第八回「表紙」

タイトルが決まったところで、HPの顔とも言うべき表紙について考えてみる。「ウェルカムページ」とやらは誰もが力を入れて作るページであろう。

力が入りすぎて、冗談じゃないほどに重たい画像を張り付けているケースが多いが、私はネットサーフィン(笑)をしていてそんなビッグウェンズディみたいな大波が来たら、とっととよそに行ってしまう方だ。重たい表紙を掲げる人間のセンスで作られたHPなど、どうせろくな物ではない、という気がする。まぁ単に電子の海の右左が分からず、「なっちゃった」ページもあるかもしれないので一概に断ずることは出来ないであろうが。いずれにしろ確信して重たい表紙を掲げるというのは、客のことを考えてないに等しいと思うのだが如何なものか。
お前のはどうだって? どうなんでしょう。28.8Kくらいのモデムではちょっと重いかもしれませんが、許される範囲じゃないでしょうか。それに一応私も娑婆では絵を商売にしているものですから、許されたい。いや、いけないな、この態度は。早速画像を小さくせねば。
誰もが同じ条件で見られるわけではないあたりがインターネットの面白さでもあるが、このあたりも結局は娑婆と似たようなものか。人の振り見て我が振り直せ、とは正に金言。他人のページを作り手の視点で見ると、今までとはまた違った見え方もするであろうよ。
表紙は目立つページなだけに、作り手の態度が反映しやすいので、お客のことも考えてなるべく軽めに作るのがよかろう。当てもなく飲み屋を探した経験がおありの方ならよく分かるであろうが、重厚な木製ドアで中の見えない店より、のれんと赤提灯の店の方が入りやすかろう?
現状の通信速度では、およそ大量な画像を読み込むには時間がかかる。企業のページなどで、娑婆の印刷物と同じ態度で作られた、華やかでウルトラヘビーなページを多々見かけるが、その時点で一気に印象が悪くなることは考えないのであろうか。寒い。
もしかして会社の資本金とデータの重さには何か相関関係が見られるのではなかろうか。あるいは個人のページなら、その本人の思い上がりとデータの重さ、とか。
インターネットフィールドワーカーの登場を期待する。

とにかく快適に見られるHPの在り方を考えて作っても、罰は当たらない気がする。何でもかんでも「見てよ、見てみて!見てちょうだい!!」という態度ではなく「見てもらおう」「見ていただく」という謙虚な気持ちを忘れないようにしましょう。お前が言うな? うん。
実際のケースで考えてみる。例えばだ。転送の問題を考えれば軽いテキストは先に読み込まれ、画像はしばらくの待ち時間の後に現れてくるわけだが、ページの最初に大きな画像があって、その下の方にテキストがある場合、そのページをブラウズしてもらうとき、画像の読み込み中の時間をただ待たせてしまうことになる。そこで、読み込み中の時間、相手を退屈させないために、最初の部分にテキストを入れておけば待ち時間を無駄にしなくて良い、と考えるわけだ。ちょっとした気配りが円滑な関係を結ぶ、と鈴木健二先生も言っているに違いない。
それと表紙のメニューなどにボタンや画像などを沢山使うケースがよくあるが、極力やめた方がよいかもしれない。よく見栄えの良いHPを作るためのTIPSなどで半立体のボタンだのが紹介されているが、如何なものかと思われる。いくら小さな画像と言っても、種類があると読み込むのに時間がかかって仕方がない。私などはそんなものに出くわすとすぐに「読み込み停止」をクリッククリック。
とは言え、全く無いと少々寂しい気がされる向きもあろうし、実際私も小さな画像をアクセントに使ったりしている。一つの画像を使い回す分にはさして負担にならないので、アクセント程度に使うのが宜しかろう。

それとバナーというのか。あれも迷惑な代物かと思われる。
リンクを張るのにこのバナーを使ってくれ、などというのも多いが、一つや二つならともかくリンクのページなどにこの小うるさいバナーが隊列をなして並んでいたりすると、私などは即座に「読み込み停止」。そんなもので重たくするような考えをする人間とは趣味が合わないので、とっとと出ていく方だ。
日本の風景を台無しにしている下司で乱雑な看板地獄をネットにまで氾濫させるのはくい止めたいものである。バナー反対。
インターネットを利用している人がすべてISDNということもあるまいし、現在の転送速度などを考えればまだまだ文字の情報がメインであると考えられる。むりやりに画像を多くして重たくするのは、あまりに現実的ではなかろう。娑婆の印刷物と同じ考え方しかできないウェブデザイナー(笑)は頭が悪すぎる。
状況に応じた処し方が出来ない頭の固さは致命的。
大体ビジュアルがなければ面白いことが出来ない、と思われている節も多いが、まだまだ文字という手段は開拓されていないし、いくらでも面白いことは出来るかと思われる。
私自身も新しい企画を考えていきたいと思う。これからHPを立ち上げるキミも、人真似でない面白い企画を追々考えていってもらいたい。最初は真似でもいいけどね。

