1939,ヴィクター・フレミング)
『大脱走』(The Great Escape,1963, ジョン・スタージェス)
『眼下の敵』(The Enemy Below,1957,ディック・パウエル)
『恐怖の報酬』(Le Salaire de la peur,1953,アンリ・ジョルジュ・クルーゾー)
『太陽がいっぱい』(Plein soleil,1960,ルネ・クレマン)

『真夜中のカウボーイ』(Midnight Cowboy,1969,ジョン・シュレンジャー)
『明日に向かって撃て!』(Butch Cassidy and the Sundance Kid,1969,ジョージ・ロイ・ヒル)
『俺たちに明日はない』(Bonnie and Clyde,1967,アーサー・ペン)
『小さな巨人』(Little Big Man,1971,アーサー・ペン)
『わらの犬』(Straw dogs,1971,サム・ペキンパー)
『ダーティ・ハリー』(Dirty Harry,1971,ドン・シーゲル)
『ジャッカルの日』(The Day of the Jackal,1973,フレッド・ジンネマン)
『フレンチコネクション』(The French connection,1971,ウィリアム・フリードキン)
『エクソシスト』(Exorcist,1973,ウィリアム・フリードキン)
『タクシードライバー』(Taxi Driver,1976,マーティン・スコセッシ)

『スローターハウス5』(Slaughterhouse-Five,1972,ジョージ・ロイ・ヒル)
『ガープの世界』(The World According to Garp,1982,ジョージ・ロイ・ヒル)
『ブリキの太鼓』(Die Blechtrommel,1979,フォルカー・シュレンドルフ)
『マイ・ライフ・アズ・ア・ドッグ』(Mitt liv som hund,1985,ラッセ・ハレストレム)
『ギルバート・グレイプ』(What’s Eating Gilbert Grape,1993,ラッセ・ハレストレム)
『アメリカン・ビューティ』(American Beauty,1999,サム・メンデス)
『ペーパームーン』(Paper Moon,1973,ピーター・ボグダノヴィッチ)
『ディア・ハンター』(The Deer Hunter,1978,マイケル・チミノ)
『ザ・プレイヤー』(The Player,1992,ロバート・アルトマン)
『ショート・カッツ』(Short Cuts,1993,ロバート・アルトマン)

好ましい物たちがさらに続く

町山智浩の映画批評。
「映画の見方がわかる本」などの著書はあまりの面白さにグイグイ読んだ。すでに持っている本もよけいに買って他人に勧めたくらいだ。もちろんPodcast「アメリカ映画特電」も大のお気に入りで、何べん聴いたか分からないほどだ。これもiPodに収まるので手放すことはないだろう。
映画を観るプロってほとんどいないからなぁ、この国では。
評論家と称する業界ゴロが大半だ。
この間のLOFTでの帰国トークライブには心底感動した。
必要なのに誰もやってないことに気づいてしまったら、自分に出来るとか出来ないではない。
「でも、やるんだよ!」
くぅ!泣けたな、本当に。

元々、町山智浩を知ったきっかけは、今をときめく内田樹先生。
近年これほど考え方で影響を受けた(気になっているだけかもしれないが)方は他にない。7~8年前に阿佐ヶ谷の書店で「寝ながら学べる構造主義」に視線を捉えられて以来、著作はほぼすべて新刊を購入して貪るように読ませていただいた。
知的好奇心と娯楽性にも溢れた内容ばかりだった。しかし年々刊行点数も膨大になり、本棚の占有率も膨大に(笑)

ヒラサワという扉の向こうに河合先生始めとした広い世界が開けたように、ウチダセンセイの扉を通って、私はこれまた広大な世界に遭遇出来た。その筆頭は村上春樹だった。今ではすっかり大ファンである。それまで何故か読まずぎらいだった。家内が以前からの村上ファンで、自宅に「宝」があるのに気付かなかった。読むきっかけは、河合隼雄先生と内田先生のおかげである。
橋本治、平川克美、養老孟司、加藤典弘、といった面々も内田先生の扉からアクセスした知性であろうか。

まだまだ上げればキリがないので、このくらいにしておこう。

最後に、自分のこれまでに重ねて来た仕事というのも、まぁ大切な財産と思っておくか。私にとっては「子供」みたいなものだし、アニメーション作品も漫画や書籍は大切な物たちだ。
自分の考え方と身につけた技術が具体的な形で見えるものだしな。だからって、新しい仕事としての用でもなければ見返すこともないのだが。
しかし、たまに過去の仕事を目にすると、恥ずかしい話しだが意外と励まされることもある。
何というか、こんな感想。
「うわぁ、私が描いたのか、これ!?」
自分の中に他人を発見するのはなかなか刺激的な体験である。
過去に自分が書いた雑文を読んでいても、まるで「同じような考え方をする他人」の文章を読んでいるような気がして新鮮な気持ちになる。
別に自画自賛しているわけじゃないぞ(笑)

