「オハヨウ」完成

昨日、NHKのスタジオでアフレコ、ダビング作業を行ってNHK「アニ*クリ15」用短編「オハヨウ」の全作業終了。
日誌をひもとくと、この短編のコンテにかかったのが7月の5日。
5ヶ月かかったことになる。
たった1分のアニメーションにこんなに時間をかけるとは少々非常識な気もするが、それだけ満足の行く仕上がりにはなったと思っている。なぜそれほど時間がかかったかについては、別の機会で触れるつもりなのでここでは措く。

昨日はNHKのスタジオ入りして、まずは音素材の確認。
音楽は既にラフの段階でMP3で送ってもらい、確認しているが、スタジオのスピーカーで大きな音量で聞くと違った印象を受ける。
仕込んでもらった効果音と合わせて聞くと映像がより活き活きしてくる。
音楽の出る位置を調整したり、効果音を前倒しする箇所、画面には映っていないが継続しておいて欲しい箇所などを伝えて調整してもらう。
効果音の感じが良く、生音が非常に効果的に入っている。
音楽と効果音だけが乗った状態でプレビューすると、まだ入ってない声まで聞こえる感じがする。翻訳するとこんな感じ。
「ここにこういう声を入れてください」
そんな「余地」が聞こえてくる。いい兆候だ。
良かった。失敗じゃないみたいだ(笑)

アフレコはまずニュース原稿から。
テレビがニュースを伝える場面があるので、その素材を「本職」の方にお願いする。
「アニ*クリ15」制作に当たっては、総尺やタイトルなどすべての作品に共通するいくつかの制約があるが、本篇内に「NHK」の文字を入れる、というのもその一つ。
「オハヨウ」ではちょうどニュースを伝えるテレビ画面が登場することになっていたので、そこにはめ込むことにした。ニュースの内容は「自爆テロ」を伝える現地からの中継。
若い娘が自分の部屋で目を覚ますだけ、という内容には不似合いかもしれないが、得てして世の中とはそういうものだ。
私が用意した拙いニュース原稿に目を通してもらい、NHKのニュースとして「らしくない」部分を指摘してもらうが、単語を一つ修正しただけで問題なしと判断してもらう。
収録は本番一発でOK。
ニュースは「いまだ黒煙が上る現場からの中継」という想定で、アナウンサーの方にはそれらしくテンションを上げて原稿を読んでもらうのだが、実に的確な「芝居」である。
わずかにアレンジも加わり、文節を区切った感じのしゃべり方も実にそれらしい。
収録したセリフを少しだけ編集して、映像に乗せてもらう。ニュース音声の尺は十分足りているので、TVが画面外になった後、どこまで引っ張るかはミックス作業時に判断することにする。

続いて、主人公の声を収録。
演じてもらうのは19歳の麻植美由紀さん。
アートカレッジ神戸・声優学科の1年生。先日のNOTEBOOKで記したとおり、アートカレッジ神戸でのオーディションで決めた娘さんである。
神戸からの遠征、初めてのアフレコ、NHKのスタジオ、さらにはメイキング用のカメラ取材が入るなど緊張する条件は揃っていたので多少心配していたが、本人はこちらが拍子抜けするほど緊張していない様子。
私が見込んだだけのことはある(笑)
実に物怖じのしない子である。
何度かリハーサルをしてすぐに本番収録。
セリフは最後に「おはよう」の一言だけなのだが、オーディションについて記したとおり、これが意外と難しい。
主人公が起きる、座るなどの動作に合わせた息芝居や欠伸などはほとんど問題ないが、この「おはよう」が難しい。
何度かやり直してもらうのだが、どうしても「おはよッ」になってしまい、語尾の「う」がなくなる。
「う」をちょうだい、「う」を。
かといってあまりそこを意識されると「おはようぅ」とこれまた不自然なことになりかねない。
「おはよう」のセリフだけ何度かテイクを重ねて行く。
何度も同じセリフを喋っていると、妙に上ずったり、元気がなくなったり、と調子が外れるテイクが出てくる。こうした「見失う」事態はよくあることだが、麻植さんは大きく外すことなく、「近い線」を出してくれる。
割といい感じの「おはよう」が出たので、これを「キープ」ということでさらにテイクを重ねると、相応しい「おはよう」をキャッチ。
OKである。

これで素材がすべて揃う。
音響ソフト上で不必要な息芝居を削ってもらいセリフを編集。
後はバランスを調整する。NHKの音響スタッフがたいへん的確でとても助かる。
こちらの希望で効果音を上げてもらったり、音響スタッフからの指摘で、効果に飲まれて聞こえなくなった声を大きめにしたりする。こうして段々と「収まる」感じになって行く。
この「収まる」という感触が大事である。
私の場合、いまだ慣れたとはいえない音響作業では、「何がどうなれば完成といえるか」といった基準が明確ではない。
極端に言えば、いつまでも「もうちょっとああしたい」「こうしたい」という希望をいうことは可能なのだが、それを続けると先にも触れた「見失う」ことにもつながり、完成度を通り越してイメージがぶれることになりかねない。
角を矯めて牛殺す。
昔の人はよく言ったものである。
慣れている絵の作業でもこうしたことは起こりうるが、慣れている分回避する術も身につけている。
あれこれ考えを重ねつつ作業をしていて、「何か収まったな」という感触が訪れることがある。何がどう収まったのか、その一歩前までとどう違うかを他人に伝えるのは難しいが、自分なりに「収まった」が来たら、こう判断することにしている。
「OK」
絵の作業で身につけた感触は、おそらくいまだ慣れない音響作業でも同じことであろう、と考えることにしているので、何か「収まった」という気がしたところで「完成」とする。

バランスの調整すべて終わり、完成した「オハヨウ」をモニタの正面、左右スピーカーの真ん中という特等席でプレビューさせてもらう。モニタはフルハイビジョン。
音響が耳に心地よい。
映像も密度が高い。ハイビジョンを念頭に作ってきて、初めて大きめのフルハイビジョンモニタで見たが、十分に納得できる密度になっている。動きもほぼすべて2コマ作画にしたので、こちらも密度感がある。
映像、音響ともに満足の行くものに仕上がった。
90分の長編における「満足度」と比べるには分母が違いすぎるが、いかに1分とはいえ、1本は1本である。
1本の仕事の満足度ではこれまでにもっとも高いものに仕上がった。
是非オンエアを楽しみにしていただきたい。

関係スタッフの皆様にはこの場を借りてお礼を申し上げます。
最後まで根気よく面倒な作画をしてくれた鈴木美千代さん、高い画面密度に大きく貢献してくれた美術の東地和生さん、上品な色彩を設計してくれた林可奈子さん、759枚を一人で動画をしてくれた関家良子さん、面倒くさいことこの上ない撮影を担当してくれた加藤道哉さん、、気持ちのいい音楽を作ってくれたおかもとだいすけさん、素敵な声をあててくれた麻植美由紀さん、及びオーディションなどたいへんお世話になったアートカレッジ神戸さん、NHKのスタッフの皆様、マッドハウス・プロデューサー原史倫さん、そして面倒な監督の要求に応えてくれた制作プロデューサー松尾亮一郎くん、どうもありがとうございました。
本当にお疲れさまでした。

メインスタッフの皆様には「割りの悪い」仕事をお願いしてしまい、たいへん心苦しく思っております。
ささやかな埋め合わせしかできませんが、打ち上げは監督にまかせてください(笑)

絵作業終了

昨日、「アニ*クリ15」用の短編「オハヨウ」最後のラッシュチェック。
リテークの2カットも問題なく改善され、前日撮出ししたカットもテイク1で問題なし。
撮出し時に急遽加えたスライドも失敗ではなかった。良かった良かった。
BGとBOOKのスライドは何よりスライド幅が勘所。
あんまり大きな幅にしてしまうと、カメラからの距離の差分として生まれるはずの視覚効果の筈が、物自体が動いたように見えてしまう。控えめにしておく方が無難なのだが、幅が足りないと物足りない。
基本的には、手前の段の引き速度を1と場合、奥の段にあるものの大きさが1/2なら速度も1/2にすれば良い筈なのだが、設定しているレンズによってその基準では上手くないこともある。望遠気味だとおおむね問題のない考え方なのだが。
一昨日撮出ししたカットは、その計算通りにするとスライド幅が大きくなりすぎて失敗しそうだったので、結局こう考えた。
「テキトーでいいや」
いいわけがないのだが、そういうこともある。
スケジュールがやばくなっているところで、思いつきでスライドを足して失敗して撮影をリテークにした日には面目ないと思っていたのでホッとした。
これですべての絵作業は終了。
どのカットも満足の行く仕上がりになったので、先日編集したものを本撮に差し替えるのが楽しみだ。
今回はタイトルを入れて19カットだったので、心ゆくまで撮出しが出来たと思う。
撮影さんにも分かりやすいように素材を組んで、キャプションも書いた。次回作における撮出しの「雛形」にしようという目論見もあったので、なるべく丁寧に作業をしたのだが、その分おそろしく時間がかかってしまった。楽しかったけど。
1日に1カット、頑張って2カットしか出来ない撮出しはさすがに問題がある。それだけ丁寧にやるとどうなるかというと、加える処理もあれこれ多くなる。そうなると撮影の加藤さんからはこういう答えが返ってくる。
「撮影も頑張って……2カットが限度ですね」
長編では無理かしら(笑)

撮出しは楽し

昨日、NHK「アニ*クリ15」のための短編「オハヨウ」の撮出しがようやく終わった。
後はラッシュチェックと音響作業を残すだけだ。
最後のカットは比較的簡単な撮出しで楽勝楽勝と高をくくっていたのだが、結局5時間近くもかかってしまった。
何で撮出しに5時間も(笑)
元々今回の撮出しはどれもひどく時間がかかり、丸一日かかって1〜2カットという難物揃いなのだが、何より撮出しをしている最中に自分で大変にしてしまうせいである。
私が行う撮出しは、フォトショップ上で本番のBG・BOOKにセルやマスクを組んで、完成画面をサンプルとして作成する。これをセルのペイントデータと一緒に撮影に渡してコンポジットしてもらうことになる。
セルと背景を組むだけなら、別にサンプルなどつくらずにそのまま撮影してもらえばいいのだが、私は撮出しであれこれと最終的なレンダリングの重荷となることをしてしまうのである。
しかし、これをしないと私が思う画面にならない。
作画に作画監督、背景に美術監督があるように、両者の組み合わせを監督するのが私が思う撮出しである。時間と負担がかかるのは致し方ない。
それに。コンテに次ぐほど楽しい仕事である。
というのも、目の前で画面が出来て行くのだから。