第七回「名付け」

肝心なことを忘れていた。タイトルだ。
現世においては何事も名前を付けてやらねば確たる存在たり得ない。「名付け」は奥深い儀式であろう。
当ホームページの名前は「KON’S TONE」というのが正式名称であったが、現在は「KON’STONE」と間のスペースは無いのが正しいものとしている。
いずれにしろあまり良い名前でなかったとちょびっと後悔している。実はタイトルがなかなか決まらなくて、あれこれ悩んでいたのだがネットに早くアップしたいばかりに、最初に思いついたこのタイトルにしてしまったのだ。出来れば、もっとこう、何というか、深遠な感じのするタイトルにしたかったな。
多少後悔があるとは言え「名付け」の儀式を通過した以上、そうおいそれと変えるわけにもいかないし、ころころタイトルを変えたりするのは潔くない態度である。何よりせっかく宿った「魂」が散逸してしまうので当面このままにしておく。宿れ言霊。
ホームページに限らず、どんな作品でもタイトルは一度悩み出すと最後まで決まらなくなるもので、困ったときは最初の思いつきを大事にする方なのだが、あまりネーミングのセンスは無いな、私。
さてただの思いつきとは言っても、それなりに込められた意味はあった。
「KON’STONE」。まず何と読むのが正しいかと言えば「コンズトーン」となろう。響きが宜しくないな、全く。
「TONE」には「調子, 音色 ,口調, 語調, 語気, 論調, 傾向, 風潮, 気風, 色合い, 濃淡, 明暗, 音の高低, 抑揚,」などという意味があるそうな。
まぁ「今の口調」といった感じで、前にも書いたように自分なりの文章表現を試みようという意味合いによるものだ。
内容的に偏ったタイトル、例えば「漫画新世紀」「電脳アニメ館」「マシなシネマ」といった具体的なものにしてしまうと、それ一筋で運営して行くつもりならともかく、心変わりがあったときに他のことを扱いにくくなるであろう。かような懸念もあって、私の場合はより自分に近いタイトルにしておこうと考えたわけである。
それと「コンストーン」。一部のトミノな人のために断っておくが「コンスコン」じゃないぞ。「サイド6」だの「リックドム」だのという単語は思い浮かべるな。「コンストーン」、「今の石」ね。
そうそう、そうであった。当初は私の唯一の趣味とも言える化石を主に扱うことを趣旨としようとも思っていたのだ。また日本語的には「石」と「意志」もかけてあったりして、「石のように固い意志」を持てますように、という乙女の祈りも込められている。
HP開設当初の表紙は、所有しているアンモナイトの化石の画像だったから、まだその意味合いも成立していたが、現在はただのお絵描き画像になり果て、さっぱり意味が分からないことになっている。「STONE」というコーナーに所有している化石の画像があるので、一応はその片鱗があるのだが、開設以来全く更新していないのでは無かろうか。第一新しい化石を買っていないのだ。高いよ、化石は。
かように当初の目的などはすぐさまに変更されていったりするわけだ。初志貫徹という言葉も大事だが、臨機応変はもっとキミの役に立つかもしれないぞ。
それと不思議なもので、私は基本的に「お金にならないお絵描き」はしなかったし、ネット上で娑婆と同じことをするのも芸がないので、ことさらに自分の絵を紹介する気などなかったのだ。それがどうだ。ウェプに上げるために「お金にならないお絵描き」はするは、「GALLERY」まで作るは……変われば変わるものだ。
自分の創作物からのフィードバックを享受できることはたくさんあるわけだ。

「KONTONE」という候補もあったかと思われる。「混沌」という意味を込められるし、良いかと思ったのだが「コントね」とか思われるのも何なので「アポストロフィS」を入れてみました。
そう言えば。大学生の頃、夜、友達から電話がかかってきて、いきなりこんな事を言われた。
「おい今、すぐに○○○の家に電話してみろよ!外人が出るから面白いっけな!」
後で聞いたところによるとその○○○という友達の家にイタリア人の女の子が居候していたらしいのだが、その時はよく事態も飲み込めぬまま、言われるままにダイヤルを回してみた。
「モシモシ」
確かに出た。外国人女性が。
「あのぉ、今と言いますが、○○○さんいらっしゃいますか?」
彼女、応えて曰く。

「コントさんですかぁ?」

おい。
そんな切ない思い出もあって、「KONTONE」は却下したのであった。

末永くお付き合いしていくものだから、皆の衆もタイトルを付けるときはよくよく考えた方が宜しかろう。
自分が扱うネタをタイトルの一部にすると、訪れる人に内容が分かりやすくて良い、などとマニュアル本に書かれたりしているようだが、別にいいじゃあないか、そんなにまでして客引きをしなくても。名前くらいは好きに付けたれ。節操を忘れぬ程度にな。

第六回「飛べ!オオキド」

-日記-
 『さあ自己紹介のページは出来た、っと。他にどんなページを作ろうか。他にはどんなページを作ろうか。他にはどんなページを作ろうか。自己紹介の次はどんなページを…他の人はどんなものを作っていたっけ?
そうだ“What’s New”だ!……いや、それはまだ早いか。何が新しいかの前に、その“何”を決めなくちゃ……そうだ!
“日記”だ。世間ではあまり理解されにくいオオキドの繊細な感受性を分かってもらうには絶好のコーナー!!
日々感じた出来事を徒然なるままに書き連ねていこう。ああ、みんなオオキドの価値観に共感してくれるに違いない』

三国一の幸せ者、オオキド。やんややんや。
いや、「日記」が悪いというわけではないし、自分のためのメモとしての存在価値もあるだろうし、それに長い期間続けていれば、これもまた立派な記録にもなりうる筈。「日々感じたこと」を日々更新していく根気が続けばの話だが。
それにこれもまた、自己紹介同様特殊な立場にでもない限り、キミの行動や価値観にすぐに興味を持つようなお人好しはいるわけもないし、キミ自身他人の興味を引きそうなことにそうそう出会う筈もないかと思うので、「面白いこと」ばかりに注目するのではなくて、少しは「面白く伝える」ことにも目を向ければよいのではないだろうか。

例えばそれが会社の同僚とのやりとりの中の些細な冗談でも、事象の順番や話の落としどころを工夫したりという演出一つでお客を「クスリ(笑)」とさせるくらいは出来るのではなかろうか。そういう積み重ねの中にHP制作への態度や節度が見え隠れすることで、他のHPとの差別化にも繋がり、お客を再び立ち寄る気にさせるのである。
闇雲に書き散らすよりは、感じたことをお客に伝えようとする意志が大事。

ただし自分の感受性にウソをついて何者かに成りすまし、自分に泥酔したような日記は面白すぎるので垂れ流さないように注意されたい。笑い物になりたい人にしかお勧めしないぞ。笑わせるならともかく、笑われるのはあまり楽しいことでもないだろうし。
発信する情報は常識と倫理のフィルターを通すのが望ましかろう。
「ネット上での別人格の是非」について論じてもしょうがないだろうが、「個人の頭の中」と「ネット上」に多くの類似点があったとしても、それは別物であることを明確に意識していないと、頭がメルトダウンしかねないので気持ちをしっかりと持ってもらいたい。妄想の彼岸はすぐそばにある。うっかり渡っちゃあなんねぇべ。戻ってくるのは至難の業だぞ、きっと。

