今日、20時から新宿眼科画廊に展示する全63点を搬入。
3時間以上かかって、飾り付けを終了。
うう、疲れた。
しかし、なかなかの壮観。自分で言うのも何だけど。
満足の行く展示スペースになったのではないかと思う。
明日の初日が楽しみ。
お時間のある方は遊びに来てください。
久しぶりといえば
昨日、仕事場で久しぶりに『ジョジョの奇妙な冒険』を見た。
ありがたいことに、DVDボックス全13話をもらったのである。
自分が担当した話数のレーザーディスクしか持っていなかったので、けっこう嬉しい。
自分の監督したものではなくても、「ボックス」というのは何かいい。
先日は、また別な筋から「レイ・ハリーハウゼン コンプリートボックス」というとてつもないボックスももらってしまった。かなり高価な代物である。小躍りするほど喜んでしまった。
近年、あちらこちらDVDソフトをいただく機会が多い。
みなさま本当にありがとうございます。
久しぶりに見た『ジョジョ』は大笑いであった。
私がコンテ演出を担当した話数は、制作当時は「第5話」だったが現在は「第12話」となっている。
「DIOの世界−花京院 結界の死闘」という回。
下手くそだな、私。
見ていて本当に情けなくなってくるのだが、同時にゲラゲラ笑ってしまいもする。
作ったのは、もう十数年前だろうか。初めてコンテ・演出を担当した仕事である。
上手な原画マンが多数参加してくれているので、見るに足るべきシーンは多々ある。
浜洲さんが担当してくれたシーンはいま見てもものすごくかっこいい。
しかしね。何といっても演出が下手くそだ。
しかも、原作ものとはいえ、やろうとしていることが現在とあまり変わっていない(笑)
ま、好みはあまり変わらないが、技術は進歩していることが実感できるのが救いである。
久しぶり
このところ全然ブログを更新できなかった。
「十年の土産」の準備で忙しかったのである。これから当日に向けてさらに忙しくなるが、とりあえず展示する数十点の額装がすべて目処が立ったのでホッとしている。
開催を企画した当初は、単純にこれまでのデータをプリントアウトすれば良いと思っていたのだが、データを開いてみると気に入らないことや不具合が多く、結局かなりの数に手を入れることになった。解像度が足りないものや、描写が粗いものを中心にレタッチしたり、合成する素材を足したりしてリファインした。
昔のイラストに手を入れられるのも、デジタルならではの効用だ。
昔の仕事に手を入れていると、なんだか他人の仕事をチェックしているような気分になってくる。アニメーション制作におけるレイアウトチェックや原画チェックのような。
目の前にある素材をどうすれば見るに足るものになるのかを考えるのは演出としてのチェックによく似ている。時に素材を修正し、時に素材を加えて画面をバージョンアップするのは「撮出し」とまったく同じである。
そう思ったら、どんどん手を入れたくなってきてしまった。
ここしばらく、本業そっちのけでデータのリファインに没頭していた。
合成用に新しいテクスチャ素材も手に入れたので、リアレンジと思いつつも本の絵と全くイメージが変わってしまったものもある。
久しぶりに大量に絵を扱っていると、右脳は活性化するようだが左脳の出力が低下するのか、どうもテキストを書く気になれず、折角のブログが放っておかれた次第である。
絵の準備が終わったので、これからまた少しはまめに更新できるはずだ。
昨日は『パーフェクトブルー』のセルを選別した。
いまだに『パーフェクトブルー』のセルが残っていたのである。元々スポンサーだった会社がどこかの倉庫に保管していた大量のセルがマッドハウスに戻ってきた。というのもマッドハウスが『パーフェクトブルー』の権利を買ってくれたから。今週末リリースされるリニューアル版DVDは、だから発売元がマッドハウスになっている。
大量のセルが私の仕事場に積まれているのだが、段ボール箱十箱以上でたいへんな場所塞ぎになっている。現在はまだ新作制作が本格化していないので、置いておくスペースもあるが、近い将来ものすごく邪魔な存在になることに間違いない。
どうせ取っておいても廃棄するしかないようなものである。
そこで、「オマケ」として配ることを思いついた。
「十年の土産」では『パーフェクトブルー』リニューアル版や過去タイトルのDVDの物販もあるので、一定額以上お買い上げいただいた方(条件は予定)に「カット袋ごと」プレゼントすることを考えている。
カット袋には、そのカットで使用したセルと動画、背景が含まれている。一部背景のないものもあるが、それでも見るに足るものだけを選別している。ものによっては100枚くらいのセルが入っている。
「こんなものをもらっても迷惑ではないのか」という気もするが、いまではすっかり見かけなくなったセルだ。取り出して眺めるのも悪くなかろうし、セルを組み合わせて背景の上に乗せれば、本篇の絵が出来上がる。
それがありがたいかどうかは分からないが、セルが欲しいという人も多いようなので、「十年の土産」のささやかなお裾分けに加えようということになった。
セルを希望される方は、お早めに。なくなり次第終了です。
もっとも、用意したカット袋がなくなるほど売り上げがあるとは思えないが。
「十年の土産」開催まであと5日。
棚上げにしておいたあれやこれやを片付けねば。
ファイト。
ありがとうございました
昨日の「新文芸坐アニメスペシャル・今 敏ナイト」にお越しいただいた皆さま、ありがとうございました。
私がこう言っては何ですが、トークのためにステージに出た際に感じた正直な感想はこんなでした。
「わ。すげぇ入ってる」
思いの外多くのお客様に客席を埋めていただき、本当に感激いたしました。
たくさんのお客様にお集まりいただいたにもかかわらず、万全な体調で臨めなかったことを申し訳なく思います。
