年賀状越年・その1

武蔵野美大・映像学科のゼミは最終日が12月の26日。
本来後期の講義期間は終わっているが、北欧出張の際一度休講にしているし、卒業制作の提出時期も迫っているので、臨時のゼミである。
ゼミ終了後は学生たちと打ち上げ。場所は定番の鷹の台「風神亭」。皆さん、お疲れさまでした。
私も疲れていたのか、帰りの中央線を二駅ほど寝過してしまった。
ああ、びっくりした。

翌27日はマッドハウスの仕事納め。
この日、恒例となりつつある中野サンプラザでの大忘年会も行われた。
案の定、私はビンゴに無縁である。
まぁ、そんなところで運を使ってしまわなかったので安心したのだが。
どうも、近頃は特にやかましい場所が苦手になっている。
忘年会もその二次会なども嫌いではないのだが、やかましい場所にいると勢いよく不快度が増してくる。
適当なところで二次会から引き揚げ、吉祥寺で飲み直す。
どうもどうも、お疲れさまでした。

とりあえず27日に去年の仕事は納めたことにしたものの、納まりきらなかった仕事場の掃除と用事もあったので、29日も少しだけ出社。
用事のついでに某スタッフの年賀状のためにスキャンしてプリントアウトまで手伝うのだから、なかなか便利な監督である。
自分の年賀状も用意してないというのに。

大晦日になってようやく年賀状に着手した。泥縄も甚だしい。
画題はぼんやりとだが決まっていた。
何しろ09年は新作に専念するのだし(講師の仕事は続けるが)、その宣伝を兼ねて『夢みる機械』からイメージでなければなるまい。後は干支である牛だ。
それらをどう組み合わせるのかということになるが、牛と人(ロボットだけど)というとすぐに思い浮かぶのは「十牛図」である。
「十牛図」とは、Wikipediaから引用しておくと、「禅の悟りにいたる道筋を牛を主題とした十枚の絵で表したもの」である。
十枚の絵にはそれぞれ題が付されており、第一から第十までそれぞれ「尋牛」「見跡」「見牛」「得牛」「牧牛」「騎牛帰家」「忘牛存人」「人牛倶忘」「返本還源」そして「入廛垂手」となっている。
どういう意味なのか、知らない人は自分で調べてください。
もっとも、「十牛図」は話題になることも多いのでご存知の方もさぞや多かろう。
私が初めて知ったのは十年ほど前だろうか。河合隼雄先生の著書においてだが、去年読んだ『ユング心理学と仏教』(河合隼雄・岩波書店)でも詳述されており、他にもタイトルに惹かれて『十牛図入門』(横山紘一・幻冬舎新書)という本も読んでみた。
そんな背景から「十牛図」は私の脳の比較的目に付きやすい場所に位置していたので、年賀画像をどういう絵にするかは簡単に決まった。

次は「十牛図」のどの絵を拝借するかである。
いきなり「返本還源」でな何のことだかさっぱり分からないし(第八図「人牛倶忘」と第九図「返本還源」には人も牛も描かれていない)、『夢みる機械』の出番がないではないか。
使えそうなイメージは第四、五、六あたりである。
「得牛」「牧牛」なども悪くないが、『夢みる機械』のリアルな制作状況を素直に反映してしまい、新年早々抑圧された気分になりそうなので、監督の夢見る理想的な状況を選ぶことにした。
というわけで、第六図「騎牛帰家(きぎゅうきけ)」である。
さて、下描きである。
自宅で絵を描くなんて、いつ以来であろうか。何年ぶりかである。
「ええと……紙はどこだっけ……紙、紙……と。シャーペンは……何だよこの芯、えらく固いのが入ってるね、また……。あ、トレス台はどこだったっけな。その前に、ライトがないよライトがさ……しょうがねぇなぁ、もう。こっちのライトを移動して……」
間に合わせで絵を描く準備をでっち上げ、「さあ描くぞ」と思ったまでは良かったのだが、これが、全然描けない。
おそらく自室から絵を描くための「空気」が失われてしまっているせいであろう。仕事場で線画くらい描いておけばよかったと思うが、後悔先に立たず。