-お気に入り-
 『“PROFILE”“DIARY”は決まったぞ。他にどんなページを作ろうか。他にはどんなページを作ろうか。他にはどんなページを作ろうか。他にはどんなページを作ろうか。日記の次はどんなページを…他の人はどんなものを作っていたっけ?
“好きなもの”そうだ、この感受性の鋭いオオキドのお気に入りや見たモノ読んだモノ聞いたモノを紹介してみよう。オオキドのHPを訪れた人を刺激するに違いない。
それで同じものを好きな人とメールで語り合えるかもしれない。超凄いアイディア!(みんなやってるけど。でもみんなやってるから大丈夫、きっと)
“MYFAVORITE”は、訪れた人が読みやすいように“BOOKS”“COMICS”“MOVIES”“MUSIC”“ETC”というコーナーに分けてみよう。う〜ん、ばっちり。見たり読んだりしたものを紹介しながら、鋭い批評眼でコメントを付け、分かりやすいように10段階評価で採点もしてみよう。まるでプロみたいじゃない!?』

かくして世間の評論なんかメじゃない、と本人だけが思いこんでいる客観性のない批評とやらがが電子の海に広がっていく。さながらタンカーの事故だ。海を覆う重油のような節操のない独り言。ま、それも一つの利用法なんだろうけど。少しは世間と自分の心に深く耳をかたむけ、「恥」という言葉の意味を知るのも良いのではないだろうか。
一億総評論家、と言われたことがあったと思うが、電子の海はその格好の舞台を提供したのであろう。かつてのような活字や写植の手間もお金もかからず、モニターに映し出されたそれはまるで「プロみたい」だし、格好の自己満足を付加してくれるはずだ。
それは勿論批判されることではなかろう。むしろ正しい態度のようにも思われる。なぜなら「本人だけが楽しければそれでよい」と言うのが基本的な態度であろうし。ただ発信者としての自覚と責任という名の下で、なおかつネチケット(笑)とやらを守っている範囲での話だが。
ちなみにネチケットだのネチズンだのといった言葉は「E電」と同じ末路をたどるような気がしてならないのだが、如何思われます?

かようなネーミングのセンスはともかく、インターネットと言っても一つの社会である以上、遵守するべきルールは存在するであろうし、本人が楽しいからといって何を書いてもいいわけでもあるまい。今更そんなことはわざわざ言うまでも無かろうが。
とは言え「誰でも情報発信者になれる」という甘言の裏に押し込まれた、「情報発信への責任」が軽んじられているのもまた事実。
不特定多数の人間に何かを伝える、という経験をくぐってきていない素人がいきなりメディアの一端に参加するとなると、それはもう子供に銃を持たせるのと同じで、危険な絶体絶命のピンチが危ないに決まっている。
さらに先に「プロみたい」と記したが、娑婆で文章書きやら絵描きやらのプロ意識や倫理観が低下の一歩をたどっている中で、そこにすらすくい取られなかった物がろくなものであることは極端に少なく、勢い感想と評論の区別も付かない自己顕示欲丸出しで一方的に自由な主張が繰り広げられることになる。勿論独自の視点で社会や事件、創作物へのコメントを書いている素人の方もおられる。しかしオオキドにそんな真似の出来るわけもない。

インターネット社会は現実社会のいびつさを映す鏡でもある。ルールはおろか恥や節操という単語は存在しない暗黒側面も有している。忌まわしき精神の権化、ヒルコたちの狂宴の夜の世界。
概ね額面通りの「お気に入り」についてはさほど問題はないかと思われる。多少いびつな愛の形があったとしても好きで書いている分には。ただしこれが対象への好意ではなく自身に対する肥大した愛の形となると、にわかに鬱陶しい匂いを放ち始める。近寄っちゃあなんねぇ。
往々にして世に溢れるオオキドとその同類は、現実の社会に本人が思ったほどに認められていない。充足した現実の生活を送る人間はオオキドではないのだ。
「自分は本当はもっと能力があるのに、世間は分かってくれない」式な、羨ましいほどノーテンキな思考法の持ち主、これがオオキドの正体だ。ヒューヒュー!朋ちゃんも応援してくれるはずだ。

自分の能力を省みることもなく闇雲にオオキドはインターネットの大空に飛翔する。イカロスの思い上がりは、天照大神ver.ギリシャが粉砕したが、オオキドの翼を溶かす太陽は存在しない。なぜならそれはインターネットの暗黒側面。オオキドに関わってくれるほどの暇な太陽も、いや端から太陽など有りはしない。
あるのはオオキド対オオキドの救いようのない戦いのどす黒い修羅場だ。オオキドは他のオオキドが大嫌い、というのも特徴の一つだ。同族嫌悪の証はBBSなどでよく見られたりするので、オオキドを調査したい学究の徒は、異様で不毛な盛り上がりを見せるBBSなどでフィールドワークされたい。きっと難しい言葉を無理して使いたがるのもオオキドの特徴の一つだぞ。しかも受け売りなんざ十八番も十八番。
オオキドは、その根拠のない恨みの矛先たる、現実社会に座を占めた他人やその功績、作品を偉そうに語ることで、それらよりも自分が「ホントは」優位に立っていることを示さんとして、尚更気の毒なループに陥っていく。解脱の単語も存在しない猿の自慰。
自分はこの社会では認められにくい、などと自嘲を気取りながらも社会の価値観を批判する一方で、その社会の価値観の最たる基準とも言うべき「10段階評価」で他者の価値を計る。矛と楯の故事を知るがいい。

大体が他者を批評するに当たっての基準が、まったく見えてないものが多すぎる。みんなが大好きなテストであればそこには明確な正解と満点が存在し、そのルールの中で競い合い優劣を付けることは可能だ。
これが批評となってくるとややこしいところはあるのだが、少なくとも論じ手の価値観や意識が示された上で語られるか、対象に対する独自な視点や切り口、あるいはまた対象を素材とした新しい主張などがなければ意味がない。感想とは違うのだ。
例えばどこかの小学三年生が小津安次郎の「東京物語」を見て「長くて寝ちゃった。見ている人のことを考えてないよ。エーガなんだから楽しませて欲しいな」と言ったところで誰も相手にはするまい。
同じことがネット上を埋め尽くしているわけだ。本人が退屈したことは感想に過ぎず、だから良くないと言うのは履き違いも甚だしい。書き手の価値観が脆弱、と言うより恐ろしく未分化なままで評論めいたことをするのは如何なものかと思う。ネットでの主張が飲み屋のバカ話よりは影響力があることを考えれば、その対象となる創作物などを送り出している側としては「営業妨害」に他ならない。もっとも同じことが娑婆のメディアにも言えるのだが。言論の自由という便利な言葉を覚える前に、節操という人の道を知るのが先だろうに。
念のため断っておくが、感想は自由であると思う。「私はこう思う」という態度であれば、良いのではなかろうか。好きにせよ嫌いにせよ、そう思ったのならそれは率直でかまわないことかと思われる。問題なのはそれが高じて変化し「好きだから良いもの」「嫌いだから良くないもの」といういたって乱暴かつ単純な論理の根拠とすることであろう。指摘されれば誰もが「そんなことは知っている」と言うのだろうが、身に付いている人はそう多くはないであろう。かく言う私も身に付いているとは言い難い。これを機会に改めていきたいなぁ。