トークイベントでは言い訳がましく触れたのだが、ここ2、3日、発熱によりダウンしていたのである。
木曜日に妙に身体がだるく感じ、会社で体温を測ると(仕事場の机の引き出しには体温計も用意してある)、7度8分。
「やられた」
己の不覚を呪うばかりである。
すぐに自宅に引き上げて安静にしていたのだが、熱はさらに上昇。下がる気配が一向にないので、翌日やむなく病院に行って点滴してもらい、処方してもらった薬を飲むが熱はさらに上昇。
イベント当日の昨日、朝方には9度5分まで上がっていた。
イベントに穴を空けるわけには行かないし、高熱を押して出演するのはよいのだが、しかし「ただ出た」だけでろくに喋れないのではお客様に申し訳ない。
病院で処方された薬には解熱薬も含まれていたし、さらに別な薬を飲むのは少々不安だったが、9度5分の朦朧とする頭で「やむを得ない」と判断して錠剤を二つ飲んだ。
「頼むぞ、バファリン」
これが効いたらしい。
間もなく7度代まで熱が下がり、さらに平熱まで下がり、パソコンで作業できるほどに回復し、さらには5度7分まで下がる。
「下がり過ぎじゃないのか」
という気もするが、とりあえず一安心。
喉の痛みと身体のだるさは仕方がないし、本調子には程遠いが40分ほど人前で喋るくらいは何とかなる程度に回復したのは幸いであった。
たいへん急ですが
今日の夕方、NHK-BS1で私が参加した文化庁メディア芸術祭ワークショップ「アジア学生アニメコラボレーション」の模様が紹介されるそうです。10分間ほどだそうですが、興味のある方は是非御覧下さい。
番組名:アジアクロスロード
放送局:NHK BS1
放送日:2008年2月14日(木)
16:40〜17:57
(紹介予定時間は17:30頃より10分ほど)
http://www.nhk.or.jp/asia-cross/
もっと編集を
昨日は起きると外は雪景色。
部屋の窓から見える電線の上に鳩が三羽。肩をすくめたようなかっこうで固まっているのが見える。いかにも寒そうだ。
雪は積もりそうな勢いで降っていたが、やがて小雨に変わる。
やはり東京は暖かい。ふるさと北海道に比べて、の話だが。
化石燃料を燃やして地球温暖化に棹さしながら、暖かい部屋の中で私はニューアイテムと対面する。
神戸出張があって開梱もしていなかったが、先日スキャナ&プリンタが届いた。
先週、家内がパソコンを新調するというので吉祥寺のヨドバシカメラに付き合い、その時ついでに自分用にスキャナ&プリンタ一体型のEPSON「PM-T990」を買ったのである。
去年、部屋の一新を図った際スキャナやらプリンタをまとめてぶん投げてしまったので、画像の入出力装置が失われており、少々不便を感じていた。
一体型にしたのは省スペースのために他ならない。
A4サイズのスキャナ・プリンタでは物足りないが、A3対応でははなはだ場所を取るし、それらは仕事場にあるので自宅では極力コンパクトであることを優先する。
しかしまあ、パソコンにしろ周辺機器にしろ安くなったものである。一体型で4万円もしないなんて。
店頭で見たときと比べて、本体を取り出すとさすがに部屋の中では大きく感じるが、それでも十分コンパクトである。給紙排紙ともに省スペースが考慮されているのがよろしい。
ネットワークで接続し、本体をセットアップ。さらにパソコンにソフトをインストールしてセッティング完了。問題なく動作する。
先日、家内のマシンをセッティングしていた際にも感じたが、近頃のパソコンも周辺機器もセッティングや扱いが実に簡単になったものだ。10年前の手間暇がウソのようだ。
17時からマッドハウスの会議室でNHK「デジスタ」の打ち合わせ。3/13放送予定の「今 敏セレクション」で取り上げる4作品の選考である。
終わったのは19時45分。3時間近い打ち合わせである。
長い打ち合わせだが、応募全作に対してなにがしかコメントするのがキュレータとしてのつとめであろうし、セレクションする4本に対するここでのコメントや批評、感想が番組台本作成の基礎となるので、私の喋りが多くなるのも長くかかるのも致し方ない。
しかし喋り疲れた。腹も減った。
打ち合わせの後に飲んだ生ビールの何と美味しいことよ。
うむ、仕事の甲斐もあろうというもの。
さてその打ち合わせ。
前日に選考対象となる作品はすべて目を通しておいた。今回は応募作の数は20を越えるくらいで、いつもより少なめ。
デジスタでレギュラーのキュレータを担当するようになって今年で5年目だろうか。
これまで自分の担当回と年間のグランプリを決める「アウォード」を含めて随分たくさんの応募作を見てきたが、確実にクオリティは平均的に上がっている。
パソコンが扱いやすくなって、ユーザーとの親和性が高まったのも一因かもしれない。
以前は最後まで見るのがかなりしんどい作品(と呼べないものも多かった)、正直途中で見るのをギブアップするものも多かったが、最近の応募作はそれほど苦痛を感じずに最後まで見ていられるものが増えたように思う。
第一、闇雲に長いものがない。
リストを見て尺が10分以上あると、それだけでげんなりする。
10分なんて短いと思われる向きもあるだろうが、よほど映像やその文体がこなれていない限り、10分600秒を飽きずに見せるのは難しい。そんなに「持たせる」ことが出来ればそれだけでたいしたものだ。日々垂れ流されているアニメだって10分持たないものが多い。
最近の応募作は、見る人のことまで考慮されている(と覚しき)ものが増えてきている。
全体に画面のクオリティも上がり、何より見やすくなった。
しかし、なぜか全体に同じような傾向を感じる。
私が選考する対象作がたまたまそうだったのか、他のキュレータの方々が担当する応募作すべてを含めての傾向なのかは分からないが、以前と比べて妙に平均化されてきているようにも思える。