絵を描くにしても文章を書くにしても、仕事となると「仕事をする場所」としての空気がなくてはどうも調子が出ない。その場所でしばらく仕事を続けていれば、そこに仕事の空気みたいなものが充満してくるのだが、いくら狭い自室の六畳間とはいえ、年賀状のための画像くらいでは空気が満ちる前に終わってしまうというもの。
取りかかってふと気がつくと、牛の全体像なんて描いた記憶がない。
「どうやって描くんだ?牛」
ウェブで参考用に画像を集めてポーズと構図を考える。複数の画像を参考に、適当に牛をでっち上げる。キャラクターなんぞは別にどうということもない。コンテで随分描き慣れてきている。
「……これじゃ寂しいな」
牛の背にただキャラクターを乗せただけでは少々寂しい。参考にした第六図では牧人は暢気に横笛を吹いているので、それに従いキャラクターに笛を持たせることにした……までは良かったものの。
「……持てないよ、横笛」
何しろ、ロボットの手が「V」である。横笛なんて微妙なものを持つのは難儀な形状だ。
「ラッパにしちゃおう」
いい加減である。
ラッパで画像検索をかけて参考画像をすぐに手に入れる。さすが呼べば応えるインターネット。

素材が揃って構図は決まるが、生身の牛をロボットに変換しなくてはならない。
何せ『夢みる機械』には人間も動物も出てこない。たかが年賀画像とはいえ、その世界観に従うのが筋というもの。
仕事の空気はないし、不慣れな環境で描いているせいか、下描きが一枚で足りずもう一枚余分に描く破目になる。やれやれ。
清書はなおのこと厄介だ。いつも使っている筆記具もなければ慣れない紙である。弘法筆を選ばずというが、私は選びたいよ。
おまけに肝心の仕事用の眼鏡は仕事場に置いたままである。
普段かけている遠近両用レンズではどうもシャーペンの先がよく見えない。
眼鏡をはずした方がまだましだ。しかしそれでも、自室は絵を描く設定ではないために暗いのである。暗いとホントによく見えない。
困ったものであるが、加齢による機能低下は致し方のないこと。
こうした機能低下を嘆いたり無理に補ったりするよりは上手く共存することを考える方が建設的である。
よく見えないところは勘で線を引くことにする(笑)
イライラしそうな状況だが、何せウィスキーを飲みつつ志ん生を聞きながら作業である。大晦日らしいじゃないか。
とりあえず実線部分は清書終了。
こんなもんである。

process01

実線の後は、別紙に影とハイライトを描いて清書は終了、スキャンまでして簡単に合成してみる。

process02

気がつけば晩御飯の時間である。この日の作業はここで打ち止め。
着色作業は元旦に持ち越しである。

おせちはいいからカレーをね

newyear2009

明けましておめでとうございます。
昨年お世話になった方には今年もよろしくお願いしますと心底から思い、お世話だけをした人には今年くらいよろしくしたらどうなんだと言いたい。冗談だよ。
もう45歳にもなったのだ。誰にでも笑顔で言うべきだ。
「本年もよろしくお願いします(笑)」
なぜそうやって余計なものを付けるのだ。
よろしくお願いしますね、本当に。