ともかく物差しの単位がなんの権威すら持ち合わせていない個人の尺度では、まるで意味不明になるのは当然で、そこに娑婆の仇をインターネットで、というさらにいびつな問題が混じってくるとこれはもう近づいちゃあなんねぇべぇ。
かくしてインターネットは社会で成就されなかった怨念の吹き溜まりとなっていくわけだ(笑)
まがい物たちの楽天地、インターネット。良かったな、オオキド。
かねてより「自分の居場所」を渇望していたオオキドは正にそれを見つけたわけである。
全くどうにかならんのか、あの「自分の居場所が無い」という念仏を繰り返し唱えている信者たちは。耕しもしないものが実りを手に入れられるわけもないのだ。居場所がないならとっとといなくなれ。その方が人にも地球にも優しい。
生きとし生けるものが無意味な存在ではないと思う身としては、全ての死も無駄では無いとも考える。無駄な生の有意義な死ももちろんあり得るのだ。ただし中央線には飛び込むなよ。迷惑だ。
こういうことを言うと、反論されるのだろうな。「弱い者の立場に立ったことがないからだ」「弱い者の気持ちが分からない」だとか。断っておくが、見方によっては誰だって弱い立場や部分を持っていようし、私なんかひ弱なもんだ。だから弱い者や真性の病気の人を非難する気はない。強くなろうともしない者が他人をやっかむのが不愉快極まりないだけだ。

これからこの世界に自分の島を確保しようとするキミは、オオキドのように節操や恥を忘れてはなら…いや、忘れないのが望ましい。誰の中にもオオキドはひっそりと巣くっているぞ。

第五回「オオキド」

さてさて、何事も始めるに当たっては意欲と楽しみと夢がと下心がいっぱいであろう。

多くの人が自分だけのホームページ、自分も情報発信者になれる、その甘美な誘惑にあらがえず時間を惜しむことなく作り始めるはずだ。表現の自由が確保された素晴らしい世の中だな。
さぁせっせと作るのだ。
スキャナーだ、デジタルカメラが必要だ、ああ、お絵描きソフトだって欠かせない、ホームページ作成ソフトは……。
平成大不況を蹴散らしそうな物欲の奔流が押し寄せ、キミを電子の聖地・秋葉原へと押し流すであろう。
「ホームページが出来たら、色々な人が見に来てくれて、沢山の人がメールをくれて知り合いになれる…」
楽しく甘美で身勝手な夢に溢れた時を享受するであろう。わくわく。

ケ。現実を知るのはまだまだ先のことだ。
まさか折角手に入れたデジタルカメラが埃をかぶり、お絵描きソフトやHP作成ソフトが起動すらされない状態になるなど思ってもみない楽しい一時。とっくと味わっておくがいい。
「誰でも超簡単!あなたのホームページがすぐ出来る」などと書かれた腰巻きの付いた本を買い込み、早速素材を用意し、配置していくことになろう。CD-ROMに入ったテンプレートや画像素材集もある、気に入ってる他人のホームページのデザインなどをお気楽にパクれば、頭を使うことなんか一つもありゃしない。謳い文句に間違いなし。
「チョーカンタン!」
批判的な書き方をしてみたが、私だって概ねそんな微笑ましい関わり方であったのだ。

-自己紹介-
 もしキミがHP開設を目論んでいるとしたら、この回に至るまでに「基本的な態度」と「扱うネタ」という二つのアイテムは既にしかと胸に携えているはずだ。
しかしここでは少々角度を変えて、電子の巷に溢れる「よくあるケース」を考えながら、笑ってみることにしよ…いや、より良いHP運営の糧にしてみよう。

ここに一人の人間を想定してみる。
匿名性を考慮してここは一つ「オオキド」という名前にしてみよう。もしこれを読んでいる貴方が「おおきど」という響きを持つ名前の方だったらごめんなさいよ。貴方のことじゃないからね。
さて、オオキドはまず考えるわけだ。
「さあてと、コンテンツは何にしよっかな?」
読者のキミならここはもうクリアしているはずだが、闇雲に「HPを持ちたい」としか考えないオオキドの本領発揮はここからだ。
「そうだまず、自己紹介は欠かせないな。これからすっごく沢山の人が訪ねてくるわけだから、誰がこれを作っているのか知ってもらおう。オオキドのことを知ってもらいたい…」