昨日のカットも、レイアウト時の設計通りにするだけだったら2〜3時間もあれば終わったであろうに、これがまた余計なことを思いつくのである。
以下、業界用語が頻発するが一々解説しない。
カットは歩くキャラに付けPANという内容。
基本的なBGの修正・調整は終わっているので、純粋に撮出しの作業だけ……の筈であった。
BGが01と02、BOOKが4段に分かれているがPAN幅は同じ。それでいいと思ってレイアウトしておいたのだが、物足りなくなったので移動幅に差をつけようと思い立った。
アナログ時代でいうところの密着マルチのスライド。
「付けPANの目盛りは、BOOK01に対して、ということになるんだから……と」
BOOK01の奥にあるBG01と02をそれよりPAN幅を短くして、移動幅を少なくすれば奥と手前で移動速度が変わるから奥行きが出る。
BOOK01より手前にあるBOOK04は、逆に移動幅を大きくする。3段のスライドになる。うん、いいかもしれない。
「いつもの感じよりちょっとスライド幅を大きくしてみようかな……こんなもん……かな」
付けPANの目盛りをフォトショップで縮小・拡大して、それぞれのフレームを作るが、当然素材がバレる。
スライドを想定していなかったのだから、スライドする分の背景素材が足りない。BG01とBOOK04は元素材のままで問題ないが、BG02少々厄介。
素材が大きく足りなくなるのは分かっていたのだが、思いついたことは実行しなくては気が済まない。やるったら、やる。
「足りないところはコピーペーストで何とかなんだろ」
何とかはなるが、時間はかかる。
「これをコピーして変形して、と。グラデーションのマスクで抜いて……ありゃ、それでも色が合わないな。補正して色を合わせて、スタンプツールで馴染ませて……あ、ここが大きく空いちゃうな。ちょっと描き足して埋めて……と」
背景の描き足しや修正も私の撮出しではお馴染みの項目である。
『パプリカ』でも随分とBGの修正はしていて、おかげで貧乏くさいノウハウが蓄積している。
素材が揃ったところでようやく撮出しとしての処理をあれこれ加える。
「えーと、キャラの透け方はいつもの通りで、と。マスクから縮小してぼかして塗りを重ねて抜く、と。A、Bセル両方とも透け具合は同じだな。透けて見える部分のボケは……こんなもんかな。中OLがあるから、この辺は色変えのセルも重なるんだな。AとBの色変えを重ねて、と」
独り言を言っているわけではなく、あくまで頭の中のセリフだ。
BG01にはわずかにボケをかけてみる。ちょっとピントを外す程度。
磨りガラス越しはちょいと大きめにボケ。
撮影用にぼける範囲のマスクを作ってアルファチャンネルに置いておく。
ガラス面は色も落としたいから乗算のレイヤーを一枚加える。
カーテンも明るい部分だけ少しキャラが透けるようにマスクで抜く。
キャラは下の方だけ少し暗くしたいからグラデーションを乗せる。
画面全体に乗せるグラデーションも忘れずに。
オーバーレイのフィルタを最後に乗せて、さらに明るさを補正する調整レイヤーを置く。
こんなもんだろ。
何だ、素材の加工がなければ簡単なカットじゃないか。
セルの切り分けやマスクの新規作成、ペイントの修正も貼り込む素材の作成もないんだから。
完成画面のサンプルは悪くない出来だ。
しかし気がつけば開始から既に5時間近く経っている。
こんなことしてるからいつも作業がスケジュールからこぼれるんだよな(笑)
技術的に出来るからって何でもしていいってことじゃないのだが。
しかし、1分くらいの短編だ。好きにしたい。

一番大きな問題は、「1分くらいの短編じゃなくても」同じことをしたくなることかもしれない。
考えるとゾッとした。

2秒で焦る

昨日はNHK「アニクリ15」のために作っている1分の短編アニメーション「オハヨウ」の編集作業。
渋谷のNHKのスタジオを借りて規定の尺に収める、という仕事。
スタジオは2時間抑えてもらっているが、なあに、たかが1分。1時間もかかるわけがない。パッパと切ってパッパと帰ろう。
だが、NHKの駐車場に入るところで警備員に止められる。NHK構内の駐車場に予約を取っておいてもらったはずなのに、年若い警備員ははっきりしない口調でこういう。
「えっと……ないです」
担当者が迎えに来てくれて事なきを得たが、ちょっと嫌な予感がした。

アニメーションの編集は、実写の編集のように素材をたくさん撮っておいて編集時に一本の映像として構成する、という訳にはいかない。結果的に無駄になる部分まで作る予算も余裕も労力も時間もない。だいたいバカバカしい。
だからアニメーションの場合、基本的な編集は絵コンテで先に済ませて、編集ではカットの頭とお尻をつまんでリズムを整合するという感じである。
文章を推敲するのに似ているかもしれない。文章の書き出しや語尾に注意して、流れが滞ったりしないようにする、いわば仕上げである。
編集の良し悪しで映像のテンポ、生理的な快不快が決まってくるのでたいへん重要なプロセスである。
編集での「間」の作り方一つで芝居の意味合いや感情や情感が大きく異なるものだ。
編集も芝居の一つである。

編集で映像を切るためには、当然だが完成時の尺より映像を長めに作っておかないとならない。
たとえば本編尺21分のTVだったら、40〜50秒くらいが望ましいだろうか。AB2パートそれぞれ20秒ずつくらいオーバーさせておくことになる。確か『妄想代理人』の1話が40秒くらいのオーバーで理想的だったように記憶している。
予定の尺に足りないのは論外だが、あまりにオーバーしていると予定していたテンポと大きく異なったり、必要だったはずの間さえ落とさなくてはならないし、ひどい場合はカットごと欠番ということもある。
何事もほどほどが望ましい。

「オハヨウ」は約1分。正確にはタイトル1+12K(一秒半)込みで57+12K。これに「アニクリ15」規定のエンドクレジットが2+12入ってちょうど1分のミニ番組となる。
タイトルを抜いた実際の本編尺が56秒ということなので、だいたい2+0くらいオーバーさせて作っていたつもりだった。
ところが、すべてのカットをつないでもらったところ。
「4秒のオーバーです」
エエッ!? ウソッ!?
想定の倍じゃないか!? そんなバカな!?
制作中に計算ミスでもしていたのか?
56秒から2秒切るのと4秒切るのでは考えが大きく変わってしまうではないか。
困った。
元々タイトに作っていたのに予定していた2秒から、さらに2秒切るなんて。
ウゲッ。
うむ。だがオーバーしているのだから仕方ない。
詰められそうなところをすべて詰めていって、それでもまだ4秒には達しない場合はそこから考えよう。

覚悟を決めて切り始めてから、気がついた。
「あれ? このカット、尺がおかしい」
恥ずかしい話だが、編集に間に合わなかったカットが3つある。
動画撮影が2つ、原画撮影が1つ、計3カットが鉛筆画の未完成カットである。いずれも編集には問題がない状態で、これらはクイックタイム(QT)のデータで納品してあったのだが、この3カットの尺が妙なことになっている。
芝居が遅くなっている。
そんなこと一目で気がつけよ!という話もあるのだが(笑)
あるはずのない部分でのエラーは意外と気がつかないものなのである。
しかし、何で?
QTのデータ混じりで編集することなんてよくあることだし、これまでそんなエラーがあったことはないのだが。
QTのデータを編集機に読み込む際にエラーでもあったのだろうか。
原因はともかく、目の前のエラーに対処する方が先決だ。
編集担当者の方にこの3カットのトータル尺を出してもらったところ、10秒半くらいとのこと。手元のデータではこの3カットで8秒半となっている。
編集機でこの3カットを予定の尺にまで圧縮してもらい、全体でちょうど2+0オーバーになった。私の目算は間違っていなかったのだ。
ホッと胸をなで下ろすとはこのことである。

これでようやく本来の編集作業にかかれる。ここまでですでに1時間半が経過していた。
2+0ならどこを切るかはだいたい決めてあったので、頭から順にコマ数を指定して切ってもらう。
少々厄介なのは24コマを30フレームに変換しなくてはならないことくらいだ。
アニメーションは通常フィルムと同じ1秒24コマで作られるが、TVやビデオ、DVDは1秒30フレーム。1秒間を24のセグメントに分割するか30に分割するかの違いである。
たとえば、フィルムで12コマ(0.5秒)はビデオだと15フレームとして変換できるが、6コマ(0.25秒)とかになると7.5フレームという半端が出るので7か8フレームになる。
頭の中でこの変換をするのが面倒くさい、というか慣れていないのでついついコマ数を口走ってしまう。数字を取り違えるとどんなエラーが生まれるか分かったものではない。
そこで絵の枚数で指示することにした。
「カット5のラスト、10フレーム、絵にして4枚切ってください」
「カット7の頭を、絵1枚切ってください」
「カット14のラストを絵で3枚」
こんな具合。

原画や動画上がりをクイックアクションレコーダーで確認し、QTでつないでみたりもしていたので、どこをどう切るかはだいたい予定していたので楽なものである。
「オハヨウ」は全編2コマ作画にしてあるので絵1枚というと、フィルムで2Kになる。
なぜ日常芝居しか出てこないのに枚数を食う2コマ作画を選択したのかは、また別の機会にでも触れよう。
ちなみにTVアニメや劇場でも、日本のアニメは3コマ作画が基本で、1枚の絵を3コマ使うことになる。だから1秒動くのに8枚の絵が必要になる。
2コマ作画なら1秒に12枚使う。
その分3コマ作画よりは滑らかに動くことになるのだが、枚数=予算を食うことになるし、原画をたくさん入れないと単に蠢くアニメーションになったりするなど複雑な事情がある。
昨日聞いた集計によると、「オハヨウ」は本篇56秒、18カットで「759枚」というアホな動画枚数になっている。1カット平均約42枚。『東京ゴッドファーザーズ』や『パプリカ』だって1カット平均30枚程度なのに(笑)
「オハヨウ」は何も派手なことはしていないが、地味によく動いている。
原画はすべて鈴木美千代さんが担当。「オハヨウ」スタッフはまた機会を改めてご紹介したい。