手法や内容は多岐に渡るので、見かけが似ているということではない。もっとも、フル3Dの映像作品は見かけが似たような印象を受けることが多いが。
アニメーションの手法は手描きや切り紙、CGやクレイなどなどアナログデジタル色々で、それらに実写なども組み合わせて実に見かけは多様であるのに、どういうわけか同じような印象を受けるケースが多い。今回は特にそうだ。
テンポである。
テンポに同じ傾向が感じられる。
もちろん異なる作品がみな同じようなテンポで作られているということではなくて、「テンポの変わらなさ」というか「テンポの扱い方」に似た感触を覚える。
要するにこんなようなこと。
「緩急に欠ける」
私も人様のことは言えないが、しかし、応募作で気になるのは、テンポに変化がないため見ているとすぐに飽きて来るのである。
もちろん作者とてテンポが重要なことは分かっているだろうし、実際に変化をつけてはいるのだが、緩急の落差が足りないのではないか。
だから見ていると「読めてしまう」のである。
映像を見るとき、しばらく見ているとその映像固有のテンポやリズムがこちらに入ってくる。それがすでにこちらの生理と「合う」「合わない」という問題は何より大きいが、それは措くとして、その固有のテンポ、リズムが分かってくるから映像を一つながりのものとして見ていられる。
以前の応募作では固有のテンポさえまとまりに欠けているものが多かったが、そのあたりが一段進歩したのか、テンポはまとまるようになってきている。
だが、そのテンポが最初から最後まで一本調子になっているものが目立つ。今回の選考では、半分近くにそんな印象を受けた。
その映像固有のベースとなるテンポとリズムがあって、それが変化するから見る側は「刺激」を感じるのであり、その「刺激」が次を見たいという興味につながる。
ここでいう「刺激」は別に「刺激的」などというときの極端さではなく、「わずかな変化」をも意味している。
映像固有のテンポとリズム、という場合、そこにはすでにその変化をも含意している。であるにもかかわらず変化に欠ける、というのは「変化の仕方が変化しない」ということである。ややこしいかもしれないが、変化の仕方が変化することが演出であり、映像編集の要であろう。
見る側から考えるとこういうことだ。
映像を見始めてしばらくすると、その映像固有のテンポとリズムがこちらに入ってきて、それをベースにして見て行くことになるが、映像がそのリズムの通りに最後まで続くと、見る側と映像の拍子が合い続けてしまうために意外性がなくなり、結果見飽きてくる。
極端に言えば、次の「刺激」を見る側が「待ってしまう」ことになる。
「刺激」を待ってしまう、つまり退屈ということだ。
次に来る刺激がすでに分かっているのにまだ来ない。
これはイライラする。
たとえば、オチがすでに分かってしまっているのに冗談を聞くのは誰だってつまらない。
話者の側からいえば、聞き手がすでに先回りしていることに気づかない。かなり滑稽な状態で、その事態そのものの方がよほど冗談になっている。
映像においても同じことで、客に先回りされてばかりでは演出の惨敗である。
演出としては見る側に先回りさせたつもりになってそれを外すくらいが芸というものだろう。
そのためには見る側にまずベースとなるテンポやリズムを提示することが必要である。そうでなければ客が先読みすることも出来ない。予測が時に合致し時に外されるから見ていて面白いのである。
「外す」ということが演出や芝居、編集の醍醐味である。
「こう来たらこうなる」というベースが共有されていれば、「こう来たのにこうならない」とか「こう来ないのにこうなる」といった「外し方」が有効になる。
ベースとなるテンポから「一拍早い」「二拍遅くする」といったような「外し」。それが見る側に刺激を与え、意外性につながる。
その外し方そのものを生理的に持っている人ならともかく、真面目な作者ほど自分の生理的なテンポやリズムに忠実であろうとするらしく(それが正しいとさえ思いこんでいる場合も多い)、結果的に一所懸命に一本調子のものを作ってしまうことになるのではないかと思える。
つまり予定調和。語り口のつまらない人の典型であろう。
素人レベルに限らず、プロに至るまでよく見られる傾向であり、そのくらい厄介なものである。テレビにしろ劇場にしろ、アニメーションは予定調和のテンポで埋められたものが多い。
おそらく完成した映像を見て、作者本人は自分の生理で埋められていることに満足するのだろうが、それこそが自己満足の陥穽というものである。
自分も意外に思えないものが他人がそう思ってくれるわけがあるまい。
自分や自分の創作物を客観的に見ることはそれはそれは実にたいへん非常にとても難しいことだが、しかし自分の生理すらも編集するつもりがないと、自己愛にまみれたつまらないものにしかならない。
なにより自分が大事、では面白いものは作れない。少なくとも、そういう態度が透けて見えるものを私は面白いと思わない。
自分が手間暇かけたものをなるべく見てもらいたいという欲望は無論大事だし、素材やカットを作る際には大きな力になるが、しかし出来上がった映像を編集する際には「他人の目」が必要である。無論、他人になることは出来ないので、なるべく客観的とか、別の人格になったつもりで、ということであるが。
編集においては、自己愛と対極ともいうべき容赦のない態度が必要であろう。
「折角作ったものでも必要がなければばっさり切る」
それが本当の「愛」というものだ。
だって、他者への思いやりこそが愛なんだから(笑)
制作している当の映像という迂回路を通して自分をわずかにでも客観的に把握することもまた映像制作の楽しみである。自己満足では閉じてしまうだけだ。
「デジスタ」応募者に限らず、映像制作をしている方々はもっとシビアに編集すると、作品はぐっと良くなるのではないかと思う。