大切なものについて書いていたのに何だかよく分からないことになってきたが、しかし上にあげてきた大半の物は、どれもみんな今時のパソコン一台のハードディスクに収まってしまうな。
何だ、結局見かけ上はパソコンが大事なだけみたいで、ガッカリだな(笑)

好ましい物たちが続く

五代目古今亭志ん生の落語。
去年の始め頃だったか、「大人買い」というか「ヤクザ買い」みたいな真似をして、Windowsマシンならかなりな高級機を買えるくらいの投資をした。
今となってはこれは手放せないな。パソコンに取り込んだので元のCDはなくてもいいが。
寝る前や仕事時の耳の友であり、世に溢れる木っ端役人が撒き散らす真面目毒によく効くワクチンだ。
志ん生以外にはほとんど落語は聞かない。
落語が好きなのではなく志ん生が好きなようである。
志ん生の落語は聴いているだけで「カット割り」が目に浮かぶようだ。そんな落語家、他にいるのだろうか。
志ん生の落語を初めて教えてもらったのは、四半世紀も前の頃、大友克洋さんの仕事場であった。
近未来漫画と志ん生。落差がまたカッコイイのであった。
大友さんに紹介してもらったものは落語、音楽、漫画、映画、写真集、食べ物、酒……数えられないほど多く、種類も多岐に渡る。
二十歳のころに大友さんに出会えたことはとんでもない幸運で、自分でも把握しきれないほどの財産になっている。
本当にありがとうございます。

さて夢のない話だが、ヒラサワやP-model、志ん生のCD100枚入れてもiPodは余裕。私の積年の貴重な体験がこんな小さな箱に収まるのかと思うと、ちょっと口惜しい気さえしてくる。

何度も何度も繰り返し読んでいる漫画といえば、諸星大二郎と中崎タツヤの単行本。何度読み返していることか。
こればかりはいかに本棚を専有しようと手放せない。並べておきたい。
そもそも、なぜこのカプリングで名前を上げるのかも奇妙な話だが(笑)
私の中で漫画の巨匠といえばこのお二方なのである。
ちなみに劇画史上最高傑作を問われたら私は迷わず大友さんの「童夢」を上げる。
無論他にも好きな漫画家、尊敬する漫画家はたくさんあれど、私にとって寝る前に味わい直す「ナイトキャップ」といえばこの巨匠二人をおいて他にないのである。
どれもが傑作だが諸星大二郎なら「西遊妖猿伝」。
中崎タツヤなら「じみへん」。
すでに分かっている話や展開、オチだからこそ味わえる絵や演出。
そこが肝心だ。
諸星先生には果てなき漫画の異界のさらに彼方を、中崎先生には人生の何たるかを教わるばかりである。
永遠のバイブルだ。

好ましい物たち

少なくとも現在身の回りにどうしてもあって欲しい物。
隣人愛とか才能とか根性とかそういう無形のものではなく(笑)、単に物。
忘れられない物や、今敏の形成に大きく影響したであろう物たちも含めて考えてみよう。

まず、ヒラサワの音楽。
これはないと絶対に困る。
20年ほど前に「世界タービン」「ロケット」に電撃的啓示を受けて以来、私にとって平沢進とその音楽は、想像と創造、気力の源であり続けている。
これほど今敏の形成に影響を与えた物は他にないのではないか。と、自分では思っている。

ヒラサワを少しでも理解しようと読み出したのが、河合隼雄。
私はユング心理学は直接触れたことはないが、河合先生の著作は随分な数を読み広く深く影響を受けた。どういう影響なのかは自分でも定かではないが、ヒラサワという扉から開けた世界に河合先生的な裏打ちを自分なりに育てたからこそ、「パーフェクトブルー」以後の奇妙な物語が産まれたことに間違いない。
文化庁メディア芸術祭の授賞式でお目にかかれたのは光栄の至りであった。
しかし買い揃えた著作の数がかなりの巾をきかせている。すでに血肉化したと信じて処分するのも仕方あるまい。

ルートヒラサワで知り得た宝にはカート・ヴォネガットもあった。邦訳の出ているものはすべて読んだはずだが「スローターハウス5」は小説も映画も手放せない一品である。

捨て神様

思うところあって身辺整理をしている。
本もDVDも、本棚ごと処分するつもりで捨てたり、欲しい人に譲ったりしようとしている。衣類や諸々のジャンク、思い出がまつわるものだってどんどん捨てる。
そう思っているだけで、まだ実際には我が家から物々どもが姿を消していないあたりが歯がゆいのだが。ものを捨てるにも分別と段取りと金銭が要る社会だ。
「漫画家時代の一部不愉快な記憶と仕事はどの袋に入れて何曜日に出すのでしょう?」
武蔵野市のウェブサイトはこたえてくれない。