編集に話を戻す。
一カ所、想定していたのに切る必要がなかった箇所が一つあったが、すべて切り終えたところで、残り11フレームのオーバーとなった。フィルムにして約9コマ。
よしよし、思ったより切れていたぞ。
後はたった11フレーム。こういう時のために切りやすいカットを作っておくものだ。尺の調整用に作っておいたカットに戻って、頭から11フレーム切ってもらってジャストサイズ。
タイトルと次のカットにO.L.を加えてもらって完成。
結局編集には2時間もかかってしまったが、最初のエラーとその処置がなければ40分程度の作業だった。
プレビューすると、なかなかいい感じである。
オンエアをお楽しみに。

さて、後は原動撮の3カットを本番のカットに差し替えるのと音響作業だけだ。
作画作業は動画まで含めて昨日終了、背景はとっくに終わっているし、後は撮出しが1つ、撮影が2つ。
たった1分の短編を作るのに随分時間がかかってしまったが、ようやく終わる。
遅れてどうもすいません、NHKさん。
もっとも、聞くところによると同じサードシーズンの中で、もっと遅れている方がおられるそうなのでちょっと安心(した笑)
やっぱり、「どべ」は嫌なものだよ。

ちなみに「広辞苑」によると「どべ」は、
1 (東北・北陸・中国・四国地方などで) 泥。
2 (中部地方などで) 最下位。びり。
なのだそうだ。

「21世紀を夢見た日々」

昨日、出社すると机の上に一枚のDVD。
私も出演させてもらったNHK教育「21世紀を夢見た日々〜日本のSF50年〜」である。
オンエアを楽しみにしていたのに見逃していた。別に自分の映像をチェックするためではない。珍しく番組そのものを楽しみにしていたのである。
内容は、以前インフォメーションでも紹介した通り。
小松左京、筒井康隆、星新一ら後の巨匠たちが1963年に日本SF作家クラブを結成。当時、異端視されたSFが文化と認知されるまでの道のりを紹介するという番組。
夕べ、早速見たところまったくその通りの内容で、最後まで楽しめる90分だった。
当時のSFに対する偏見に抗して「SF作家クラブ」を創立したメンバーたちの意気が熱意が感じられる一方で、同時にそれがユーモアに富んでいるのが実にいい。
何だか、皆さん「大人」に感じられる。
創立メンバーでは年長の星新一でも当時30代後半だったというのに。
それに引き替え、私は44歳にもなるというのに……。やれやれ。自分にガッカリ。

以前、BBSにFOOさんがこんな感想を書いてくれている。

>話の多くは大昔に活字で読んで知ってましたが、こんなビジュアルだったんだあ、と
>感心しきりでありました。原子力研究所見学のくだりとか。

原子力研究所見学で「入れろ」「入れない」のくだりは愉快でしたね。
「所長は知り合いなんだ。所長を出せ、所長」
「名前なんだっけ?」
「“はらこ”だろ。はらこつとむ研究所って書いてある」
はらこ・つとむ(原子力)(笑)

>取材中の面白いネタはほとんどカットされてたみたいじゃないですか(千明様とのツーショットも含め)。

そう、裏事情を多少知っている身としては、もっともっと濃い内容をつい期待してしまっておりましたが、さすがにTV、それもNHKですしね(笑)
「千明様とのツーショット」というのは、私が番組出演時ではなく、ロケの見学に行った際の収穫物。番組でも大きく紹介されていた大伴昌司邸でロケがあるということで、スタッフの方のご好意で見学させてもらったのである。
SF作家クラブのメンバーでもあった編集者、故・大伴昌司の、生前のままに保存されている仕事場にも感激したが、直筆の怪獣図解の数々に圧倒された次第である。すごいエネルギーだ。
当時はまだまだ珍しかったゼロックスで作られたという「傑作」も見せてもらったが、それが何であったかは内緒。
このロケ見学のお土産として、栗山千明嬢とのツーショット以外に、数枚の怪獣図解のスケッチ、そのカラーコピーをいただいてきた。『ウルトラQ』の「カネゴン」や「ナメゴン」、『ウルトラマン』や「レッドキング」、『ウルトラセブン』に登場した「エレキング」や「ビラ星人」たちの設定や内部が生き生きと描かれている。
また大伴昌司が編集を担当した昭和44年に出された「キネマ旬報・世界SF映画大鑑」、これは実物をもらってしまった。
うう、感激。
ありがとうございました。

FOOさん言うところの「面白いネタ」の一つには、収録の際こっそり見せてもらった『宇宙戦艦ヤマト』の初期スケッチがある。まだタイトルも別な頃(『アステロイドシックス』とか何とか)に描かれたもの数点。
この番組本編では紹介されていなかったが、番組予告用のミニ番組では岩に包まれたまま宇宙に浮かぶヤマトの絵が紹介されていた。
その絵は随分以前にも見た覚えがあったが、度肝を抜かれたのはキャラクターの初期イメージである。一説によると某有名漫画家が描いたという説もあるらしいが、定かではない。
「古代」「島」「森雪」と思しきキャラクターがモノクロで描かれているのだが、これらを見た途端、収録をご一緒した折原さん、澤本さんともども思わず声を上げてしまった。
「すげぇ」
これらの絵には腰が抜けるほどに驚き、一同一斉に携帯のカメラに収めたほどである。存分に笑わせてもらった。
とにかく「ダサい」のである。
時代を割り引いても十分にお釣りが来るほど時代が遅れているように思える。
随分とあごの大きな「島(と思しき人)」もいいが、やはり「古代(と思しき人)」がずば抜けた傑作である。
画像を紹介できないのが残念至極だが、そのインパクトを伝えるために文章で再現を試みる。

バストショットの絵である。
ヘルメットを被った「古代(と思しき人)」は何かに驚いた表情をして、画面向かってやや左を向いて立っている。釣り上がった眉毛は目の玉ほどに太く黒々としていてさながらスポ魂モノの主人公のようだが、顔の造作そのものは概ね「古代進」といっても差し支えはないほどだ。
ヘルメットのフェース部分はハート型にくりぬかれて顔が覗いている。ハート上部の窪みが額のあたりに来るわけだ。前髪がギザギザと4つの山が見えている。
耳の辺りにはレシーバーにもなるのであろう、丸いふくらみがある。そしてヘルメット頭頂部には角のような突起がある。サメの背びれを想像してくれるとよい。海面に現れたジョーズの背びれ。それがサメの先頭側を奥へ向ける形で付いている。
全体としてはヘルメットというには少々ヘルメットに申し訳ない気もしてくる。
そうだ、これは頭巾だ! 頭巾と呼ぶにふさわしい。
吉田戦車の『ぷりぷり県』に出てくる「県ずきん」だ。県ずきんに突起が付いていると思って欲しい。
これだけでもかなり「いかがなものか」という気がしてくるが、何よりコスチュームがいかしている。その特徴は大きな大きな大きな襟にある。見たこともない襟の形だ。およそ実用や美観にも縁がないのではないか。
大きな三角定規を二枚、ぶっちがいに組み合わせたような形だ。二等辺三角形ではなく「60°・30°」の三角定規を直角の方を下にして、鶴が羽を広げたように組み合わせる。その鶴の羽が古代(と思しき人)の首を取り囲むようにして左右に大きく広がっているのだ。それぞれの羽の先端は肩幅を優に越えている。
三角定規の直角の部分が、普通のシャツの襟のようになって見えるのもポイントだ。
手が切れそうなほどシャープな襟の下には、当然衣服本体があるのだが、襟と本体部分はまるで他人同士のようにまったく繋がりが感じられない。
「オレは単に襟としての襟だもんね」
「け、襟なんて浮ついたものなんか願い下げだ! こちとら生粋の服でぃ!」
そういう感じだ。
その生粋を誇る服は単に時代遅れの「未来イメージ」で、それほど驚くべきではない。
服は一枚なのだろうが、鉛筆のタッチで塗り分けされているため、黒いシャツの上に白っぽい上着を着ているようにも見える。襟の無い上着だ。
二つボタンの背広のジャケットをまず想像して欲しい。その襟を削除し、上着のボタンを閉める(実際の絵にはボタンはない)。そうすると胸元に大きな「V」字が生まれるだろう。そのV字の面積が黒く見える部分だ。
V字の黒い面積には謎の「丸い窓」が開いている。その機能は想像力の外にあるようだ。
人物との対比から考えると、直径は10センチほどだろうか。位置は、三角定規の直角が形作る襟の下、普通のシャツで言えば第2ボタンの辺りだ。V字の黒い面積の中に浮かんだ満月のようである。

描写はこれで終わり。
拙い文章だが、なるべく丁寧に描写したつもりなので、きっとこれをお読みの方々の脳裏にはくっきりと「古代(と思しき人)」のイメージが浮かんでいることだろう。
今度はそれを絵に描いてみようじゃないか。
描いたら、それをメールに添付して私に送りたまえ。
もっとも「実物」に近かった方にはプレゼントを差し上げよう。
何がいいだろう?
「栗山千明嬢と私のツーショット」
要らねぇっての(笑)

たわけて神戸・その6

翌朝。10時半に起床すると、脳はまだアルコールに蝕まれている。
再びまたもや同じ書き出し(笑)
懲りない「たわけ」である。
入浴して酒を抜くのも前の三日と同様だが、体内に残留しているアルコールは昨日よりさらに増えている。うう、しんどい。
ドリップバッグ式のコーヒーは、規定の一人前の量では薄くなるので、1.5倍に増量して濃いめにしてみる。
「……あんまり変わんないや」

正午、チェックアウト。マッドハウスHさんはすでに帰京している。
ホテルのカウンターにメッセージが届いていた。
「新幹線の中で肉まんの匂いをぷんぷんさせながら帰って下さい」
課長からだ。「蓬莱551の豚まん」10個のお土産ある。
夕べ、バーで「豚まんが美味い」という話をしたからだろう。
ありがとう、課長。
メッセージにはこんな気遣いも記されていた。
「重たいっちゅう話もありますが」
その通り。