実際、今回の応募作のうち2〜3割は編集や芝居の緩急次第で随分面白くなるのではないかと感じられた。傑作の一歩手前、という作品もあった。
編集に際しては容赦のない態度が必要だと書いたが、それはたとえば自分が作った映像を前にしてこんな態度をとることだ。
「何だこんなもん」
そして次にこう思う。
「これから面白くしてやる」
そういうものだと思う。
意外と無邪気
昨日はNHKで「アニ*クリ15」のハイビジョン試写。
「オハヨウ」は今後のハイビジョン対策としての位置づけも担っていた仕事だったので、是非とも大画面でのチェックをしておきたくて、この試写をお願いしていた。
NHK内にある試写室は、小ぶりな映画館を想像していただければよい。そのスクリーンに映すのだから、テレビサイズより遙かに大きい。
「オハヨウ」だけではなく、「アニ*クリ15」全15本を上映するので、他の作品の監督や関係者なども来ておられる。試写に参加した関係者は、全部で30人くらいだろうか。
全部見てもたったの15分なので、通して2回見せてもらった。
上映の結果にはたいへん満足している。
プロジェクターの性能のせいか、横方向の動きがあると走査線が目に付くのが気になったが、画質としては申し分ない。これまで仕事場や自宅のモニタで何度か見ていたが、暗く潰れてしまって不本意に思っていた箇所がすべてクリアに映し出されていた。
思った通りになっていた、といってもいい。たいへん気分がよい。
テレビモニタのサイズでは気づかなかった点も多く、今後の映画制作にとって非常に参考になる試写であった。
ありがとうございます、NHKさま。
試写の後は、打ち上げ。ビールとワインで乾杯し、楽しい一時を過ごさせてもらった。
しかし、皮肉なものである。
「アニ*クリ15」の企画をいただいたのが一昨年の末の頃だったろうか。企画書にはこうあった。
「NHKイメージアッププロジェクト」
不祥事続きのNHKのイメージを少しでも回復するべく、またNHKに馴染みの薄い若者にも届きやすいであろうアニメーションという方法で考えられたのがこの「アニ*クリ15」という企画である。
それが打ち上げの日に世間の話題は「NHK職員によるインサイダー取引事件」である。
さらなるイメージ回復企画が必要であろう。たとえばこんな。
「アニ*クリ365」
さぞや見るのがたいへんだろう。
さて、近頃NOTEBOOKの更新が滞っているのは、ブログに飽きたわけではない。
書きたいことは色々あるのだが、雑文書きに意識が向かなくなっている。
というのも、珍しく絵を描くのが楽しくなっている。
絵を描くことを生業の基本に据えているにもかかわらず、「珍しく楽しい」という話もないのだが、私は年々こういう態度になってきている。
「絵なんか」
いや、もちろん絵を描くことに飽きたことはないし、絵を描く仕事も楽しいのだが、近年の傾向は絵を単なる道具として突き放すことで、絵を描く作業そのものに意識が埋没しないように抑制している。
「監督」という立場上、個人的な楽しみとして絵を描いていては見失うことが多い。
私の意識としては、一絵描きが監督をしているのではなく、監督としての意識を上位において、絵描きはその指示によって作業を実行する、というのが基本的なスタンスである。
もちろん、両者に明解な線引きを与えることなど不可能だが、そのように意識している。
だから敢えて自分の絵を描く技術や能力に対してこう思うことにしてきた。
「なんだこんなもん」
だから、絵を描くことそのものが楽しい、というのは珍しいのである。
最近は自宅で絵を描くこともなければ、パソコンで絵の作業をすることもない。自宅で仕事をするといえば、テキスト仕事だけである。
なのにこの何日か、どうにも仕事をしたくて仕方がない(笑)
勤勉、というのではなく、早く絵を描きたいのである。
無邪気、といったほうが適切であろうか。
仕事場で中途にしていた絵のデータをUSBメモリに入れて自宅に持ち帰り、ついついデータを開いてしまう。開くと、ついつい作業を進めてしまう。子どもみたいだ。
私の日常は、朝起きてコーヒーを飲みながらまずメールのチェック、ネットを閲覧、それから前日の日誌を記し(ボケ防止のために前日を思い出すことにしている)、キーボードを叩くことで脳を起動する。そこで興が乗れば雑文書き、ということになる。
その「雑文書き」が来るはずのスペースを「絵を描く」に奪われているここ数日である。
じゃあ、今日はなぜこうして雑文を書いているかというと、USBメモリを仕事場に忘れてきたからだ。
しかしまぁ、起きていきなり絵の仕事を始めたくなるなどという欲求なんて、20年ぶりくらいではないのか。
まことにもって、稀にみる傾向である。
別にたいした絵を描いているわけではない。
新作のキャラクターデザインをしているだけである。
新作のキャラクターは私以外の人にデザインを頼みたいと思って、これまで突き放した態度でいたのだが、いい加減にビジュアル面をキックオフしないことには進むものも進まなくなるという危惧もあって、自分で手をつけた次第だ。
私が描くと絵が難しくなるという傾向は自覚しているし、私のキャラクターデザインはあまり人好きのするものではないようだ。つまり可愛くない(笑)
しかし、誰かに頼むにしても叩き台がないことには世界観を伝えにくいので、「やむなく」というつもりで手をつけたのだが、これが妙に楽しくなってきてしまったのである。
「しまったのである」という話もないだろうが。
新作に必要なのは、私がこれまで描いたことのないタイプのキャラクターであり絵柄なので、「いつものやり方」が通じない。
「いつものやり方」というのは、言葉を換えれば「得意なやり方」である。
その自分の得意な方法を使えない、というのはまことに不自由である。
不自由だから上手く描けない。全然上手くない。