物を持っていること、物ものに囲まれていることにうんざりしてきた。
「持ってたってしょーがねえよ!」
長年の長髪を坊主頭にしたのと同じく、あまりに毎日暑いから身の回りを少しでもスッキリさせたいという気もある。
いつか、私に限らず誰かのためになるかと思って抱え込んでいた物々だが、もういいや。知ったこっちゃない。捨て捨て捨て捨て!
「捨て神様」降臨。
我が家では思い切って物たちを処分する気になることをそう呼んでいる。
年末の大掃除の時期でもないのに私に取り付いてくれたようだ。
しかも捨て神様の中でも精鋭だぞ、これは。捨て神様海兵隊。それじゃ規律に危険がいっぱいか。
どんどんどんどん物を処分していると、捨て神様は加速するようでいっそう捨てることに快感を覚えるようになる。
私まで生ゴミに出されそうな勢いだ。
入るゴミ袋がなさそうだが。

捨てる衣類は黒の山だ。いつの頃からか無彩色ばかり身につけるようになったな…おお、四半世紀に渡る確定申告の書類!歯抜けの年度もあるが近年はけっこう頑張って働いていたじゃないか!…それに比べて昔は……などと感慨や感傷や鑑賞にふけっている場合じゃない。そんな気分さえゴミ袋に流し込むのだ。
あばよ。
自室の6畳間のみならず、廊下や寝室まで占拠していた多くの単行本も新書も文庫もごくごく一部を除いて処分。後輩、後進たちにとっても面白い本や役立つであろう本は多々あるが、年齢が違えば全然異なる現在があるのだろうし。同じものに興味を持てというのも無理だわな。本当は少しくらい「お節介」な真似もしたかったが、捨て神様に従うことにした。
私は多くのものを抱えてドンと構えていられるような器でも金持ちでもない。何せ人間的スケールは自室同用6畳がいいとこだ。日本人としてちょうどいいですよ。あ、その割に布団のサイズに困るが。図体がでかいのはちょいと恥ずかしい。

大きなところではお気に入りのマッサージ “ガンダム”チェアも処分した。
これは茶の間に新たに導入するものがあったせいで、半ば仕方のない処分だったのだが、捨ててみると(といっても、ある関係先に引き取ってもらったのだが)何とスッキリしたことか。処分に少々の金銭がかかることもやむを得まい。
何、もしかいつか欲しくなったら、その時また手にいれればいいだけのことだ。その頃にはもっといいものに進歩しているに違いないし。

そう、すべてはそうなのだ。
そんな簡単なことに気づかなかったなんて。
二度と手に入らない物なんて、そうあるわけじゃない。

命と思い出、大切な家族や大事な友人は失われたら回復しようはない。
しかし物たちのほとんどは、まったく同じでないにせよ同じような満足をもたらせてくれるものにはこの先にだって出合えるような気がする。
これまでだってそうだったんだし。
その時どれだけ大切に思えたようなかけがえのないものだって、旬を過ぎれば優先度は下がってくる。それは何も飽きたのではなく血肉化したからだろう。そう思いたい。必要なものはすでに血や肉として携えらている。
私の脳や身体に蓄えられた物の考え方、価値観、長い時間かけて訓練された技術などは捨てようにも捨てられないし、だいたい何のゴミに分別するべきか(笑)

私にはコレクター的な嗜好はないようだ。
物への愛も非常に薄いらしい。
昔、ムーンライダースがアルバム「アマチュアアカデミー」の中で「ものに対する愛」というフレーズを歌っていて、いまだに印象的なのだが、どーもそーゆーアイには縁遠いらしいのでR。
私の演出的淡白さも根が同じような気もするので少し残念な気もするが、こだわりは少ない方が生きるにはこれも楽だろう。
私はディテールに拘ると思われがちだが、どちらかというとディテールそのものよりもそれらの密度に傾斜しやすいのではないかと思われる。
枯れ木も山の賑わいが好きというか(笑)
だから自宅も仕事場も、大して重要でもないものがその数だけ増大させるというか。多分そうだな。

本もDVDも見返したり読み返したくなったらその時また手にいれればいい。
どうしても傍に置いておきたいものなんてそんなに数があるわけじゃないんだ、と改めて思い知らされている次第である。

しかしまぁ、呆れるほど狭いスペースに物を溜め込んでいたことだよ。まるでパズルだ。
それにも事情はあるのだが、その点についてはまた稿を改めるとして、私にとって「どうしても手元に置いておきたい大切な物たち」とはどんなものだろう?
先にも触れたが、まことに重要なものとは自分の命とこれまでに身につけて来た考え方や思い出、技術やセンスといったものであり、それに家族や友人がまさに掛け替えのないものだ。
他に何が要るだろう?

次回はそんなことを具体的に考えてみるかな。