かさばる荷物と重たい豚まんはホテルのクロークに預かってもらい、軽く腹ごしらえをしてインスタントの観光に出かける。雲行きが怪しいので近場のロープウェイで山に登ってみることにする。
漠然と「山」とか「六甲山系」としか認識していなかったが、正しくは「世継山」というらしい。気の重くなるような名称だ。ここにかかる「新神戸ロープウェー」を上がると「布引ハーブ園」がある。
新神戸ロープウェーは別名「神戸夢風船」。丸みを帯びたゴンドラからイメージされた名称と思われるが、歴とした成人男性が乗り込むには相応しくないことこの上ない。
なぜ世の中はすべて婦女子に阿るのだ。「夢みる夢子ちゃん症候群」と名付けよう。
夢みる夢子ちゃんの夢風船で揺られること10分。
だがあいにくの曇天で山上からの見晴らしはいいとは言えない。
眼下には三宮の風景が広がる。
「わっはっは、この愚民どもめ!」
高いところに上がると人間はバカになりがちだ。高いところを好むのはバカと煙と相場が決まっているので、タバコに火を付けて揃い踏みにしてみる。
海上には神戸空港が見える。その存在意義同様に霞んでぼんやりしている。
政治屋と土建屋の欲望で埋め立てた夢の島だな。
折角来た以上、布引ハーブ園も見て回る。そこかしこに「夢みる夢子ちゃん症候群」の症状が現れている。真っ黒な服装で謎の東洋人みたいな男はさぞや不似合いであろう。
不似合いついでに携帯のカメラで花を接写してみる。
ふと中崎タツヤ先生の漫画を思い出す。
確か男があれこれと書き初めをしている一編で、堂々とこんなことを墨痕鮮やかに書き付けるのである。
「女は花が好き」
月曜日の観光地は客の姿はまばらだが、中年や熟年の女性同士のグループが目立つ。やはり「女は花が好き」。この年代の女性たちは子供も自立し、自分の楽しみを優先できるようになったのだろう。観光であれショッピングであれ、率先してお金を落とすのは女性であり男性はそれに付随することになるのだろうか。ということは「夢みる夢子ちゃん症候群」が遍く日本を覆うのは仕方ないということなのか。
世の女性の大半が「夢みる夢子ちゃん症候群」でもないと思いたいが、つまりはこういうことか。
「女性はいくつになっても夢みる夢子ちゃんであって欲しい」
誰の欲望だ?

夢風船で下界に戻ると、雨がぱらつき始める。運が良かった。
我々と入れ違いに夢風船に期待を膨らませて上がってくる女性ばかりの団体があった。
「あぁ〜降ってきたよぉ」
「えぇ、やだぁ」
やだっていうな、夢みる夢子ちゃんめ。

夢みる夢子ちゃんウィルスに少し感染したので、珍しく私もショッピングとやらを楽しむことにする。旅行先で買い物をするなんて滅多にない。
新神戸駅そばのショッピングモールに「Adolfo Dominguez」というスペインのブランドが入っており、ここで秋冬物を物色してみる。
このブランドは以前吉祥寺のTAKA−Qに入っていて、時折世話になっていたのだがいつの間にか置かなくなってしまった。私は別にブランドにこだわるわけではないのだが、国産のブランドは体型に合わないことが多くて困る。どうも私は腕が長いようである。
普通のLサイズだと袖丈が足りず、LLはサイズが用意されてないことが多い。
その点このインポート物は私の体型に合致するし、デザインも好ましい物が多く、何より値段も手頃である。
おお、店頭には好ましい色とデザインが並んでいる。出会った途端に懐かしい、というかすでに私が持っていても不思議ではない物のような気がする。つまり私の買う服は変わり映えのしない物ということか。
ニットを中心に選ぶ。サイズも理想的だ。
「あ、この黒いいな、お、この濃いめのグレーもいいじゃないか、あ、この黒もいいな、たまには薄めのグレーもいいかな」
というわけで、私の買い物はグレースケールの暗い方半分の範囲に収まることになっている。先週も吉祥寺で秋冬物を仕入れたのだが、その内訳はやはり変わり映えしない。
黒の上下、黒のハイネック、黒とダークグレーのタートル2枚。
新しいアイテムを仕入れても、以前から持っていたものと全然区別がつかない(笑)
部屋の中に黒っぽい服ばかりが並んでいる様は、まるで『バットマン』のクローゼットみたいである。
店内を物色中、たまには焦げ茶もいいかな、と思ったのだが家内から素早いアドバイスが届く。
「焦げ茶はダメだよ。“衰退”の色だから」
そ、そうなのか。全国の焦げ茶愛好者から猛反発が来そうだが。
お会計を待つ間にシャツ一枚とついでにネクタイも一本。
大漁大漁。
お会計も大量(泣)

ホテルのクロークで荷物をピックアップして新神戸の駅へ。
新幹線のチケットを確保して、新装なった駅のショップを物色する。以前は小さな店が並んでいるだけだったが、スーパーマーケットみたいに統合されている。
スエヒロの「天むす」を買って、さてお土産でも買おうと物色していて不意に思い出した。
「あ。札幌に肉を送るんだった」
札幌の私の実家から時折北海道の海の幸を送ってもらっているので、お返しをする予定であった。危うく忘れるところだった。
すき焼き用の神戸牛を配送してもらうことにする。
伝票に実家の住所を書き入れながら、しかし頭の片隅ではこんなことも考えている。
「ホントに神戸牛かどうかは怪しいもんだが」
世の中は偽装ブームである。
安手の牛肉だってラベルを貼り替えさえすれば立派な神戸牛の出来上がりになる。
たとえ神戸牛には程遠い味や食感であっても、食べ付けてない人間に分かるわけがないだろう。
折角贈り物をするというのに夢のない人間であることだよ。
偽装でないことを祈ろう。

新神戸15時15分発の「のぞみ」は全席禁煙車だった。最近導入された新型車両で、乗るのは初めてだ。全席禁煙といっても喫煙所は用意されているし、その近くに座席も確保したので問題はない。
新しいだけあって、車内は快適である。床に敷き詰められた絨毯の毛もまだしっかりと立っている。お恥ずかしい話だが、私は新幹線に乗るとすぐに靴を脱いでしまう。ホテルから失敬してきた薄手のスリッパは車内用に大変重宝する。
新型車両の座席では変わったところに読書灯がついている。シートの背もたれ、肩が来る上あたりに小さなライトがついている。なるほど肩越しからの光ならば本も読みやすいかもしれない。
お、手すり部分にはコンセントもついている。
携帯電話の充電、パソコンの電源として使用してくださいとのこと。バッテリー切れの心配をせずにパソコンを使えるのはありがたい。
ビールを飲んで「天むす」を食べる。定番だがこれは美味い。
駅弁というのは得てしてうんざりするほど甘ったるい味付けで、添加物の見本市のようになっているが、スエヒロの「天むす」は飽きずに美味しく食べられる。だからといって賞味期限や材料が偽装されていないという保証はないが。
美味しく食べられて腹をこわさなければ良しとしよう。
食ったら寝る。起きたら読書。
至福だ。
連日の痛飲で内臓には巨大な負担を強要したが、笑いと美味いに溢れた4日間であった。
間もなく東京駅に着くというアナウンスが日常へのドアを開く。
さて、仕事だ。

たわけて神戸・その5

ここはまだ授賞式会場。
ステージで続いているトークショーが終わってから受賞者、関係者は交流会のために神戸ポートピアホテルに移動することになっていたが、『パプリカ』関係者は一足先に移動させてもらうことにした。勝手な行動で申し訳ないが、早く空気のいい場所に移動したいという切実な理由である。

交流会というのは、要するにパーティである。立食スタイル。
ビールを飲みつつ他の受賞者や関係者と歓談する。
『攻殻機動隊 STAND ALONE COMPLEX Solid State Society』の監督、神山君と業界世間話。
「神山君、働き過ぎじゃないの(笑)」
「いやぁ、さすがに少しセーブしようと思って」
言い古された言葉だが、本当に「身体が資本」である。大切に使った方がいい。
「でも、ホントにもうきついですね」
とは、「描き手」がいないことを嘆いた言葉。彼の言葉でもあり私のでもある。
「描き手」というのはもちろん「上手な描き手」ということである。単なる描き手は数多いが、能力のある人はとにかく少ない。
しかしIGさんでそんなこと言われたら、立つ瀬のないスタジオは多いと思うのだが(笑)
とはいえ、スタッフの能力は「実現しようとしているレベル」に対する相対的な問題なので、常に高みを目指す限りいつでも上手い人間は足りなくなるという構図になっている。
その乖離が特にひどくなっている、ということであろう。私もそう思う。
「○○さんのところは、どうするんでしょうねぇ……」
「○○君と□□さんと△△さんの3人で作ればいいんじゃないの(笑) 時間かけて」
「かけ過ぎですよね、時間」
「一年かけてコンテが半分行ってないってさ。怖ろしいものを作ってそうだよね」
「でも、10年で一本じゃ寂しいなぁ」
私もそう思うが、長いインターバルが必要な人もいるし、そうでない人もいる。

面識はなかったが、他の受賞者の方とも挨拶を交わす。
『コードギアス 反逆のルルーシュ』関係者の方から耳寄りな話を聞いた。
「声優の池田秀一さんが監督の作品はいいって仰ってましたよ」
エ!? ホントに!? 嬉しいな。
だが私の頭の中では矢のようにこんなセリフが。
「シャアが見ているのだぞ!シャアが」
コンスコンか俺は。