正しい考え方であろうし、礼儀にも叶っているような気がする。
する、けどさ。
この「ボク(ワタシ)のことを知って知ってもっと知ってよ、お願いだから分かって分かって」光線は燦然と光を放ち、眩しいほどに肥大した「自己紹介」コーナーはかくしてどのホームページにも頑なにその大きな存在を主張することになる。
というよりはオオキドに代表されるこうした人々のホームページは、それ自体が自己紹介になっていることが多い。娑婆やインターネットに吹き荒れる「自己紹介ブーム」の一大旋風が止む気配はないらしい。
いや、それが悪いわけではあるまいし、私は過度な自己紹介などを返って面白がっている一人だ。ただそうした「自己紹介」という脆弱なコンセプトのHPは長続きすることはない。紹介したいような自己はすぐに底をついてしまうのだから。それではつまらない。
オナニーだけじゃ、わからないこともあるんだなぁ みつを
ちゃかしているわけではないが、どうせならもっと突っ込んだ自己紹介をすれば面白いだろうに。家系図をたどって一体私が存在するに至ったプロセスはいかなるモノか、くらいやってみるとか。みんなの大好きなアクセスカウンタはあまり回らないかもしれないが「徹底した自己紹介だけのページ」は魅力があるはずだがなぁ。少なくとも作り手自身にとっては。
HP制作の楽しみの一つに、外在化した自分を客観的に見つめられる、という効用があると思う。自分が作ったものを自分で見返して、客観性を養うということだな。いかに自分が格好を付けているかとか、頭が悪いなど様々な発見があるぞ。
どんなネタを扱うかは種種雑多ではあるが、その一つが「自分」であっても別に構わない気がするのだ。「自分マニア」という極小の閉鎖系もとことん突き詰めていくと、どこかで極大に至るのでは無かろうか。ただしある程度の客観視は当然必要。
芸能人やら人気商売の人ならいざ知らず、ごく普通の生活を送る一般人の私生活や生い立ちに、赤の他人がにわかに興味を持つはずもない。
自分を特別な人間と思いこむのはよいとしても、あたかも芸能人の様なつもりで書かれても見る人はさっさとバックボタンを押すに決まっている。そのくらいのことが分かっていた上でなら、「自己紹介」を徹底して楽しむことは出きるかもしれない。
「いいでしょ!私が好きでやっているんだから」
オオキドは反論するかもしれない。確かにその通りだ。
しかしオオキドは内心多くの人に来てもらいたいと熱望しており、実際アクセスカウンタが回らないと「インターネットはつまらない」という大雑把で否定的な感情論にすり替え、HPはうち捨てられてしまう結果となる。ここらあたりは少し大人になりたいものだな。
さてオオキドは「自己紹介」のページに、物欲の甘い囁きにそそのかされて購入したデジタルカメラを早速使い、写真を入れてみたりするわけだ。
「でもなぁ、自分の顔をさらすのも嫌だなぁ、そうだ、ここは一つ…」
お面をかぶったり、気に入ったモノだのフィギュアだのを写真に撮るのはよいのだが、そこに「著者近影」などというコメントを付けたりする、ギャグセンス最高なオオキド。おいおい。
いや、楽しいならいいけどさ、別に。
確かに女性の方は素顔を晒すのは注意がいるかもしれない。麗しい顔をアップしておけば一気にカウンタは回り、メールも続々と届いたりはするみたいだが、それで逆に困ったことになることもあろう。この世界にも娑婆同様ストーカーやいやがらせも存在する。実際その被害に遭っている人も多いようだし、巨大なサイズのメールを送りつけられ、開くと大きな画像で「男性自身がこんにちは!」というケースなどもあるとも聞くし。
送りつけられた方は実に気の毒だが、その写真を自分で撮ってる姿というのはちょっと笑える。
「自分のモノ」を紹介して、「交際相手求む」みたいな自己紹介を見たことがあるが、いくら「好きでやってる」にしても、それはいかんだろう、普通。
ただそこまで直接的じゃないにしろ「恥ずかしい自分」を晒すのは大概にしておいた方が良いだろう。自分は恥ずかしいと思わなくても、お客が恥ずかしく思うことも多々あるので、客観的な物の考え方も忘れちゃあなんねぇべ。
なるべくなら簡潔な自己紹介の方が、キミの品格を疑われないかと思われる。
そう言うお前の自己紹介は何だ?って。ふん、私の自己紹介は物忘れがひどくなった頃の私に向けてのメッセージなの。人前に出すなって? 出しとかないとどこにしまったか分からなくなるから。それじゃあ、もう呆けてるじゃないかって? だからこんなバカ文章を書いてるの。

第四回

何を載せていくのか?

当初の目的が達成された私は、最近小さなネタを見つけてはあれこれと駄文を書いているが、これはこれでなかなか楽しい。そう、続けるうちに発見する楽しみも実に多いのだ。
私も小ネタを書くためだけにならわざわざホームページを作る気持ちにはならなかったろうが、HPを持っていればこそ気軽に書いていけるという利点も見いだせた。いくら一人上手の私でも、誰に見せる当てもなくこっそり文章を書くような趣味は持ち合わせていないし、例え誰も読まないとしてもウェブに上げることを前提とすることで、客を意識する緊張感が私の文章表現を少しでも向上させてくれると思っている。ホントかよ?

当HPで読者プレゼントと称して行ったバカな企画も、継続ゆえの産物であった。こうした読者の方との対話性のある企画は非常に楽しませていただいた。
私の場合、この先娑婆の方で自分の作品制作が始まれば書くネタはいくらでも転がっているかもしれない。もっとも更新している暇があればの話だが。
あくまで計画ではあるが、次の作品制作の折りには現場からのリアルタイムの経過報告、ということも考えている。
そんな皮算用はともかく。
一つの目的だけではなく、幾重にも自分なりのテーマを張り巡らせておくとHP運営はキミに多くの実りをもたらすはずだ。自分を楽しませるために頭を使っても罰は当たらないぞ。気負って力んで飽きて作りっぱなしにするよりは、気楽に始めて呑気に楽しむくらいがよいかもしれない。
とにもかくにも作ってみないことには何も分かりはしない。私自身こんなにHP運営が楽しいものだとはついぞ思ってもみなかったのだから。
楽しいぞ、ホントに。

憧れの(笑)ホームページを立ち上げること自体は、技術的にさして難しいものではない。今日日、本屋に行けば懇切丁寧なマニュアルが並んでいる。私自身「情熱のPageMill2.0J for Macintosh」(こばやしゆたか・著/¥2300/SOFTBANK)というマニュアルにお世話になった。
「その段階が既にむずかしい」という方はちょっと、その、アレだと思うが。努力しろ。

私も最初はhtmlを覚えて、一見コンピュータを使いこなしているみたいに格好良く…とか思ったが三日で止めた。そういう「形」から入っての痛い失敗は既に何度も経験しているし、失敗は成功の母になれ。そして少年は神話になれ。いやそんなことはカラオケの席だけにしておくとして、諦めも大事なのだ。
「どうやってやるか」という方法論より「なにをするか」という目的論を大事にした方が実りは多い。方法論そのものを目的にするという手もあるが、これは続けるうちに虚ろな自分に気が付くだけになるのであまりお薦めしない。
htmlを知らずとも、ホ−ムページ作成ソフトさえ手に入れればワープロソフトと同じ様な感触で文章を打ち込み、絵を並べ、あとはマニュアルに従ってFTPソフトで契約しているプロバイダのサーバーに転送するだけのことだ。
何より大変なのはやはりその後の更新という鮮度を保つための努力になってくる。

もちろんデータベース的な性格のHPは存在すること自体に意味があるわけだが、ここではもっと個人的なHPを対象に考えることにして……あ、こう書くと何か最終的には何らかの結論を出さねばならないような雰囲気になってくるな。いかん、ただの書き殴りなのだ。
何らかの結論が出るのが望ましい程度に考えるのが望ましいぞ。