年々、「正月らしさ」というものが世間から剥離している。
大型店舗は元旦から営業しており「もっと買えどんどん買え」と目に耳にやかましく、フロアにはお客が溢れている。巷間言われるほどに不景気にも思えないが、職を失い住む場所も確保できない人たちはそもそもスーパーマーケットには来られないのかもしれない。
相変わらずなのはテレビ番組くらいのようで、普段から見るものがないのに正月特番が番組欄を埋め尽くしており、なおのこと見るような番組はない。時折チラと目に入るバラエティ番組などはキチガイみたいな画面だし、時代劇などを見かけることどれもこんな風に見えてくる。
「新春隠し芸大会だろうか、これは」
うちの茶の間でテレビが映し出す番組はせいぜい「TBSニュースバード」や「アニマル・プラネット」くらいだ。いつもと何も変わらない。
テレビ番組は見ないがDVDは見る。
たとえば『人志松本のすべらない話』とか……って、それテレビ番組じゃないかという突っ込みは正月に免じて無しにしておいてもらいたい。
年末年始はなぜかヒッチコックの映画ばかり見ている。「何で今頃ヒッチコック?」と言われても困るが、見返し始めたら面白くなってきたのである。
見返すきっかけとなったのは『裏窓』。以後、『北北西に進路を取れ』『ハリーの災難』『見知らぬ乗客』『ロープ』『間違えられた男』と続けて見た。
見返すに当たって『裏窓』や『北北西に〜』といったいわば代表作はともかく、その後のラインアップが少々妙なのは、単に近所の店にそれしか置いてなかっただけの話である。『ロープ』などは初見だったが、全編1カット(実際にはロールチェンジのつなぎ目があるが)として撮られた実験的意欲作ということは知っていたので、見ておきたいとは思っていた。「1カット」という制限ゆえに生まれたのであろう演出やカメラワークが興味深かった。
いずれのDVDにも近年作られたメイキングが付属しており、良心的な作りがたいへん好ましい。
見返すきっかけとなったのは『裏窓』。四半世紀ぶりくらいに再見したのだが、こんなに底意地の悪い映画だとは全然思わなかった。私の目は節穴だ。
志ん生の「抜け雀」の一節、絵描きと宿屋の主人の会話が思い出される。
「おまえの眉(まみえ)の下に、両方ピカピカ光っているのは何だ?」
「これは目です」
「目なら、見るためにつけとくんだろう。見えないのなら、んなもんくりぬいてうっちゃっちゃっちまえ。あとへ銀紙貼っとけ」
銀紙でも貼っておくべきだった。以前見たときは単純に「ものすごく良く出来た娯楽映画」としか思わなかった。いや、良く出来た娯楽映画であることは間違いないのだが、その底意が泥沼のように深いのに驚いた。
もっとも、そこまで思い至ったのは見た後にこの映画を扱った書籍を読んだせいもあるのだが、見ている最中にずっと気になっていた。
「これ……って、主人公の主張の方が明らかにおかしいし、そのように撮っているのは何故だろう?」
実際、劇中で「事件」が「起きて」最後に「解決した」ということになっても、明らかにシナリオも演出もそういう風には出来ていない。
どう考えても事件が解決したように主人公たちが思っているだけで、この劇中では実際に「殺人事件は起こっていない」と解釈する方が自然であるように作ってある。
以前見たときはそんなことはちっとも考えなかった。
何でこんなややこしいことをするのだろう。
ということで、早速この本を読んでみた。
『ヒッチコック「裏窓」ミステリの映画学』加藤幹郎(みすず書房/¥1300+税)
先の疑問に見事に応えてくれる本であった。
正確に言えば、この本を読むために『裏窓』のDVDを買ったのである。どういう内容の本かはよく分からなかったが、ゼミ生たちの参考になるかもしれないという気で購入しておいたのだが、誰よりも私の参考になった。先の件に限らず『裏窓』を見ている最中に気にかかった点に丁寧な答えが記されていた。
「ああ、そうそう……主人公の部屋を最初に紹介するカットも何であれから見せたのかと思ったんだよな……あの女の登場の仕方も妙だと思ったら韻を踏んでたのね……そうそうそうそう、あの住人たちの選び方もそういうことだよね……うんうん……え?あ、そうか!なるほどね、そういうことか」
とまぁ、ひどく印象に残った疑問と疑問にも思わなかったことなども指摘されており、非常に興味深い内容の本であった。
おかげで『裏窓』がどれほど無意識が仕組まれた映画であるか、どれほどヒッチコックが意地の悪い老獪な監督なのか少しは理解出来たように思える。
この本は『裏窓』という映画の仕掛けを読み解くという内容だが、もちろんヒッチコックの他の映画にも言及しており、それで「すわ!」とばかりにヒッチコック映画を再見したくなったのである。
本当は『サイコ』『鳥』『めまい』『レベッカ』など、特に有名なものから見たかったのだが、そこは文化に乏しい街に住む悲しさよ。「ヨーカ堂」と「ブルーフラッグ」の店頭には置いていなかったのである。
「どうせいずれ見るのだから買っておこう。¥1500だし」
しばらくの間、個人的ヒッチコック・ブームが続きそうである。
何しろ見ているだけで心地よいのである。だって、次にどのカットがつながれるのかがたいへん論理的だ。当たり前だけど。
私は近頃の、特にアニメなどの自己中心的でデタラメとしか思えない意味不明のカットつなぎを見ていると生理的に気持ちが悪くなってくる。
古くてけっこう。映像も文体が大事である。すっかり正月の話題から遠ざかってしまった。
正月と言えば「おせち料理」と相場が決まっているようだが、私は「おせち」というものをあまり好まない。手を付けたくなるような品はかずのこやいくらなどわずかである。コレステロールはたっぷりだが。
正月らしい料理というと雑煮であるが、一日中雑煮を食べているわけにも行かない。そこで元旦早々カレーである。
その昔にこんなコピーがあった。
「おせちもいいけどカレーもね」
冗談じゃない。私はタイトルの通りである。
「おせちはいいからカレーをね」
もっというとこうである。
「おせちなんかいいからカレーだ」
別に私の好物の筆頭がカレーというわけではないが、特に好ましく食べるカレーがある。
「デリーのカシミールカレー」
http://www.walkerplus.com/scov……k3007.html
初めて食べたのは、25年ほど前だろうか。以来四半世紀に渡って愛用しているレトルトカレー。市販品としては相当辛い方であろう。以前に比べると随分辛さも減っているように思われるが、それでも辛い。そして美味い。
近頃は近所の「ヨーカ堂」や「成城石井」でも扱っているので、食べる機会も増えたかもしれない。
うう、カシミールカレーという文字を打っているだけで口内に唾液が分泌されてくる。
私は初めて食して以来、このカレーはチキンとのコンビネーションで食べている。堅めに炊いた御飯(うちでは玄米)、それとナンで食する。
カレーは確かに辛いが、私は「汁だく」にしていただく。食べるとすぐに汗だくである。体中の毛穴が開きそうになる。
カシミールカレーはそれだけで一つのイベントである。
爽快な汗をかきながらカレーを食べる。
うん、実に元旦に相応しいイベントじゃないか……って、同意は得られそうにないな。