前触れもなく受賞者がコメントすることになった。ステージに上がって何か喋れ、と。
「事前に聞いてなかったので、何を話せばいいのか……」
トップバッターに指名された高畑監督は額に汗を浮かべていらっしゃったが、人前で喋ることなど特に苦手にしているのがアニメ業界人である。アニメーションを主役としたイベントなのだから、配慮をして欲しいものだな、と思ったがしかし、随分前に「交流会で何かコメントを」と言われていたような気もする(笑)
そういう連絡をちゃんと聞いてないのも業界人の傾向である。
さて、私は何を喋ろうか。
これまで数百本のインタビュー、舞台挨拶やQ&A、学校の講義など、だてに喋る仕事を重ねてきたわけではないはずだ!と思うものの、別に喋りたいことがあるわけでもない。こういう時は、「素直」な心根が大事である。思ったことを率直にお伝えすることにする。
それに、パーティは佳境であり皆それぞれ歓談に打ち興じておられるから、人の話なんてどうせ聞いてはおるまい。
「少々横柄な話をします」
どういう切り出し方なんだか、まったく(笑)
以前、アニメーション神戸とは別の、とある受賞に際してこんなコメントを出したことがある。以下は抜粋。
「どんな作品もそれを観る人なしには完成し得ないものでしょう。本作制作中や完成後の披露の場において、私は作品が発生する場所とは観るものと観られるものの間にこそある、という思いを新たにしました。今回の受賞を、観るものと観られるものの豊かで健全な関係の回復を目指すための追い風にさせていただきたいと思います。」
「観るものと観られるもの」の「健全な関係」とは、字義通りに取っていただいてもいいし、そこに「審査員自身が参加している映画に平然と賞を与える厚顔さ」を揶揄した皮肉を読み取っていただいてもいい。
ちょうどいい機会だったので、このネタを補足してお話することにした。
「お客様は神様です」という妄言以来、この国では「金を払えば何を言ってもいい」というイナカモンルールが支配的になったように思える。消費者世代の申し子たちは特に顕著にその傾向を示す。インターネットには手前勝手で節度のない戯言が溢れているのはご承知のことであろう。
それがいかなる創作物であろうと、接した方々の大半はこのような態度に見受けられる。
「これは傑作。なぜなら私が好きだから」
「これは駄作。なぜなら私が嫌いだから」
なるほどそれもけっこう。
お客様とやらは査定者である、ということで多くの方々は意見の一致を見ているらしい。
だが、私は必ずしもそうは思わない。こういう構図だって私は常に感じている方だ。
「見ている私がその作品に査定される」
あまり同意をいただけないかもしれないが、実はそうしたものである。査定する者の位置を譲りたがらない方々とて、その構図を日常的に都合よく利用なされているはずだ。
「この作品の良さが分からないなんて○○だ」
○○にはバカでもアホでも低能でも無能でも蒙昧でも何でも好きな言葉を入れてよいが、こうした構図が有効だからこそ「ブランド物」は成り立っている。つまりはこういうこと。
「□□の良さが分かる私は素敵」
□□にはシャネルでもルイ・ヴィトンでもプラダでもエルメスでもビットでも……ビットは違うか、ともかく好きな言葉を入れて良い。もちろんユニクロでも。
当然ブランド物たちは無言であるから、どなたが手にしようがどんな仕打ちを加えようが、そこに異議を申し立てることはない。だが、きっと口があればこんなことを言いたい物たちだってあるだろう。
「お前なんかに持たれたくないね。ロレックスより」
「お前がハンドルを握るには10年早いね。ベンツより」
「アニメ監督なんかに着られたくないね。アルマーニより」
うるさい。
世の中には、意を決しなければ高級ブランド店に入れない人は多かろうし、そういう店に入るための服を購入するのが先決となってくる人も多いのではないか。私はそうだ(笑)
こんなのも同じ。
「スポーツクラブに行って少しくらい身体を引き締めたいが、入会する前にせめてこの腹の出っ張りをもう少し減らしてからじゃないと……」
そういう恥ずかしさも悪くないと私は思う。
対象物によって査定される構図とはそうしたことである。
それが文学や映画などの創作物であれば、「この良さが分からない私の方に問題があるのではないか」と思うことも多い。消費者世代の申し子たちはそうではないのかもしれないが、自分を拡張するためには自身に対する絶えざる疑いが必須であろう。知性とはそうしたものだと私はそう思う。
さて、上記の話はそのまま授賞する側と受賞する側の関係に置き換えられる。
横柄な話、というのはこのことである。平たく言えばこういうこと。
「どのタイトルに賞を与えるかによって、その賞の権威がどれほどのものか査定される」
受賞者がパーティの席上で喋る内容ではないかもしれないが、私は素直である。
胃の中のアルコールもこう言っている。
「もっと素直に」
「アニメーション神戸ならではの権威が生まれるように続けて欲しい」というようなことを申し上げたと思うが、翻訳すればこういうこと。
「是非とも欲しくなるような賞に育ってください」
批判的な態度で書いているように思えるかもしれないが、半分はその通りだ。
以下は、さすがに口には出来なかったことである。
「過去、代理店に投げ込んできた震災復興基金はすでになくなり、金の切れ目が縁の切れ目という人たちも随分前に去っていることでしょう。だから、これからこそ観るものと観られるものの健全な関係を作り出せることでしょうし、独自な視点で存在感のあるイベントに育って欲しい」
私はアニメーション神戸を応援しているつもりだ。本当に。

宴はお開きとなり、マッドハウスチームはすぐにOUT。丸山さんはホテルに戻って仕事をする、とのこと。たわけたちは三宮で飲み屋を探す。課長が参加し、Hさん、家内と私である。
店の当てもないので、飛び込みで入ってみる。
店の名前を失念したが、この「薩摩地鶏 吹上庵」という店だったろう。
http://kobe.pos.to/wasyoku/fuk……agean.html
外観からはもっと落ち着いた店を想像したが、客には若者が多く活気に溢れている。
メニューを開いて、さてと。
パーティではビールとワイン以外はほとんど口にしなかったので、腹が減って腹が減って腹が減って。
「うどん」の文字に惹かれて「地鶏スペシャルコースすき焼き(卵・うどん付)」をオーダーする。おそらく甘い味付けだろうとは思うのだが、どうしてもうどんを食べたい。
出てきた鳥のすき焼きは、やはり甘かった。しかし、パクパク食べられる。お腹が空いているせいもあるだろうが。そしてうどんもツルツルと。
この店は無論、地鶏が自慢なのだろうが、女性店員さんの対応が宜しい。見た目の良い人も多いし。
だがそれよりも何よりも、もっとも驚くべきサービスはこれだ。
お土産をくれる。
それって、どういうシステムなんだ一体(笑)
帰りしな、4人それぞれに炊き込み御飯の折り詰めが渡されたのである。
小さな折り詰めをぶらぶらさせながら歩く姿は、まるで記号のような酔っぱらいではないか。ウィーック。

いい心持ちで夜風に吹かれて出る言葉はこの通り。
「もういっぱい行きましょうか」
やはりたわけである。
腹は一杯なので、気分はバーである。前日と全く同じパターンなので、再び昨日のバー「mishima」に赴く。
「昨日も来ました(笑)」
多分、店の方はこちらを覚えておられたようである。私は比較的、店の人に覚えられやすいらしい。外見のなせる技か。
この日も昨日と同じく2階の同じ席。日曜で夜も遅いのでやはり他に客はいない。
とても居心地の良い店だ。
今度から神戸の定番にしようかな。深夜3時までの営業というのも魅力だし、食べ物もパスタやピッツァもあるので都合がよい。それに常宿のホテルからも近い。
今日はシャンパンにしてみる。もう少し冷やしてもらった方が好みだが、気分も良いのでたいへん美味しくいただき、バカ話の花を咲かせる。
「この間講義に来たとき、帰る日のホテルが新大阪だったから、駅でお土産に豚まん買って帰ってね。久しぶりに食ったら美味かったなぁ」
「豚まんて、蓬莱の?」
「そうそう、あれ美味いんだけどさ、新神戸の駅で売ってないんだよね」
「三宮の駅やったら売ってますよ」
「あ、そうなんだ。買って帰ろうかな」
「新幹線で食うんですか」
「いや、新幹線は駅弁を楽しむ場所だから(笑)」
「けど、あの豚まん、すごい匂いしません?」
「あ、そうそう、すっごく食欲をそそる匂いがするんだ」
「プ〜ンってしますでしょ」
「するする、プンプン」
散々飲み食いして、話題まで食い物である。

店を出て折り詰めを下げてブラブラとホテルまで歩いて戻る。
部屋に戻って、中身を確かめてみようと折り詰めを開く。
「けっこう美味しそうだな。パクパク」
食うのかよ(笑)
家内も一人分を見事に平らげてしまった。寝る前に米粒を摂取するなんて、泣くぞ、ビリーが(笑)

たわけて神戸・その4

翌朝。10時に起床すると、脳はまだアルコールに蝕まれている。
またもや同じ書き出し(笑)
つくづく「たわけ」である。
入浴して酒を抜くのも前の二日同様。
溜めたお湯に1袋100円の入浴剤をばらまく。ささやかな贅沢だ。って、前日神戸牛だのアワビだのを食っておいてささやかな贅沢って話もなかろうが。
入浴後、ドリップバッグ式のコーヒーを入れて脳を起動する。
「薄いなぁ、コーヒー」

正午にロビーに集合、近場の店でパスタランチを取ってタクシーでまずはホテル・オークラへ。この日アニメーション神戸に出席のために、わざわざいらしたザ・マッドハウス丸山さんと合流。アメリカから戻ったばかりだというのにタフな方である。神戸に一泊して翌日は小豆島に宿泊するとか。美味い物と温泉に目のない方である。
まめにしてタフ。
アニメーションのプロデューサーとはそうあっていただきたい。
丸山さんはホテルのロビーで、とある作品のコンテをチェックしていた。コンテを数冊持って歩くだけでも私ならげんなりする方だ。情けない。
是非、見習いたいと思う。出来れば美味い物と温泉の方を。

丸山さんからチベットの土産話を聞かせてもらう。
チベット、と聞いても私には合いの手を入れるための材料すらほとんどない。
他人の話を上手に聞くためには、それなりの知識が必要である。だがしかしチベット。
せいぜい思い浮かぶのは、映画『ココシリ』くらいであろうか。
これは大変素晴らしい映画である。
以前、町山智浩さんがブログで紹介していて、見たいと思っていたところ、ありがたいことにソニーさんからDVDをいただいた。
原題は『KEKEXILI:MOUNTAIN PATROL』、2006年の映画。
チベットカモシカの密猟者を、まさに命がけで追撃する山岳パトロールを描く内容で、予定調和を排した展開もさることながら、とにかくチベットの風景がすさまじいほどに圧倒的で、美しい。風景の威圧的な存在感。画面が素晴らしい。
CGではないと信じたい(笑) いや、これは本物だろう。
風景だけでも超一流の映画である。
こういうものこそブルーレイで見たいですよ、ソニーさん。

さて、丸山さんがなぜわざわざチベットまでいらしたのかは企業秘密であろうから差し控えるが、標高5000メートルの高地を訪れるために、2ヶ月間スポーツクラブに通って心肺機能を高めたというから感服する。
しかし何より感服したのはお土産だという「マニ車」。
現在、マッドハウスの正面玄関には、あまり役に立ちそうにない健康器具の隣に素晴らしい美術品が鎮座している。チベットのマニ車である。
どちらも丸山さんが買い求めたそうだが、この「役に立ちそうにもない健康器具」と「素晴らしい美術品」という両端がプロデューサー丸山さんの幅広さを顕著に表しているようにも思えて来る。
しかも結局のところ、どちらも「実用上の役に立たない」という点では選ぶところがない(笑)
エンターテインメントの仕事とは、まことそうしたものである。
ウィキペディアによれば「マニ車」とは「チベット仏教で用いられる宗教用具」で「転経器(てんきょうき)」とも呼ばれるもの。「円筒形で、側面にはマントラが刻まれており、内部には経文が納められている」のだそうで、「右回りに回転させると、回転させた数だけ経を唱えるのと同じ功徳がある」というありがたい代物。
私もインスタントに功徳を回してみた。グルグル。
チベットで買った際には日本円で1万〜1万5千円という、見かけの割に安価だったそうだが、チベットから日本までの輸送費にエラクかかったそうな。
10万円(笑)
結果的に高いのだか安いのだかよく分からないことになっているが、得てしてエンターテインメントもそうしたものである。高い予算をかけてろくなものが出来ないとか売れないものしかできないこともあれば、低予算でも価値のあるもの、売れるものが出来ることもある。
良くなりそうなアイディアや才能を見極める目が問われる。
審美眼を養うにはそれだけの対価が必要だと私も思う。私も見習いたい。
美味しいかどうかは食ってみないと分からないものなのだよ。うむ。