上手くないので、少しでも上手く描けるように、これまでと違う回路を起動する必要に迫られる。
それが「珍しく楽しい」原因であろう。
慣れたやり方、得意なやり方をしていると、ついつい「お仕事」の濃度が高くなる。
これはこれで楽しいのだが(私は仕事が楽しくなかったことなどほとんどない)、慣れない絵を描くということは一旦「無能」に近いところまで自分が引きずり下ろされることになる。
だからって普段が特に有能というわけではないが、それなりの報酬をいただけるくらいの技術は身につけてはいる。
それを一旦「捨てる」ということは、目の前にとても「恥ずかしい絵」が出来することになるわけで、自分が下手な絵を描いているのはどうしても許せないから、ついつい取り組んでしまうわけだ。
私もけっこう若いな。
うん、悪くない悪くない。
今年最後の神戸出張
木曜日からレギュラーの神戸出張。
前日までに終わらせるはずだったプロットの仕事がなかなか終わらず、出発直前までかかってしまう。
プロットといっても自分の監督するものではなく、さる筋から依頼されたもの。
随分前から抱えていたにもかかわらず、「オハヨウ」にかかりきりになってしまい、結局12月まで引っ張ってしまった。
関係者の方々、申し訳ありません。
気に入ってもらえれば幸いだが、こればかりは相手のあることゆえ何とも分からない。
結果はどうあれ、仕事に一区切りがつくのは気持ちの良いことだ。
少しばかり気も軽くなって新幹線でビューンッ!
新幹線の中では、頼まれている「コメント」を考える。
ある絵本の帯に載せるコメントである。
送ってもらった原稿データをPCを開いて読む。
「あ……これは……」
うっかり泣きそうになってしまった(笑)
とても素敵な絵本だ。
出版されたら、当ウェブサイトでも是非紹介しよう。
しかし「今 敏」の名前とコメントではこの絵本を推薦するどころか、逆に足を引っ張りかねないのでは……という巨大な懐疑が頭をよぎる。
本当に私で良いのだろうか。
とりあえずコメントは考えたものの、締め切りまで「寝かせる」ことにする。
読みかけていた本を一冊読み終える。
『歴史を精神分析する』岸田秀(中公文庫)
読みたいと思っていた『官僚病の起源』の文庫化。
たいへん興味深くついつい一気に読んでしまう。
官僚の腐敗は、当人たちが所属する「自閉的共同体」に忠実であるが故に起こることであり、身内で高じた仲間意識が組織外に出力されると国民の生命すらないがしろにするような結果を招く、と。
組織の病。
身内の幸福は他人の不幸の上に成り立っている。
よく見かける構図だ。
続いて斉藤環先生の『思春期ポストモダン 成熟はいかにして可能か』(幻冬舎新書)を読む。
う〜ん。そんなに生きづらい世の中なのか、本当に。
どうも実感はないなぁ(笑)
とはいえ、近代社会が成熟するということは(というよりも単純に経済的に成長して余裕が出来るということだと思うが)、その成長や成熟のぶんだけ「個人の未熟さ」を許容できるということになるから、大人になれない、あるいは大人にならない人、子供のままの人が増殖するということか。
豊かな経済が幼形成熟を促進する、と。
ちょっと笑ってしまったのが、海外との言葉の比較。
「学卒後もなお親と同居し、基礎的生活条件を親に依存している未婚者」を日本では「パラサイト・シングル」という和製英語で呼ぶが、韓国では「カンガルー族」、ドイツでは「ホテル・ママ〈ママという名のホテル、の意〉」と呼ぶのだそうな。
「カンガルー族」という言葉はそれほどでもないが、「ホテル・ママ」には実態は分からないがかなり侮蔑的な気配が感じられる。
少なくとも「パラサイト・シングル」という「ライフスタイル」よりは選びたくない感じが伴う。
やっぱり名称は大事だ。
韓国では「長期間ひきこもってゲームしかしないような生活になってしまう」若者をこう呼ぶらしい。
「廃人族」
すごいなぁ(笑) 身も蓋もない言いだ。
そうまで言われたら「なりたくない」と思うのではないか。「廃人族」。
ただの「廃人」ではなく、「族」である。
こうした名称の持つ抑止力はバカに出来ないように思う。
病気でもないのに、働きもせず家族に寄生して生きているような人はこう呼べばいいのだ。
「穀潰し」
広辞苑によると、この言葉の意味は
「食べるだけで何の役にも立たない者。多く、人をののしっていう語。」
そういう意味では、こういう人は会社の中にもいっぱいいそうだが。
罵りの対象とすればそういう人の数も随分減るのではなかろうか。
乱暴な意見だとは思うが、どのような名称をつけるかによって実態も大きく左右されることは間違いないような気がする。
「ワーキング・プア」なんていうから、格差が見えにくいのであってちゃんと言えば宜しいではないか。
「貧乏人」
先日読んだ橋本治の『日本の行く道』にそんな指摘があったような気がするが、名づけによって見えにくくなっていることもさぞや多かろう。
いまとなっては「ローン」が当たり前になってしまったが、昔は「月賦」といった。
もし「げっぷ」という言葉の響きがいまも生き残っていて活力があれば、自己破産やらカード破産なんて随分数が減っていただろうに。
言葉の魔力、侮るべからず。
「敗戦」を「終戦」と言い換えて自己欺瞞を重ねる国においては特に要注意。
新幹線とホテルで随分読書の計が行った。
これで何とか年間予定読書量に達する見込み。
しかし、月10冊読むのが難しいようではあまりに情けない。
来年はもっと読みたいものだ。
明けて金曜日は昼ご飯に「藪そば」。
以前、よく「鴨せいろ」を食べにいった荻窪の「藪そば」(残念ながらいまはすでにない)の系列なんだろうが、味が全然違う。
「何でこんな味?」
何で付け汁がこうも甘いのだろう。
甘い方が美味しいと思う人が日本では大勢をしめているのだろうか。
それともこれが関西風なのか?