三昧

木曜日のこと。お宝が届いた。
ここのところ、来る日も来る日も小さいサイズでビルばかり描いており、目と手と肩にたいへん負担がかかっている。老眼初期とはいえ、以前ならさほど苦もなく描いていたものも細かいところがよく見えず、余計に疲労を誘う気がする。
この日も、ビルのパースを取り、新規の設定をあーでもないこーでもないとひねくり回し、脳と身体はすっかり萎れてしまった。
足取りも重く改札を出てよろよろと家路につく。
「さっと風呂に入って酒飲んで寝よう……」
と思って、家のドアを開けると家内が迎えてくれて福音をもたらす。
「届いてたよ」
見ると、そこには待望のお宝が段ボール箱に収まって鎮座していた。
「ひゃっほー!」
溜まっていた疲れが一挙に雲散霧消した。ような気がする。
宅急便によって運ばれてきたその宝物とは。
「五代目古今亭志ん生名演大全集」
CD48枚組(+特典ディスク2枚)である。

最近、仕事仲間から志ん生の落語を分けてもらってiTunesに入れ、清書のお供に愛聴しており、にわかに志ん生ブームが再燃していた。
若い時分、20代前半の漫画を描いていた頃にやはり志ん生を仕事のお供にしていた。
ネームの段階ではなかなか落語を楽しむ余裕はないが、下描きや特に清書の際には流しっぱなしで聞いていた。
志ん生の落語を最初に聞いたのは、確か大友(克洋)さんの手伝いに行った折であったろうか。その後、たいへん気に入ったのだが、当時は全集を買うような金があるはずもなく、やはり時折仕事を手伝わせてもらっていた漫画家の高寺(彰彦)さんにアナログレコードの全集を借りた。
カセットテープにコピーしていたのでは尺が折り合わないので、ビデオテープ(もちろんベータ)に音声だけを記録した。ビデオテープ2巻で計十数時間ほどあったろうか。
仕事中、どれほど笑わせてもらったか分からない。

アニメーションの仕事をするようになってから、落語、というより志ん生を聞くことから疎遠になっていた。私はおそらく落語そのものより志ん生が好きなのではないかと思われる。
疎遠になってしまったのは、多分ビデオテープに記録していたのが原因だろう。当時は仕事場で手軽にビデオを再生できる環境までは用意していなかったのである。
そのうちどんどんと疎遠になってしまっていた。その間は、別の「師匠」の音楽に没頭していた。
去年、いよいよベータのテープを処分しようと思い、残しておくべきもの(久保田早紀のライブとか)をせっせとDVDにコピーしており、この機会に志ん生の落語をiPodに入れようと思い立った。
思いつきは素晴らしく胸が高鳴ったのだが、残念ながら宝の山は掘り起こすことは叶わなかった。
テープがまともに再生できなかったのである。
トラッキングの合わない音声は、病後の志ん生よりも呂律が回っていなかった。