プロデューサーという仕事は、私にもなかなかうまく把握できないが、畢竟するに「誰もまだ価値を見出していないものに価値を見出し、それを形にして世間に出す」ということであろう。
すでに世間的評価のついたもの、たとえば、100万円の価値と既に定まったものを110万で買って、120万で売るような行為なら誰にでも出来ることである。多少の厚顔ささえ持ち合わせていればだが。
真の意味での「プロデューサー」とは、つまりは「目利き」と同義であろう。
いまだに忘れ得ぬ言葉がある。
かつての漫画家時代、「編集者」に関してある方から素晴らしい指摘を聞いて、以後、アニメ業界におけるプロデューサーや制作職にもその基準を用いている。
当時、私はこう思っていた。
「編集者が、漫画の演出だとか構図だとか絵だとか、そういう技術的な細かい部分なんて分からないものじゃないんですか?」
私の浅はかな言葉にその方はこのように答えてくれた。
「反物の善し悪しも分からない呉服屋の番頭なんて話があるかよ」
うーん、なるほど。目から鱗がポロリ。
つまり扱っている物の善し悪しが分からない人間は素人である。そういうことだ。
だから編集者であれ制作であれ、自分が扱っている物の善し悪しを判断できないということは、ただの素人である。私はそう思うことにしている。
他人に判断してもらうまでそれが分からないならば、まったくもって素人である。
「プロデューサー志望」などとお気軽に口にしている方々は、知性と教養を磨くと同時に色々な下世話さも身につけることで、肝心な審美眼を養ってもらいたいものである。
ま、保身に尽力しているような「木っ端役人」には期待するだけ無理な話だろうけど。

時間が来て、脳内に広がっていたチベットの風景は途端に三宮の現実に引き戻される。
「アニメーション神戸」授賞式会場となる西山記念館にタクシーで移動。
この会館にどのようないわれがあるのかは分からないが、建物に入った途端ちょっと嫌な予感がした。申し訳ないが、本当にそう感じた。
「あ。この場所は……私には、まずい」
霊がいる!
冗談冗談。私は「そっち系」には無縁である。
何というか建物内の空気の澱み方が気になる。精神の力が少しずつスポイルされていく感じ。長くいるとちょっとまずいことになりそうな気配である。
あるいは単に連日の痛飲で体調が低下して、精神の皮膜が薄くなっているのかもしれない。
タイプは違えど、入った途端に自分にとってネガティブに感じられる場所というのはある。すぐに思い出されるのが、去年「東京国際映画祭」で初めて足を踏み入れた六本木ヒルズ。あそこはどうも長居できない感じの空気に感じられた。
上記二カ所はいずれもハレの場であったので、こちら側のセンサーに多少の変調があったせいかもしれないが、しかし仕事場の近所にある飲食店でも苦手な場所があるから、必ずしも精神状態にだけ原因を求められるわけでもあるまい。
ともかく、折角授賞のために招いていただいたのに、何だか申し訳ない気がしてくる。
控え室には受賞者や審査員、イベント関係者の方々が歓談しておられるが、控え室に澱む感じの空気がまたどうにも気持ち悪い。念のため再び断っておくが、人々の間にある空気や雰囲気のことではない。建物に澱んだ気のことである。
控え室よりは廊下の方がまだましなので、喫煙所で自分の周囲に馴染みの煙を散布して、澱んだ空気を少しでも追い払う。
タバコ飲みは少なからずおられるようで、ガイナクスの武田さんやアニメージュの大野さんなどタバコを喫しつつ雑談する。
今回受賞する『パプリカ』制作のきっかけとなったのは、他ならぬこの大野さんである。大野さんが筒井先生との対談を組んでくれたことが『パプリカ』映画化の端緒となったのである。どうもお世話になりました。
パプリカもきっと感謝していることでしょう、夢の中で。

授賞式での模様は先日のNOTEBOOK「第12回アニメーション神戸・作品賞(劇場部門)受賞」でも書いたとおり。
受賞作のクオリティに驚かされた次第である。私には真似の出来ないものばかりで、良い刺激を受けた。
もう一つ驚いたことと言えば、ステージ上で神戸市長さんから記念の楯を手渡された後、授賞のコメントを申し上げるときのこと。
一礼して観客席に向かって顔を上げると、関係者席と覚しき観客席中央の2、3列目に、たいへん快適に睡眠なされている老婦人の全開された大口が目に入った。
吸い込まれるかと思った(笑)
ちょっと想像していただきたい。シートに座り、さほど高くない背もたれに身体を預ける。すると、背もたれ上部の角がちょうど首の後部に当たり、頭部がちょうどのけぞる格好になり、自然と口が開くだろう。それがいっぱいいっぱいに開いた状態となっている。
壇上から、そのぽっかりと穿たれた黒い空間に目が釘付けになってしまった。
「『パプリカ』のスタッフ・キャストを代表してこの賞をいただきたいと思います」
などと無難なコメントを発しつつも、私が頭の半分側で考えていたのはこんなこと。
「口というのは、まことに人間の顔に空いた穴なのだなぁ」

授賞式会場となったホールも、やはりそこを覆う空気が少々苦手だったので、授賞式に続くトークショーは聞かずに喫煙所に避難する。
やばくなったら全力でその場を離れるに限る。
喫煙所に集まってくる顔ぶれは先ほどと同じ。親近感が湧く。
共通点といえばタバコと業界なので、自然とそんな話題に煙は流れる。
「タクシーまで禁煙になったね」
「タクシーの中くらい我慢しましょうよ」
私もそう思う。
「けど、電車降りて駅出て、タクシーに乗ってやっと吸える!思うたら吸えんちゅうのがきついわ」
タクシーが禁煙になるのは客にとって良いことだと思うが、スモーカーの運転手が気の毒ではある。
煙は流れて海外での日本のアニメの受け取られ方について。
「海外でも随分ロボットアニメは受け入れられるようになったけど、スポ魂ものだけは理解されないねぇ」
そういえば確かに、海外のアニメイベントや映画祭などでは、日本におけるほどにはロボットアニメの存在感を感じたことがない。
海外ではメカそのものへの興味も少ないのだそうで、ロボット物が受け入れられるとしても基本的にはキャラクターの魅力ということなんだそうである。
それでも『ロボテック』なんかは人気があると聞くが、実際のところはどうなんだろう。実写化もされるそうだが。
「海外で人気がある」という話はよく聞くがそれが実際どの程度のことなのか、さっぱり分からない。
ちなみに『ロボテック』は、アメリカ版の『マクロス』といえばいいのか。『超時空要塞マクロス』、『超時空騎団サザンクロス』、『機甲創世記モスピーダ』を無理矢理リミックスしたものだそうだ。
その無理矢理さ加減についてはこの本に詳しい。
『オタク・イン・USA 愛と誤解のAnime輸入史』
パトリック・マシアス 著/町山智浩 編・訳(太田出版)
アニメを知らない人には笑いにくい点もあるだろうが、この本は傑作であった。
さて、海外でほとんど理解されないのがスポ魂もの。何度か耳にした話である。
確かにアメリカやヨーロッパで『あしたのジョー』や『エースをねらえ!』を目にしたことはないように思う。
高校生にして「お蝶夫人」なんて理解の外なんだろうか(笑)
訳すと「マダム・バタフライ」になるんだろうか。何だか、悲しい運命を背負ってそうな竜崎麗香だな。
「でも、『キャプテン翼』なんかは人気があるんじゃないんですか?」
という私の素直な疑問に返ってきた答えはシンプルそのものだった。
「あれはサッカーだから」
なるほど種目ピンポイントということか。ヨーロッパなどサッカー人気の高い地域だから受け入れられたということらしい。
「だからって、アメリカで『巨人の星』が人気が出るってこともないけど(笑)」
そりゃ、そうだろう(笑)
「貧乏と根性」がかの国の「合理性」とやらと相性がいいとは思えない。
しかし、『ロッキー』だって『ベスト・キッド』だって、不可能なはずの壁を根性で乗り越えるといった点では、基本的にスポ魂と同じ構図のような気がするが、何が違うのだろう。
分からなくても別にいいようなことではあるが。

たわけて神戸・その3

翌朝。11時に起床すると、脳はまだアルコールに蝕まれている。
前日と同じ書き出し(笑)
まったくもって「たわけ」である。
前日にならって風呂に入り、アルコールの排出に努める。
チェックアウトの時間が迫っているので暢気にはしていられない。ホテルの冷蔵庫にあったミネラルウォーターだけでは目が覚めないので、カフェインを摂取するべく缶コーヒーをあおる。グビッ。
「うう、甘い」
却って気持ちが悪くなる。

チェックアウト。この日宿泊するのは別なホテルで、そちらのチェックインの時間まで2時間ほどある。
とりあえず飯でも食べようということで、また蕎麦をすする。
前日と同じ店、前日と同じメニュー「鴨せいろ」。しかし盛りは普通で。さすがに大盛りを収めるには私の胃だって機嫌が悪い。
すまんな、内臓の諸君。私は暴君だ。
蕎麦を食べ終わってもまだ時間がたっぷりある。北野坂をノロノロと上がってみることにする。宿泊するホテルはクラウンプラザ神戸で、坂を上がっていった新神戸駅のすぐ隣である。
天気が良く、汗ばむほどの陽気だ。この日は祭日の土曜日。異人館のあたりには観光客の姿が多い。
新神戸の駅に隣接したショッピングモールで時間を潰して、さてチェックイン、と思ったら。
驚いたことに、ホテルの受付にチェックイン待ちの行列が出来ている。
行列が出来るホテルなんて初めて見た。
どうやらこの日、ホテルは結婚式のラッシュらしく、あちこちのお国言葉が漏れ聞こえるロビーは正装した人でいっぱいである。
チェックインを待ちながら思い浮かんだ、結婚式に対する素直な感想はこの通り。
「ふん。どうせすぐ別れるのに」
半分くらいは当たっているであろう。
そういえば、異人館のあたりにも友人の結婚式に招かれたのであろう人々の姿も見えた。あのあたりはブライダルのメッカらしい。その辺の白いチャペルで上げる結婚式が地元の娘たちの憧れなのだろう。
それらに対する私の素直な感想は次の通り。
「たわけめ」
二日も続けて二日酔いを抱え込んでいる男の方がよほどたわけだとは思うが。