まさかとは思うが、どうして関西では美味しい蕎麦に出合えないのだろう。
ラーメンもだけれど。
うどんだけ?
「アートカレッジ神戸」の今回の授業は少しイレギュラー。
「オハヨウ」をネタにお話しするということで、アニメーション学科と声優学科合同の90分が手始め。
用意していたデータの不具合も手伝って、あまり参考になるお話も出来なかったかもしれないが、本作で声の出演を勤めてくれた麻植さんにも協力いただいて何とか終了。
続いて、1年生、2年生をそれぞれ90分。
それぞれの作品が年度内にちゃんと完成するかどうか、それが何より気がかりだ。
2年生は就職活動中の子たちもいるので、心して制作に励んでいただきたい。
今年最後の授業が終わった。
みなさん、良いお年を。
休みの間もちゃんと一人で絵の練習をするように。
授業終了後は、神戸版「オハヨウ」打ち上げ。
東京版の打ち上げは先日済ませたが、神戸スタッフともちゃんと打ち上げを済ませないと、仕事の「切り」がつかず落ち着かないというもの。
単に美味しいものを食べたいだけ、という話もあるが。
今回は三宮にある「あわじ」という焼肉料理店。
http://r.gnavi.co.jp/k539401/
焼肉屋という感じではなく、焼肉割烹といった趣。
新鮮そうな素材を炭火で焼いていただく。
メインの肉はもちろん、少しずつ盛られて出てくる「内臓系」も美味しい。
何より、落ち着いて食べられるのが良い。
「主演女優」さんを囲んで、声優学科の先生とともに「乾杯」。
本当にお疲れさまでした。
私も疲れたよ。
後から広報課長が合流。
課長には申し訳ないが、こちらはちょうどデザートまでいただいたところだったので、次の店に流れることにする。
さて、行きたいと思っていた店がある。
以前、NOTEBOOK「たわけて神戸」で紹介したバー「mishima」。
残念ながらこの店でお気に入りの2階席は満員とのこと。繁盛けっこう。
しかし初めての1階の席も実に快適で、私はウィスキーをいただきつつ、さらに歓談する。
「演技っていうのはさ……」
などと、分かった風なことを言ったかもしれないし、そこまでバカにならなかったかもしれない。
日常における哲学を喋ったような気もするが、話している内容などどうでもいいような気がするほど心地の良い店である。
先月二日続けてきただけの「お客」を、店の方は私を覚えていらしたとのこと。
私は店の方におぼえていただくことが多い。
まぁ、特徴のある外見だし。さながらスタンプみたいなものだ。長髪を後ろに結んで広いおでこにメガネにヒゲ。無駄に背が高いし。
お店のママさん曰く。
「役者さんか何かと思ってました」
そんなわけないでしょ(笑)
口の上手さがこの店に繁盛をもたらすことでしょう。
来月も、是非行きたいと思います。
『パプリカ』DVDアメリカ版
出社したら机の上に見覚えのあるビジュアルのDVDが置いてあった。
『パプリカ』のアメリカ版DVDである。もちろん左側が表で右が裏。

ジャケットは日本では使用されたことのないビジュアルの筈。
私が作成したものではなく、SONY PICTURES CLASSICSさんの方で用意してくれたもので、去年のヴェネチア映画祭の時から使われている海外用のメインビジュアル。
通常、こうした海外のビジュアルは制作者とは無関係に勝手に作られるもので、『MILLENNIUM ACTRESS』の無残な姿が好例である。
あまりに不愉快な画像を紹介したらこのサーバが腐るに違いないので、お見せしない。知っている人も多いだろうけど。
『パプリカ』のこの海外用メインビジュアルは一応監督にアプルーバルを求めてきたもの。ソニーさんのご配慮に感謝する。
私は作成に関与していないが『パプリカ』のビジュアルとしてまったく問題のないものだと思っている。というか、このビジュアルに触発されて国内用のメインビジュアルを作ったといってもいいかもしれない(笑)
パプリカの顔はどうやって作ったのかわからないが、ベクトルデータのようなので、キャラ設定か何かをもとに誰かがPCでトレースしたのであろう。
画面を埋める有象無象たちは本篇素材だろうが、加工されて実線が目立たなくなっている。どういう加工なのか分からないが、レタッチされた形跡もあり、丁寧に素材が作られている。
アメリカで「好まれると想定される」センスは私にはよく分からないが、映画の中身や画面のテイストが捻じ曲げられるようなビジュアルでなければ別にいいのではないかと思う。
まぁ、さすがにこのビジュアルを国内で使われるとなると、「うん」とは言えないが。
ちなみに私の手元に届いたこのDVDは、付されていた伝言によるとこういう経緯でここにある。
「(マッドハウスの社長が)アメリカ出張の際、購入してきました」
お土産でなければもらえないのか(笑)
ちなみに『PERFECT BLUE』も『MILLENNIUM ACTRESS』もUSA版は誰かのお土産でもらったのであった。
副業の二日間
金曜日は蒲田にある日本工学院で「アニ*クリ15」のイベント、土曜日は「デジスタ・アウォード2007」生放送出演と、二日続けてのイベント。
いずれもNHKの仕事である。