以前私が漫画を描き始めた頃にも思ったのだが、雑誌でデビューすること自体はそう難しいものではなくて、問題は「何を描き続けるか」になってくる。
「デビュー自体が既にむずかしい」という方はちょっと、その、アレだと思うが。努力しろ。
漫画について言えば「デビュー」すること自体は雑誌もたくさんある現在では比較的容易なのは間違いないわけで、それをクリアできないとなるとそれはもう職業にしていくのは、かなり、ちょっと、アレだろう。趣味として続けていくことを考えた方がいいかもしれない。夢なんかそうそううまく叶うものか。
「漫画家になりたい」、なぁに、デビューは簡単。ほらもう漫画家。夢は叶った。叶ったではないか。しかしそれで尽きる程、夢は人が良くない。膨れ上がる夢は次に言う。「売れたい」「ちやほやされたい」、ふん、ごうつくばりめ。それは難しい相談だ。売れない、ちやほやされない。そこですり替える。「好きな物を描き続けられればいいんだ」ふん、それほど深い自分も持ち合わせてもいなかろうに。ゆえにすぐに自分を汲み上げ尽くす。「才能がないから」、やめろやめろやめてしまえ。愚か者が。
「人前でわざわざ何事かを発表する」以上、言いたいことのない奴は成り立ちはしないのだ。自分をもう少し鍛えるが宜し。お前もな? うん。
「継続は力なり」という金言が思い起こされる。ただし世間には「継続だけが力なり!」という闇雲な作家の方もいらっしゃるようだが。まぁどちら様も銭は稼がねばならんので辞めるわけにもいかないのであろうが。

HPに関してはそれほど「テーマ」だのと振りかぶる必要も無かろうし、第一対価は発生しないのだ。合い言葉は「気楽」だ。
当たり前の話だが自分が楽なスタンスで楽しめるものを素材にしていくのが宜しかろう。素材にこと欠くようになったらまた探してくればよいのだ。
ただ、いかに対価は発生しないと言っても、人前にものを提示する以上、お客に対する責任は当然発生するので、自分なりの態度に従い、訪れてくれるお客さんのためにそれなりのサービスや「更新」の二文字は忘れてはなるまい。
更新の苦労と楽しみはまた後の回で触れるとして、次は「開設」までの経緯を追いながら、独り言を重ねるとしようか。
前置きばかりが長いように思われるかもしれないが、何も考えず闇雲に書き進めているのだ。すまん。

第三回

「インターネットが今面白い!!」などという、ある時期の電車広告に踊った文字に更に踊らされて多くの人々が電子の海に漕ぎ出し、今も尚多くの人がインターネットへの接続に頭を悩めながらもこの海へ船出を続けているであろう。通信事業は大儲けだな。
ある者はインターネットを有益なデータベースとして活用し、ある者は友達を探し、ある者はモロ見え画像を探して奔走しているわけだ。楽しきかなインターネット!素晴らしきかなグローバルビレッジ!!
そして更に更に「ホームページであなたも情報発信者!!」という安直な吊り広告にあおられて、見るだけでは物足りないような気にさせられちゃった者たちが、こぞって自分の島を浮かべることになる。
高度経済成長もかくやといった建設ラッシュだ。その証拠に見てみたまえ、何と「工事中」の多いことか。

見るとやるでは大違い、この周知の事実。
実際に作り始めて、私自身その運営の困難さに思い至った。鮮度を保つための更新は勿論のことだが、当初の一大目標であった「パーブル戦記」が完結してからは、「ネタ」の確保という問題の浮上してきた。

概ねHPを作るに当たっては、何某かの核となる主題を持っていよう。
車・バイク好きは愛車自慢や憧れのマシン、お絵描きが好きなら趣味のお絵描き、可愛いペットや子供の自慢や成長記録、旅人なら誰も読みたくならないような紀行文、溢れるスケベ心の持ち主は彼女自慢wihtFLMASK…
作ろうとする人は好きなモノや、自分が得意だと思い込んでいるモノを題材にしたHPを計画するであろうし、アップした暁には同好の士が集まり楽しくメール交換、の夢も広がっているに違いない。そんな格好の題材を持っている人はさして困ることもないだろうが、だからといって趣味のモノがなければHPを作れないかと言えばそれもまた違うであろう。
身の回りのことでも好きなものでも、表現してみたいことがあれば何でもいいのではないかと思う。気に入った「リンク集」というのもあるだろうし、「日記」でも「お気に入り」でも「ポエム(笑)」でも「評論(大爆笑)」でも何でも良い。ただしそれを他人が見たがるか、どうかは別だぞ。ここでは基本的に「自分がまず楽しむ」ことを主眼に置いている人を対象に考えている。何を偉そうに書いているんだか。

それにしても世間の「打ち込めるモノが無いといけない」といった風潮は一体どうにかならんのか。無いからといって、うつむいて過ごすばかりの人生になるわけでもなかろうに。
私自身長くはない実人生の中で、取りたてて何をしたいのか明確でない時期もあったが、ぷらぷらと色々なことに時間を過ごして、それはそれで楽しかったぞ。ケケケ。
何事も「あった方が望ましい」くらいに考えた方が気楽に生きられると思うのだがなぁ。
この「無いといけない」という文部省の悪魔の刷り込みが、現代社会の自称ナイーブな若者たちをして「やりたいことを見つけられない」症候群に追い込み、そこにつけ込んだ商売上手な音楽屋が「きっと大丈夫」「夢はいつか叶う」「分かり合える」などと一片の根拠もない歌詞を垂れ流しやがり、CDの売り上げだけは景気の良い数字が聞かれるわけだ。あ、じゃいいのか、それでも。
ケ。
未来がきっと大丈夫なわけもなく惨憺たる現実が待っているはずだし、そうそう夢が叶うわけなど無いのだ。何の積み重ねもなく叶う夢など、それこそ夢の世界の山の彼方のあな遠くのことで、現に世間には夢の残骸が累々と積まれているではないか。掃いて捨てやがれ。
まったくいたずらに人の心を煽るのは好かん。ましてや人間同士が完全にワカリアエルなど笑止千万。だから世の中がダメになるのだ。人同士は「まず分かり合えるわけもない」というところから始めるべき…いや、もとい、始めるのが望ましいのではないか。
それにしてももっと現実を見つめた歌があってもいいだろうに。「よろしくアトピー」とか「モラトリアムナイト」とか。
いいか、そんなことはどうでも。