ホテルの部屋は23階。眺めは悪くない。
神戸から大阪方面側の景色が眼下に広がり、ひしめいて立ち並ぶ建物がミニチュアのように見える。
「わっはっは、この愚民どもめ!」
アホなこと言ってないで、さて仕事である。
「デジスタAWARD」の採点がいくつか残っていたのをやっつけ、NHK「デジスタ」事務局へ採点表を送る。
16時過ぎに新神戸駅に到着する家内を迎えに駅へ。仕事にかまけてばかりの旦那としては、「授賞式」にかこつけて家内を神戸に招待した次第である。一人で美味い物ばかり食べていては申し訳ない、というもの。
広報課長にも連絡を入れておく。
「今日は神戸牛を食べましょう、適当な店を4人分予約しておいてもらえますか?」
「ほな、当たってみます」
4人というのは課長、家内、「世界が認めた才能」そして第四の男はH氏である。
このHさんは「脳ストップアメリカ」に登場したマッドハウス・Hさんと同一人物である。

神戸入りしたHさんと合流して、ステーキの「カワムラ」本店へ。課長に予約しておいてもらった店である。
店の所在を失念してしまい、ネオンの雪崩の中で遭難しかけるが、広報課長が救援に駆けつけてくれて無事に店へ。
「カワムラ」は以前、支店の方に入ったことがあるが、本店は初めて。煉瓦造りの内装はいかにもオーソドックスなステーキハウスといった趣である。
http://www.bifteck.co.jp/
神戸牛のコースに、アワビのステーキを二人前付けてもらう。
ビールで乾杯して、コースのトップバッターである「牛の刺身」を三球三振させ、続く「テールスープ」も一気に打ち取る。美味い。
そしてクリーンアップはまずアワビである。アワビのステーキが大好きなのである。
ジュワッ!
目の前で手際よく焼かれて身を縮める気の毒なアワビ、期待膨らむ幸せな私。
一切れ口に入れるとお口いっぱいに広がる幸福。それがアワビ。
刺身で食べるとあれほど硬いものが、なぜ焼くとこんなに柔らかくなるのでしょう。モグモグ。
ああ、美味い。
身も美味しいがワタも美味い。
注文した二つのアワビは、そのワタの色が見事なほどに異なっている。片や茶系のアースカラーだが、一方は不自然なほどの緑系である。
どちらかが近頃ブームの偽造なのではないかと疑いたくなるほどだ。片方は本物のアワビだが片方はトコブシの化け物とか。
店員さんに聞いたところ、ワタが緑の方がメスで茶色いのがオスだとか。きっとメスの方が美味しいのであろうと思ったら、味にはあまり違いがないようだ。
コースに戻って「フォアグラ」である。うう、身体に悪そう(笑)
しかし美味い物とは得てしてそうしたものである。「不健康な生活するためには健康でなくてはならない」とどなたかが仰っていたそうだが、私も見習いたいものである。
フォアグラはまさに口の中で溶けて広がるようだ。
食事を強力にサポートしてくれる赤ワインがまた美味い。有名な割りに中身はピンキリといわれるジュヴレ・シャンベルタンだが、飲んで美味しければそれで良い。
そして真打ち、神戸牛のステーキ。
ヘレとロースを2人前ずつ頼んだので、半々にシェアしてもらう。
うむ。どちらも美味いが、私はやっぱりヘレだな。
デザートとコーヒーまで、きれいに完食。満腹。
ごちそうさまでした。
さて、美食の多幸感の後に待っているのはお会計という厳しい現実。
いつも皆さんにはお世話になっているので、ここはひとつ私が接待することにする。
行け、諭吉部隊。
満足度と財布の中身は常に反比例であることだよ。

続いては課長の案内で世界のビールが飲めるという店に移動。
店の名前を失念したが、ネットで検索したところ多分、この店であったろう。
「ビアカフェ・ド・ブルージュ」
http://gourmet.yahoo.co.jp/000……006783537/
ソファの具合も悪くないし、薄暗い照明もいい。店内は盛況で少々やかましいのは致し方ない。業務連絡のために携帯電話片手に外に出て行ったHさんが、電話で話しつつ店内に戻って来た。はて?
「いやぁ、外の方がうるさくて(笑)」
三宮は路面にも活気があるということか。阪神淡路大震災から12年。街の中で震災の爪痕はまったく見られない。

店のメニューには確かに世界中のビールの銘柄が並んでいる。
ワインもビールも銘柄はよく分からないので、ベルギーの「サタン」にしてみる。「世界」をよく知る課長のお薦めである。濃いめのビールも美味しい。
なぜ一専門学校の広報課長が「世界」をよく知っているか、というと別に彼が金持ちで外国旅行が趣味であるといったリッチな背景ではない。
彼がいかなる履歴の持ち主か、簡単にかいつまんで紹介すると次のようになる。
「専門学校の広報担当だったが、ある時一念発起、ヨットに夢を馳せて「海の男」になるべく職を辞して単身オーストラリアに渡る。帰国したらタイ式マッサージ師になっていた」
かいつまみすぎると訳が分からん(笑)
「美大を出て漫画家になるが、いつの間にかアニメーション監督になる」
全然面白くない。
彼は、退屈している暇もない人生を生きているように見受けられる。
「人生山あり谷あり」だとか、家康の「人生は重い荷を背負って坂道を行くが如し」なんて人生訓もあるが、彼の人生は『パプリカ』の歪む廊下の如しである。
昨日の山も今日の谷。
話を聞いているとこの上なく楽しい男である。
私がアートカレッジ神戸に関わりを持つようになったのも、彼のおかげである。

そんな話をしながらビールを飲む。グラスの中の「サタン」はすでに調伏して私の胃に収まったので、次なるビールの魔物に相対してみる。メニューを眺めることしばし。
「じゃ、ギロチン」
何だか刺激的な名前の銘柄ばかりをオーダーする。
腹はいっぱいなので、肴はは課長の海外武者修行譚。
「そういや、聞いてなかったけどさ。オーストラリアに行って、どうやって食ってたの?」
「金持ちのヨットの貝殻取りとか、ピッキングとか」
「犯罪かよ!?」
と、思ったら果樹園で果物を収穫する仕事をピッキングというのだそうだ。
日本の飲み屋で高らかに言うな(笑)
さらには洋上でヨットが故障して漂流した話やら、周囲360°見渡す限りの水平線という景色の中で排便する爽快感やらについて聞きながらビールをあおる。
「サタン」と「ギロチン」ですっかりいい気分になって店を出る。
課長は帰り、我々はホテルにブラブラと歩いて戻る。
私も、そ・こ・で・ホ・テ・ル・に・か・え・れ・ば!、翌日アルコールの余韻が主張することもなかったのだろうが。
「一杯くらい飲んでいきましょうか」
気分がいいのでさらに飲みたくなるのが「たわけ」の「たわけ」たる所以である。
ホテルまでの道すがら、雰囲気の良さそうなバーがあったので入ってみる。
「mishima」という店である。
http://www.bar-food.com/
ウェブサイトの説明によると、場所は「北野坂の東側の不動坂の途中」ということになるらしい。
2階に案内されると、そこは大変快適な空間である。
サイトの「どんな人?どんな店?」という案内から引用してみる。
「2階は、北欧のソファが3つ。カップルや友人たちと楽しめる吹き抜け天井のゆったりした空間」
まったくその通り。座り心地のいいソファでくつろぎながら飲める。
たまたま他の客がいなかったので、静かなのもいい。
「私たち自身が、お客さんになりたい、そんな店です」
なるほど。それはいい心がけに思える。
「私自身が、お客になりたい、そんなアニメーション映画です」
言ってみたいものだな。
店主の奥さんと覚しき女性がPHSを置いて行く。
「御用がありましたら、この1番のボタンを押してから、通話ボタンを押してください」
変わった店だな(笑)
メニューでお勧めの白ワインをいただく。
ブログによると、この店の最近のお勧めはこちららしい。
「11月にはボジョレー解禁ですが、その前に「mishima」では、
イタリアの初のも「ノヴェッロ」をプッシュ!毎年、こっちの方が旨い」
つい最近まで知らなかったのだが、フランスのヌーボーワイン同様、イタリアにもやはり新酒ワインがあり「ノヴェッロ」というらしい。先日、別な店で飲んだがこれもまた美味しかった。

雰囲気のいい店で気持ちよく美味しい酒をいただき、バカ話の花を咲かせつつも仕事の話なども交えて歓談。
すっかり楽しい気分になってホテルに戻る。ウィーック。
楽しいのはいいが、連日内臓は悲鳴を上げ、直訴状が届いている。
「勘弁してください」
うむ。考えておこう。

たわけて神戸・その2

翌朝。10時過ぎに起床すると、脳はまだアルコールに蝕まれている。
隣のベッドで寝ていた課長の姿はない。7時半に起きて学校に行ったのであろう。偉い。給与所得者はそのようでなければいけないであろう。
私にはなかなか真似できない。
バスタブにお湯を溜めてゆっくり浸かってアルコールを浄化するが、深酒はなかなか意固地である。
早よ出て行け。