そんな背景があって、スタッフから分けてもらったデータで志ん生を聞いた。
ノイズも少なくクリアな音が感動的であった。無論、志ん生の名演はそれ以上に感動的であり、笑いすぎて清書の線が震えるほどであった。実際、定規の線が小刻みに震えてはみ出し、消しゴムのお世話になること幾たびか。
あまりに面白い。
「やはり全集を手に入れねば!」
思い立ったが吉日。
以前と違い、そのくらいのお金なら何とかなるくらいには仕事もしている。時期も12月、今年一年働いたご褒美として自分に贈り物をしても罰は当たるまい。去年だって『ウルトラQ』『ウルトラマン』『ウルトラセブン』のボックスを一挙に「大人買い」した実績があるじゃないか。
私はネットで買い物をするのはあまり好まないのだが、生憎落語の全集などはCDショップでは扱っていない。もし店頭で扱っていたらもっと早くに手に入れていたかもしれない。私は何しろ現金を払ってその場で品物を手にして持ち帰るのが好きなのだが、こればかりは仕方がない。バラで買って集めるのもどうも気に入らない。
ネットで検索して一番枚数の多い全集を選ぶことにした。志ん生病前のテイクが中心でリマスタリングされたものも多いというし、どうせ買うなら「大人買い」の気分も味わいたい。
48枚組で諭吉が10人出動というのは高いような気もするが、今年は全然CDを買っていないので、「月4枚」と考えると別に非常識でもあるまい。
注文ページで必要事項を書き込み、「送信」ボタンにマウスポインタを重ねる。
「えい!」
高価なワンクリックだ。
ああ、良かった、大人になって。

お宝が届いた翌日、起きてすぐに段ボールを開きいそいそと中味を取り出す。
「おお!感動的」
これが届けられたお宝画像である。

daizenshuu

こんなものを朝起きてすぐに撮影しているのだから私の喜びも想像に難くないだろう。うひひ。
一枚ずつパッケージを開いてパソコンのスロットに滑り込ませる。
さあ、せっせと呑み込むのだ。
とりあえず10枚ほどiTunesに取り込んでiPodにコピーし、早速通勤時に「火焔太鼓」を聞いてみる。
お囃子が聞こえてくるだけで思わずにんまりしてしまう。
住宅街を真っ黒な格好でにやにやしながら大股で歩く長髪ヒゲ眼鏡のおっさんはさぞや不気味であったろう。
電車の中では思わず笑いをこぼしてしまった。ええい、人目などかまうもんかい。
仕事中は勿論聞き通しである。
「黄金餅」「後生うなぎ」「らくだ」「強情灸」「宿屋の富」「搗屋幸兵衛」「一眼国」「抜け雀」「百年目」「元犬」……。うう、面白い。笑いが止まらない。「火焔太鼓(どんどんもうかる)」なんて下げの違うテイクも収録されている。何聞いても面白い。
こりゃもう、仕事のお供に聞いているのか、志ん生を聞くために仕事をしているのかよく分からない有様だよ、ンとに。
あんまり楽しいんで、一日で4枚分も聞いちまったよ。
けどね。これでもたったの四半分だよ、え?
これから毎日志ん生三昧だなんて、どうにもこうにも豊かじゃないかねぇ、おまいさん。

不意を突かれる

先ほど会社に来る途中、途中下車して吉祥寺ロンロンの本屋に立ち寄った時のこと。iPodでポッドキャストを聞きながら、本を物色していると声をかけられた。
「今 敏さんですか?」
緊張と紅潮をたたえた若い娘さんだ。
「はい、ちょっと待ってね」
言いつつ、iPodを停止し、最近大のお気に入りであるイヤフォンSHURE530(何と誕生日のお祝いにスポンサー有志の方からいただいた!)を耳から外す。
と、もう一人、友達らしきやはり若い娘さんが興奮を抑えた様子で小走りに駆け寄ってくる。
手帳を手にしている様子で意図は了解した。
今 敏監督作を好んでくれている娘さんたちらしい。
真っ黒ないでたちの男に声をかけようかどうしようか迷った末に思い切ったのだという。
「いつから付いてきたの?」
「武蔵境からです」
全然「尾行」に気がつかなかった(笑)
映画祭やイベント先など、今 敏を特定しやすい場所では見知らぬ人からの「要請」にも心構えができているが、出社途中はまったくの「素」である。
ちょっと驚いた。
よかった、変な書籍とか手にしてなくて。
電車の中ではヴォネガットの本を読みながら少々ニヤニヤしていたが、見られてしまったろうか。