私の場合、先に記したように当初HPの主眼となったのは「作品制作中のよもやま話」であった。しかしこれは現在既に完了してしまっている。
やることが無くなったらHPを閉鎖するというのも一つの手なのだろうが、何分どうにも楽しいと来ている。
何故楽しいのだろうか?
もちろんこの「パーブル戦記」連載中には多くの方からのメールもいただき、楽しい思いをさせてもらった。しかし本当に楽しかったのは「書くことそれ自体」であったような気がする。この、一人上手。
とかなんとか言いながら、実はHP開設に当たっては別な目論見も忍ばせてあった。

当時、まぁ現在もそう変わりはないのだが、私は文章を書くことを苦手にしており、かなりのコンプレックスすら持ち合わせていた。
仕事柄「企画書」だの「脚本」だのに関わることも多くなってきて、「文章を書く」ことからこの先逃げられそうにない、という危惧も浮上して来ていた頃でもあった。
「逃げちゃダメだ」が座右の銘だ。ウソつけ。
そこで、だ。ホームページを作り文章を無理矢理にも書くことで、上手になるのは無理でも何とか苦手意識くらいは克服できないものか、と考えたのだ。
そのお陰か。現在では絵を描くよりもこうしてキーボードを叩いて愚にも付かないことを垂れ流す方が楽しくなってきたほどだ。この気持ちの変化は意外であった。苦手の権化ともいうべき文章書きがこれ程楽しいことに反転するとは。
この楽しみを持続させるためにもネタを探させばならない。と意識も変わってきた。
かように当初の目的などすぐに一変するのだ。常に臨機応変な対処がキミのホームページの行く末を救う、ということも頭の片隅にメモしておくことをお薦めする。

その2「態度」

電子の海に自分の島を浮かべるに当たっての私の基本的態度は「私のために私が作る」という至って閉鎖的なコンセプトであった。
かと言って「自己満足」だけ、というわけでもない。

「お客さんに分かるように」という基本原則は、私の場合娑婆の仕事で身に付いた習い性でもあり、不特定多数の人を相手にする以上、HPを運営する人は頭の片隅くらいにキャッシュしておく方がよいかと思われる。
「自分が楽しければよい」というのと「自分勝手」ということの間には広くて深い川が厳然と存在する。自分が楽しいと思うためには少々の親切も必要かと思われるのだ。垂れ流しのようなまるで無益な独り言を書いて、それが楽しい、と言うのならそれでも構わないのかもしれないが、そう思ってしまえる自分をもう少しどうにかした方が良いと思われる。

どの程度までが「お客に分かる」範囲なのかは、作り手の資質や価値観や経験が問われるところであろうが、いかに親切に作ったところで「分からない」というお客が存在するのはこれはもう致し方のないところ。そこから先は「合わない」の一言で片が付く。「じゃ、見るな」というやつだ。
作品は作者の人と形を映す鏡であることを考えれば、娑婆でキミのことをみんながみんな好きなわけではないように、嫌う人が出てくるのは当然のこと。極端な話、多くの人にとって面白いと思われるモノを作ったが故に、それをやっかんで嫌う人間が出てくるのもまた現実。見た目の美しい女性が、他のそうではない女性の嫉妬の対象になるのも同じ。やっかみ、嫉妬は世の常。めんどくさいものだな。
無論作り手の無知ゆえに露呈する失敗や不親切も多々あるので、それは謙虚に反省して次への進歩のための糧としたいものだ。
逆にお客の無知ゆえに……まぁそれはいいか、親と客は選べるものではない。世の中は無知と蒙昧に溢れている。
例えばだ。
キミが一枚の「肖像画」を描いたとしよう。自分でもなかなかの出来映えにも思える、と。
ある人はそれを見て様々に言うだろう。「色が汚いな」「らしい感じがでてる」「好きだな」「何か嫌い」等々。批評にしろ感想にしろこれらは妥当なものだ。
しかし、それを見て「何故写真じゃないのか?」だの「額縁が付いてないのはおかしい」、果ては「これじゃ彫刻には見えない」などと頓珍漢なことを言い出す痴呆や精薄は数多に存在しやがるのだ。
ああ、めんどくさいものだな。
好きに見やがれ、という度量も大切かと思われる。

ともかく私の場合は「お客との距離」も「私が楽しければ」という仮定に含まれているつもりだ。

ありがたいことに現在では定期的に当HPを見に来てくれるお客さんもいるようだが、「自分のために自分が作る」というスタンスにあまり変わりはない。しかもこれは娑婆の仕事であっても基本は同じであり、ある程度一貫した生き方の態度のようでもある。
生涯一趣味人。私の魂は「書生」の域を脱していないのであろう。来世には「社会人」になれるかもしれない。
HPも創作物である以上、好評をいただけば無論大変嬉しいし、「パーブル戦記」連載中にいただいた読者の方からのメールは連載完結への励みにさせていただいた。リアクションがあれば嬉しいのは当然。
しかしリアクションを期待しすぎて反応がなかった場合、HP存在の根本的意義まで失ってしまうケースが多々あるようなので、慎重に考えるべきところでは無かろうか。関わる態度を、である。

HPを持つ多くの人が一度くらい感じたことはあろうが、自分のHPを開設するに当たって基本的な態度を考える必要があるわけだ。まぁ決めなければ決めないで、その都度好きにやっていけばよいという話もあるが、子供じゃないんだから、考えろ。
「態度」と言っても分かりにくいかもしれないが、例えばテキスト一つにしても誰に向けて書くか、という問題がすぐさま浮上してくる。
不特定多数の漠然とした「誰か」が相手には違いないのだが、「〜なのだ」「〜です」「〜である」「〜じゃん」「〜だっちゃ」という語尾一つとってもだぜ、「態度」とかが決まってないとぉ、HP全体の感じがバラバラになって来るじゃん?
どういうお客を対象にしているか、どう読まれたい見られたい、あるいはどう見せたい読ませたい、どこまで親切にするのか、等々考えるべきことは意外とたくさんあるわけだ。
運営を続けるうちにその態度が徐々に変わってきたり、固まってきたりすることも多いので、最初から無理矢理に決め込む必要もないかもしれないが、モノを作るに当たって自分の「関わり方」をある程度は決めてかかるのが、賢者になるための「明日のためのその一」であろう。
ただし「人気の出るページ」「めっちゃ面白いページ」などという相手の都合がかなり重要なコンセプトは、娑婆と同様すぐに痛い目を見ることが多いので注意されたい。と言うよりやめておけ。
思うような反応などがそうそうあるわけもないのだ。