これまで出演させてもらったTVは99%がNHKではないか(笑)
監督としての出自が「15R」であったことを考えると、NHKはあまり似つかわしくない気もするが、出演や仕事のお誘いをいただけるのはありがたいことである。
TV出演が好きなわけではないが、普段の仕事では出会わない方々と交流を持てたり、見慣れないものに接することが出来るのが面白い。
それに、特にNHK出演などは北海道にいる親が喜んでくれる(笑)
「アニ*クリ15」のイベントで初めて揃った15本の短編アニメーションを見る。
第1、2シーズンの各5本はDVDですでに見ていたが、第3シーズンの自分以外の作品を見るのは初めて。第3シーズンは時間的に余裕があったせいもあるのだろうが、テンションの高い力作や手間がかかった物が揃っている。
「変形」がお得意の川森正治さんの異様に高いテンションや、1分間に47カットも詰め込んだ前田真宏さんの力業も可笑しい。新海誠さんも1分を上手に使った丁寧な作りである。
私の「オハヨウ」が最も地味で、ある意味面目躍如であろう。
15本すべてを見ると、ちょっとしたネタの偏りが感じられて興味深い。
宇宙人が登場するものが2本、自分の仕事場周りを描いたものが2本、巨大化するものが3本、メカやロボットが登場するのが4本。1分という短い尺で、内容に特に制限がないと業界人には扱いやすいイメージなのかもしれない。
ネタかぶりはあるものの、15本に見る表現は多彩で、この企画に対する作り手の態度や温度差が感じられて面白い。いい企画だったと思う。
だがもっとも気になったのはこんなこと。
「みんな、予算内で作れているのか?」(笑)
この日のイベントに一緒に出演されていた前田真宏さんは私と同じような状況だったらしい。
「自分のギャラはない(笑)」
「だよね(笑)」
真面目に作るとそういうことになってしまうのは明白で、ある意味「罠」のような企画である。とはいえ、前田さんもとても楽しく制作されたようで、私も十分以上に楽しませてもらった。この企画にお誘いいただけて本当に良かった。
イベントは、日本工学院の学生さんが会場を埋めてくれたおかげでたいへん盛況であった。15本すべてを見てもらい、NHK柏木プロデューサーの進行で前田さんと私が、1分という尺に対する解釈やそこに込めた意図、制作裏話などを披露する。
前田さんとは以前2,3度面識があった程度で、あまり存じ上げないのだが、楽しくお話しさせてもらう。根が陽気、というかどこか開放的で風通しのいい方である。私のように「どうも発言の真意に裏があるのではないか」と思われやすい人間にとっては羨ましくもある。
楽しくおしゃべりしているうちに、あっという間に時間が過ぎる。
トークイベント後、数社のメディアによる囲み取材。こんな質問があった。
「もし次にまた1分で作るとしたらどんなものを考えますか?」
はは、そりゃ簡単だ。
「オヤスミ」に決まっている。
昨日は「デジスタ・アウォード2007」の生放送出演のため、正午に有明パナソニック・センターへ。
快晴の日差しが有明へ向かう車を照らし、眠気を誘う。
普段、何とか午前中に起きる程度の時間帯で生活している人間にとっては、なかなかつらい召還である。
キュレーターの控え室に案内されると、すでに何人かのキュレーターの方がおられる。すでに「その状況」に気づいたMAYA MAXXさんが不平を漏らしている。
「ええ!?全館禁煙なのぉ?」
やれやれですな、まったく。
用意された弁当を食べ、メイクをしてもらい、進行についての説明を聞く。さらに今年は生放送ということで番組中、十分に体験するほどの時間がないので、インタラクティブ・インスタレーション部門のファイナルステージ進出の3作品を事前に見たり、リハーサルなどをこなす。
その合間合間を見計らって屋外の喫煙所で一服、二服するわけだが、いつも同じ面子が顔を揃えることになる。
スモーカーのキュレーターは、田中秀幸さん、MAYA MAXXさん、森本晃司さん、森本千絵さん、そして私の5人。
キュレーターは全部で16人だから、約3分の1。出演者ではピエール瀧さんも喫煙所の常連。スタッフの方やアウォード進出の作者の方々も多い。
MAYAさんが通りかかったプロデューサーに不平を投げかける。
「ゲストに呼んでおいてタバコも吸えないってどういうことよ!?」
うん、私もそう思う。
だが、それがご時世である。昔から言うじゃありませんか。
「泣く子と地頭には勝てぬ」
さて16時からいよいよ本番。左隣の席の季里さんとは、しかしこんな会話になる。
季里さん「金子(奈緒)さん、足ほそ〜い」
私「あ、ホントだ。あれは自慢してますね」
季里さん「自慢してもいいですよ、あれなら」
本番前なのに空気がものすごく緩い。
季里さん「生放送なのに、なんか緊張感ありませんよね」
私「まったくまったく(笑)」
私は「アウォード」の出演は今年で4回目。ほとんどのキュレーターの方とはこれまでもご一緒させてもらっており、例年の収録と比べる話題が多くなる。皆さんお忙しい方々ばかりなのだろうが、けっこう毎年恒例のこのアウォードを楽しみにしておられる様子。