「『パーフェクトブルー』を見てから好きになって」
というようなことを仰る。
「そんないかがわしい映画を見たんですか(笑)」
などと言いつつ場所を移動し、書店の他のお客さんに迷惑をかけないよう、店外のスペースでささやかなご要望にお応えする。
壁を机代わりにして、まずパプリカをサラサラ。
「あの、『妄想代理人』も見ました」
ありがとう。
もう一方には千代子をサラサラ。
「私、『千年女優』でちょっと泣いてしまいました」
さぞや千代子も喜んでくれるでしょう。
サインを渡すと素直に喜んでくれるのがうれしい。
「すごい!友達に自慢できる」
いえいえ、どういたしまして。私も友達に自慢しよう。
「今日会社来る途中、若い娘さん二人にサイン求められちゃったよ!わっはっは」
とかね。

ムカムカゴリゴリ

先週は神戸からの来客や日本工学院での特別講義などのイレギュラーはあったものの、基本はコンテ執筆。
久しぶりに集中して絵を描いたら、肩から背中にかけてすっかり固まってしまった。
視力も落ちてきたし、細かいものを描くのはしんどくなってきたのだが、身体のその要求に反して脳は細かいものを求めているのか、やたらと細密な描写を必要とするシーンが続く。
ああ、面倒くさい。

背中に堆積した一週間の疲れをほぐすべく、昨日の日曜日は何度もマッサージ機のお世話になる。
うう、背中と肩がゴリゴリする。
マッサージ機に揉まれながらの読書は至福の時間である。
先週のTBS「ストリーム」(ポッドキャスト)の「ニュースさかさメガネ」で取り上げられていた『ジャーナリズム崩壊』(上杉 隆/幻冬舎新書)を読む。
胸くそが悪くなるほど面白い。
新聞やTVにジャーナリズムなんてものを期待しているわけではないし、日本が誇る負の世界遺産「記者クラブ」の悪評は聞いたことがあったが、それにしても日本の新聞やTVの在り方がここまで腐っているとは。
案の定、というべきか。

記者同士で「メモ合わせ」なんて滑稽きわまりない談合をしていれば、どの新聞も同じことしか書いてないのも無理はない。
骨の髄まで談合体質のそうしたメディアが自分以外の業界における談合を報じて偉そうに批難しているのだから滑稽である。平和といった方がいいのか。
大新聞やNHKの傲慢ぶりには大いに笑わせてもらえる。
絶対に過ちを認めない体質だの、文章が引用されることには目くじらを立てるくせに、自社の紙面においては引用元を絶対に記さない態度など、以前から甚だ疑問に思っていた。
何が「一部週刊誌によると」だ(笑)

もっとも、「権力」のお先棒かつぎをしていながら「大手マスコミ」とやらの看板で偉そうにしている小役人記者たちの振る舞いは想像に難くない。
これまでの取材その他の経験を思い返しても、その媒体の規模の大きさと、担当者の携えている礼儀には、概ね反比例の関係があったように思われる。
随分前のことだが「取材してやるから会社まで来い」という態度の大手新聞による取材もあったし、学生のアルバイト代みたいなギャラで審査員を依頼してきた、やはり大手新聞主催の映画コンクールもあった。
もちろん、私が接した大半の方々は常識を持ち合わせていたと思われるが、しかしこう思うことが多かった気もする。
「感じのいい人だったな、大手の割に」

大手の組織に立場が保証された人間がどうなるのかは毎日のニュースで御案内の通りだし、それを報じている方々も変わりはしない、と。
組織が小さくてもその構造には変わりない。
いずこの世界も「既得権益」と「会社員根性」がどっしりと根を張っているものだ。
ああ、ムカムカする。
もういっぺんマッサージしよ。ゴリゴリ。