大体考えてもみたまえ。他人のホームページを見ていて「面白いから」あるいは「つまらないから」という理由でメールを送った経験がどれほどお有りか?
少なくとも私などは数えるほどにもありゃしない。いや、ほぼ無い。
滅多なことで他人はキミのことなどに興味を持ったり、関わってみようとはしない筈だ。まずその現実をしかと胸に刻んでから、始めた方が健全であると私は主張したい。
多くの訪問者で溢れる人気のあるホームページは誰もが夢見ることであろう。そうした夢と期待に胸膨らませるのこともまた健全であり、創作への意欲を後押ししてくれるであろうが、膨らませ過ぎた夢が弾けてどれほどのホームページの残骸が電子の海に雨ざらしになっていることか。
先にも書いた通り、リアクションがないから止めよう、というのではあまりに楽しみ方を知らない大人のようではないか。アクセスカウンタが回ることだけが楽しみではない筈だし、もっと無邪気に「作ること自体を楽しむ」ことも考えてみた方がいいのでは無かろうか。
「自分を楽しませる」というのはコンセプトの一つとして考慮に入れても良い筈だ。

更に老婆心ながら付け加えておけば「ホントの自分を探す」などと言うこそばゆいコンセプトはやめておいた方が良いぞ。そういう人はラッキョウの皮でも剥いてみろ。それがキミだ。
私は剥いたことがないけど、ラッキョウってホントに剥いても剥いても中身がないものなのかな?

もしこれを読んでいる人で自分のHPを持とうという心意気のある人のために、以上のことを踏まえてちょっとだけ先人からの助言を一つさしあげよう。

まず決めるのだ、キミの態度を。

その1「序」

それにしても私は何故に一銭にもならないホームページ運営に一生懸命になっているのか。自分でも不思議である。
私は当HP運営のために娑婆での仕事の時間を削りかねない程に時間を使っている。仕事関係の人々の「HP更新の時間があったら、仕事をしろ」という物言わぬ冷たい非難の目を気にしながらの運営は、ただの趣味にしては肥大しすぎている気もする。
下世話に考えれば、もしHPにかかった時間を仕事に使っていれば、相当な収入になった筈でもある。銀行の残高は私に娑婆の仕事を要求しているというのに。

何故にそこまで?

それは私にも分からないし、このテキストの中でそれを探るというのも一興だ。どこまで本気だか。
ややこしい理由付けはともかく、基本的には私が楽しいと感じてしまう以上それで良いかと思って当HPを続けている。それに何よりお陰で多くの人と知り合う幸運や、いくつかの娑婆の仕事の依頼もHP経由で届けられてもいる。ありがとよ。
私が楽しめる以上、時間の許す限り今後とも精一杯HP運営を続けて参る所存ですので、読者の皆様からの益々のお引き立て、御指導ご鞭撻の程よろしくお願いいたします。ご静聴ありがとうございました。
終わってどうする。

そもそも私が自分のHPを作ろうと思ったのは、激情エロアニメ「パーフェクトブルー」がきっかけであった。何かに付け私の運命に絡みついてくる名前だ。因果の使徒だ。
アニメーション制作期間中の格闘の日々を、何かの形で残しておきたい、というのがHP開設当初の主眼であった。結果24回の長きに渡る超大作となってしまった「パーフェクトブルー戦記」である。

元来酒の席のヨタ話として忘却の彼方に消えていくことどもを、電子の形に留め、そして次の機会にその経験と反省を役立てようと思ったわけだ。意外と前向きな態度だ。偉い。
拙い作品の言い訳をしようと思ったわけではないし、貧乏自慢だけでもなかったのだ。
この連載もまた一つの「作品」のつもりであったし、「娯楽作品」として書いていたつもりだ。実際楽しんでくれた読者の方もいらっしゃったようで、娯楽作品の面目躍如である。さすが、俺。
とは言えやはり読者はまず「私」であって、私が面白ければそれで完結した最低限のループなのであるが。

この連載は「超巨編」にも拘わらず、お付き合いいただいた素人さんには概ね好評をいただき、玄人さんの眉をひそめさせることになったかもしれない。
知ったことか。
最低限の良識は越えない節度は保っていたつもりではある。保ってない? ま、いい。

私が楽しければ、良し。基本だな。
そんなの当たり前? もっちろん。しかし自分を楽しませるというのは意外と難しいという事実はご存知か?
「私のために私が作ってやる」これがまずHPに関わる私の基本的態度である、ということをご理解いただいた上で次の回に進むとしよう。

ホームページを作ろう(笑)

あらかじめ断っておくが、これから書こうと思っているのは巷に溢れる「ホームページ事始めマニュアル」「HP制作FAQ」「アクセスを増やす小粋なTIPS」「あなたも月見草でアクセスがみるみる増える」といった類のテキストではないぞ。
htmlもまったく知らず、見栄えを良くするTIPSだのも知らない上に、そんなモノに興味すらないし、あまつさえトラフィックを重くするようなそんなモノは甚だ迷惑だとさえ思っている私が、他人にホームページを作るためのテクニックだのを伝えられるとも思っていない。
だからこの先いくらこれを読んでもホームページを作るための具体的な方法などは出てきはしないので、もしそんなものを期待している人がいたらここで読むのを止めておくれ。そういうことは巷に溢れる解説書の類にしかと書かれている。
だからと言ってこれは「カオリン�のほーむぺーじ奮闘記」などという微笑ましいものでも、「マァ君のHP制作日記」といった腹立たしいものでも、「ホームページは楽しい!」といった意味不明の啓蒙のためのテキストでもない。
これは、そう!「死に行くしかなかったホームページたちへの挽歌」なのだ!!
冗談はやめろ。

まぁ「ホームページを作ろう(笑)」と呼びかけられたあなたも困るだろうが、当HPも意外なことに開設して一年以上も経過したわけで、最近あまり書くネタもないし、HPをネタにして色々と振り返り自分の反省も込めて書いてみようという程度のものだよ。