去年までは収録にものすごく長い時間がかかり、出演者から溢れる不満はそのことばかりであった。それもあって生放送という企画が生まれたらしい。
例年だと、集合から収録終わりまで10時間以上かかっていた。それが生放送ということは終わりは決まっている。19時には終わるなんて、まったくもって気が楽だ。
そんな気分も手伝ってか、全然緊張感がない。
「後4分で本当に始まるんですよ」
とは右隣の中島信也さんの弁。
本番が始まり、ビデオが流され、ステージの中谷さんやジョージ、金子さんが喋り始めても、この会場の映像が全国に流れているなんて実感はまるでなし。
最初はインタラクティブ・インスタレーション部門の審査。ファイナルステージ進出が決まった3作品を実際に体験しながら作者の解説を聞く。
こちらの部門は専門外ということもあって、出番もなく実に気が楽。
これが例年だと、少しは発言を求められたり、下手をすれば代表して「体験」させられたりするのだが、インタラクティブ・インスタレーション系のキュレーターにお任せして眺めているだけで良い。しかも進行が若干押し気味。審査会も時間が短く発言する余地もない。
サクサク進行する生放送は実に良い。
インタラクティブ・インスタレーション部門のグランプリは「translate」に決定。
続いて映像部門。こちらは専門領域なので、台本上発言の機会がいくつか指定されている。とはいえ、やっぱり気が楽なことに変わりはない。
今年は私の回でベストセレクションとなった2作は惜しくもファイナルステージ進出には至らなかった。どちらも1次審査で高得点を得ていたがわずかに届かなかったようだ。残念。選んだ者としてはやっぱり応援してしまうものである。
だが逆に自分で選んだ作品がファイナルに進まないということは、こちらの出番も少ないということで余計に気が楽になる。
と、暢気にかまえていたら一般の投票で「RUNNINGMAN」が敗者復活。これは私のレギュラーの回で惜しくもベストとはならなかったが、非常に上手なアニメーションで評価していた作品である。
レギュラーのベストセレクションから漏れたものの、中谷日出さんのセレクションとして復活してアウォード進出、そしてファイナルステージ進出には漏れたもののまたしても一般投票で復活、という作品内容に相応しい実にしぶとい粘りを見せてくれた。
「RUNNINGMAN」に対して、キュレーターとしてコメントを求められるが、押し気味の進行ということだからコメントも短く切り上げる。
ファイナルステージ進出の3作品、そして敗者復活の「RUNNINGMAN」のプレゼンテーションが終わって、いよいよ審査会。
例年だと、収録の終盤で皆疲れているにもかかわらず盛り上がりを見せる審査会だが、生放送の制限でやはり時間が短いのが残念。それでも森本千絵さんの「おはなしの花」を評価する意見に触発されて、あれこれ意見が交わされる。
いずれの作品もファイナルに残るだけあって、どれがグランプリとなってもおかしくないし、正直そう考えているキュレーターが多いはず。だから、どなたかの強い意見が出るとかなり引っ張られる傾向がある。そうなると、それに反発した意見も活発化するのが審査会の面白いところ。
生放送になって唯一、残念だったのは審査会の時間が少々短かったところであろう。これは他のキュレーターもそう仰る人は多かった。
投票の結果、映像部門のグランプリは「おはなしの花」に決定。大差が付いたのは意外だったが、アイディア、造形のセンス、アニメーションの技術的にも長じており、何よりプレゼンテーションでの作者のキャラが立っていた。アウォードでは重要な要素である。
両部門のグランプリ受賞者に拍手を送りたい。
生放送の緊張を感じたのは唯一エンディング。
中島信也さんのコメントの最中に、モニタではエンディングテロップが流れ始める。季里さんと二人でモニタに見入ってしまう。
中島さんのコメントはギリギリ入ったのではないかと思われたが、実際はわずかにラストが収まらなかったようで、編集版の再放送のためにエンディングだけ再度収録。途端に進行が遅くなるが、それでも19時過ぎにはすべて終了。
さて、急ぐは喫煙所。
ピエール瀧さんがにこやかに仰る。
「やっぱり、まずはここだよねぇ!」
喫煙所に向かいつつ、みなタバコを抜き始めてるし(笑)
スモーカーたちが勢揃いして紫煙を上げる。
ああ、美味い。
来年は是非、喫煙所との二元中継を希望。
この後、審査会で使った場所でキュレーターと作者、スタッフが顔を揃えて打ち上げ。
改めてグランプリ受賞者の二組、そしてアウォードに進出された作者の方々、本当におめでとうございます。ファイナルステージ進出はならなかったとはいえ、各回でベストに選ばれることは、それだけでも大変なこと。
皆さま、本当にお疲れさまでした。
私も疲れた。
イベントやTV出演は苦にしないものの、慣れない仕事ということでやはり無意識には緊張しているのかもしれない。
今日、日曜日はその疲れからか、夕べたっぷり睡眠を取ったというのに、3時間も昼寝をしてしまった。
いい日曜日である。
さて、今日は風呂に入って酒飲んで(もう飲んでるけど)、御飯食べて映画見て本でも読んで寝よう。