食欲が奮わないが、何か食べておかないと講義中に腹の虫が鳴き出すことになる。こういう時は麺類に限る。
神戸出張の際、定番にしてい蕎麦屋があったのだが、前に来た折に二、三度訪ねてもシャッターを閉じたままだったので、別な店にする。「堂賀」という蕎麦屋である。
http://www.doukasoba.com/
以前、一度入ったことがある店だ。注文は決まっている。
「鴨せいろを田舎そば(太打ち)で。あ、大盛りにしてください」
食欲が奮わないという話はどうしたんだ。
関西には美味しい食べ物が多いとは思うが、どうにも美味しい物に当たったことが少ないのがラーメン、そして蕎麦。地元を知る方に聞いてもこれらが美味しい店の評判はあまり聞かない。
関西といっても私の場合、ほとんど神戸しか知らないが、これまで何軒かラーメン屋にトライしたが結果は全敗と言っていい。
どの店も独自の要らない工夫がこらされている感じである。定番の味というものもないかのようだ。
蕎麦屋は何軒かしか入ったことはないが、結果はあまり芳しいものではなく、そもそも蕎麦屋が少ない。
美味しいと思えたのは三宮そごうに入っている「藪そば」。やはり蕎麦は東京スタイルが望ましいということか。「蕎麦はやはり関東のもの」、確か司馬遼太郎もエッセイでそんなことを書いていた。
「堂賀」という店は、なかなかの味。
この店の近くにある「あわびや」という魅力的な名を冠した店の主に以前教えてもらった。
アートカレッジ神戸のアニメーション学科の先生とこの店で飲みながら蕎麦談義をしていたところ、店主が会話を耳に挟んできたのである。
「うまい蕎麦ですか、このあたりだと……」
そうして教えてくれたのが「堂賀」と「藪そば」である。
固麺好きの私には「堂賀」の麺の腰に物足りなさを覚えるが、贅沢は言えない。十分言っている気もするが。
だいたい美味いとか何とかいうより、仕事に備えて血糖値を上げ、同時に前夜のアルコールに退散いただくための麺である。
ズルズル……うう。
蕎麦湯をすするうちにいくらか活動的になってくる。
さてと、仕事だ。

アートカレッジ神戸の職員室に行くと、広報担当の女性がクールな顔で教えてくれた。
「課長は倒れてます」
ありゃま(笑)
朝7時半に起きて仕事に行ったと思っていたのに、前夜の深酒が相当こたえたらしい。
後に本人に聞いたところによると、こういうことらしい。
「ホテルを出たところで歩けなくなってしまって、そのままサウナに行きました」
ちゃんと9時に学校に行ったのではないのか?(笑)
「1時に来ました」
何だよ、褒めて損した(笑)

校長室に不似合いなものがいた。
チワワである。
校長が飼い犬を連れてきていた。前夜、例の焼き肉屋であれこれ話している際、飼い犬の話に話題が及び、私が言い出したのだ。
「連れてきてくださいよ」
その「パピィ」という名の小さな犬が目の前で震えている。文字通り震えている。
なんでも、たいへん人見知りをする犬だそうで、飼い主である校長のそばを離れようとしない。
私と目が合うと、パピィはフリーズし、そして震え出す。
すまんな、パピィ。私の心ない一言で余計なストレスをかけてしまった。

13時半からレギュラー通り、1年生を2コマ、続いて2年生を1コマの授業。
いずれの学年も、年間を通じて短編を一本制作する。1年生は一人で一本、2年生はクラスで一本。
アイディアから脚本、コンテ、レイアウト、原画動画、背景、仕上げ、撮影と一通りのプロセスをこなす中で、その場に則したことを教えている。
決まった教科書などはないので、毎年毎学年ごとに私の話す内容は異なる。
技術的なことを習得する、というより、アニメーション制作に関わる態度を身につけて欲しいと思っているのだが、常に思うのは同じこと。
「君たちは、もっと絵を描け」
なぜそんなに上手くなくて焦りもしないのだ。不思議で仕方がない。
絵を描かない制作職などを目指す人はともかく、作画にしろ背景にしろ絵描きの職を目指すなら、専門学校においてはデッサンだけやっていれば良いのではないかと私は思う。
見たものもろくにかけないのに、見たことないものなど尚のこと描けるわけはあるまい。だいたいアニメの仕事なんて、他人の絵を真似るのが仕事なのだぞ。デッサン力以外の何が必要だというのだ。動きなんて、仕事についてからでも十分学べる。
仕事場に入って学ぶための能力の第一がデッサンの能力であるといって間違いない。
たとえいくら才能があったとしても、それを引き出すための身体的訓練は絶対に不可欠なのだ。
だというのに、まったく。
もっとも、専門学校も大学も「楽しむための猶予期間」であると認識している人が多い世の中である。
私だってそんなようなものだった。しかし気持ちは多少分かるが、いくら何でも私はもう少し絵を描いていたと思うのだが。

講義が終わって18時半。疲れたわい。しかしこの後イレギュラーの仕事。
学校の仕事ではなく、私が持ち込んでお願いした仕事である。
現在制作中の1分の短編「アニクリ」の声優オーディションである。
以前、NOTEBOOKでも記したとおり、アートカレッジ神戸の声優科の学生に頼んでみようという目論見である。
オーディション参加者は4名。在学生が2名、卒業生が2名。
卒業生はこのためにわざわざ東京から来たのだという。
うう……それは気の毒をした。そこまでされるとちょっと気が重い。すまない。
一人ずつ演じてもらう。
セリフは「おはよう」のたった一言とはいえ、その調子には無段階のグラデーションがある。息芝居だって簡単ではない。変に色気を出されて艶っぽいムードになっては場違いだし、淡泊では生っぽさに欠ける。
尺はわずかに一分なので、一度演じてもらってこちらのイメージと指示を伝えて二、三度演じてもらう。これを4人分。
様々な「おはよう」があるものである。
しかし、セリフにしろ息芝居にしろ、全体にある傾向が見受けられる。こういうようなこと。
「まるで、声優みたい」
声優になりたいといっている若者に向かって異なことを言うようだが、つまり既存の「声優みたいな芝居」を演じようとするベクトルが感じられる。芝居している人を演じるという芝居の二乗。それではリアリティは彼岸へ遠のく。
しかし、これは何もここの学生だけの問題ではなく、プロも含めてあまねく声優業界を覆っている傾向である。
プロで流通しているようなものを目指すのは無理からぬことだ。
そこは絵も声も変わりはない。
だが、目指されているプロの側も同様であることに肯定的になるわけにはいかないと私は思う。そのあたりについて書き始めると、圧縮してある不快が解凍されて溢れかねないのでここでは措く。

「おはよう」の一言がこれほど難しいとは思わなかったが、しかし一言だから却って難しいという面もある。
かくいう私も一度だけ「声優体験」があるが、やはり一言が難しかった。
「いらっしゃいませ」
『パプリカ』の最後に出てくる「ラジオクラブ」のシーン、バーテンのこの一言がどうも納得がいかなくて何度か録り直した。自分で喋って自分でNGを出しているんだから世話がない。
いかに一言が難しいかはそれなりに分かっていたつもりだが、改めて一言の持つ幅を考えさせられた次第である。
この短編の「おはよう」という一言は、鏡の中の自分に向かって発せられるセリフである。これがまた難しい。
「おはよう」「おはよう!」「おはようッ!」「おはよ」「オハヨッ」「オハヨウ」「ヲハヨウ」……。
いずれも「おはよう」であるが、喋り言葉では文字で表記しきれないくらいの幅があり、それぞれ微妙なニュアンスを持っている。
「おはよう」
「それだと彼氏に向かって言ってるみたい。仲のいい友達に向かって言うくらいの感じで」
「おはよう!」
「距離が遠すぎるな。相手がもう少し近くにいる感じ」
「おはよう」
「妙な色気が出てきたかな。ムードが“紫”になってる」
「おはよう」……
といった具合である。
演じる方も難しいが、微妙なニュアンスを伝えるための言葉を探すのも難しいものである。
オーディションは私の勉強にもなった。
オーディションに参加してくれた皆さん、声優学科の先生、本当にどうもありがとうございます。

連発される「おはよう」のおかげで、体の芯に残っていた前夜のアルコールもすっかり抜けて私の頭も「おはよう」。
起きたら飲みに行かねばならない。ねばならない、って話もないが。
アートカレッジ神戸のある六甲アイランドから三宮まで車で移動。メンバーは先生2名、オーディション参加者4名、そして「世界が認めた才能」。冗談冗談。
計7名というと結構な人数である。
本当はこの日、アニメーション学科の先生が私と行くために予約しておいてくれた店があったらしいのだが、急遽大所帯になったのでキャンセル。そんな人数で行くとお会計の際、酔いが覚めることになるようなお店らしい。是非次の機会を楽しみにしたい。
ということで、7人が入れるという条件を最優先して店を当たってもらった結果、決まったのがここ。
「銀平」
http://www.ginpei.com/
何だか「NOTEBOOK」というより、ただの飲食店紹介になってきているが、魚自慢の店らしい。
店先には「鯛めし」の看板。ワクワク。
座敷に落ち着いてまずは乾杯。未成年はお茶。
どうせ普段は酒も飲んでいるのだろうが、教育者が一緒にいて未成年の飲酒が発覚しては洒落にならない。こんな新聞記事は見たくない。
「世界が認めた才能、逮捕!」
ない、っちゅうの。
でも、もしそんな事態が出来した場合、やはり報道されるであろうか。
どんな見出しになるのだろう?
「世界的アニメ監督逮捕! “夢と現実の区別がつかなくなった”と本人」
嫌だな(笑)

さて「銀平」。驚いたのは「お通し」である。お通しが三品というのはなかなか豪華だが、しかしそのうちの一品に目を見張った。
「鯖寿司」
いきなり炭水化物かよ(笑)
しかし、美味い。さすがに魚自慢の店である。後に頼んだ刺身の盛り合わせも悪くないし、締めに頼んだ鯛めしも美味しくいただいた。
美味しい肴と美味しい酒で歓談。
オーディション参加者は皆いい子たちである。
倍率が非常に厳しい声優という職業で食っていけるようになるには、実力ももちろんだが運も大きく作用する。
能力を磨くことが何より重要だが、自分を取り巻く潮と風を上手く捉えて生き残ってもらいたい。
健闘を祈る。
私は業界非主流の監督なのであまり役立つ人脈でもないだろうし、声優業界で主流の芝居に対しては特にネガティブな方なので、私のアドバイスはあまり聞かない方がいいようにも思えるが(笑)、私が声優の芝居について思うことや、実際のアフレコで感じたことや声優さんから聞いた印象的なことなどを酒の合間にインサートする。
アルコールの摂取量の増大と共に「ギョーカイ裏話」みたいなことになっていたかもしれないが、飲みの席とはそういうものである。
益体もない話しか出来ずに申し訳なかったが、私の拙い話から少しでも参考になることを抽出してもらえれば幸いである。同じ話を聞いても何を取り出せるかは聞く側の力次第であろう。
声優というと「言葉を発する」ことに重きを置いて考えがちであるが、同じくらい相手の言葉を聞く能力が問われるものである。近頃は共演者のセリフなど全く聞いていない声優も多い、というのは音響監督の弁。私もそう思う。相手の言葉を受け止められない人間は、その発する言葉に人を動かす力はない。
役者に限らず、受け取る能力を軽んじないように頑張ってください。
お前もな?
うん、よく分かってる。