ワンセグ

昨日、ふと思い立ってワンセグチューナーというものを買ってみた。
仕事場のPCでテレビ番組を見るためである。
普段テレビはニュース以外ほとんど見ることもないのに、何故にワンセグかというと、昨日放送されたNHK番組「プロフェッショナル 仕事の流儀」を見るためである。何しろスペシャル枠1時間半での「宮崎駿〜「ポニョ」密着300日」である。
これを見逃すわけにはいかない。
というのはウソで、8日から開催される北京オリンピックの熱戦を見逃さないため、というのも勿論ウソ。
本当の理由は、こうだ。
「ワンセグチューナーが欲しかった」
清々しいほどの物欲ではないか。
あるいは、単に「仕事場でも手軽にテレビが見られる環境」を用意してみたかっただけである。
テレビなんか見なくてもかまわないし、実際これまでだって見られなくて困ったこともないが、一緒に仕事をしているIくんがPCでワンセグを見ている様を見て刺激された次第である。
「私も欲しい」
まるで子どもだ。

ヨドバシカメラでチューナーを買い、出社して早速セッティングしてみる。
すぐに電波は受信され、快適な視聴環境が出現した。
「おお、簡単に映るものだな。やぁ便利便利」
文明開化である。
開化はしたものの、これで欲求は100パーセント達成されてしまった。
「欲しかっただけ」なのだから。
見るものなんて別にないのが少々残念だ。
折角買ったので、夕方のニュースでも見ようとソフトを起動すると、電波は良好に受信され、こちらの希望通りに番組が映し出されるが、私の口から出たのこんな独り言。
「……くだらねぇ…」
ウェブで動画ニュースでも見た方が、くだらない「雑音」がないだけまだましだ。
これじゃ不愉快を高じさせるためにお金を使ったようなものではないか。

22時から、先に記した「宮崎駿〜「ポニョ」密着300日」を見てみる。
先日、ジブリの鈴木敏夫プロデューサーの『仕事道楽』(岩波新書)を読んだところ、これがたいへん面白く、続けて『映画道楽』(ぴあ)も読んでみた。プロデューサーの視座というか考え方が興味深く、巨匠たちのエピソードも示唆に富んでいて面白い。
私はこういう考えの人間である。
「年寄りの話は聞いておくものだ」
そういう背景もあって、この番組である。
実にテレビ番組らしい「手口」がひどく鼻につくが、画面からは巨匠の真摯にして誠実、かつエネルギッシュな仕事ぶりが窺える。
私も少しは見習わなくてはいけないと恥じ入ることしきり。
ジブリさんに足を踏み入れたことはないが、アニメーションの制作現場はいずこも似たようなもので、お馴染みの風景だと思って見ていたら、どこかで見た顔が出てきた。
叱られていた。
罵倒されていると言った方が適切だろう。
巨匠はスタッフを怒ることにおいてもやはり真摯にして誠実、かつエネルギッシュである。
私も少しは見習わなくては……とは全然思わない。
NHKの全国ネット、プライムタイムの視聴率も高そうな番組で、あれだけ罵倒された方はちょっと気の毒な気もする。
テレビ的には巨匠の仕事ぶりを描く上ではたいへん「おいしい場面」だったろうけど。

たまにはテレビも見てみるものだ。
普段は目にすることもない新聞のテレビ欄を眺めてみる。
さてさて、今日は何があるのかな……と。
案の定だ。
見るもんないや。

鶴居ました

先週の土曜日(6/14)から二泊三日で北海道に行っていた。釧路市から車で40分ほど内陸に入ったところにある鶴居村。
http://www.vill.tsurui.lg.jp/
ここにある母方の祖父母の墓参りを兼ねた、親戚の集まりに参加するためである。
去年は両親の金婚式を記念して阿寒湖に行った。同じメンバーで今年は鶴居。名目は何でもいい、というわけではないが子供の頃からお世話になっている馴染み深い親戚と顔を合わせるのは嬉しいものだ。

羽田空港でチェックインして、お土産物を買い、蕎麦屋で親子丼セットをビールで流し込んで、12時45分のJALで釧路へ。
土曜日の東京の予想最高気温は28℃、一方釧路のそれは13℃。あまりの気温の落差に持参する衣服の選択に少々困るほどだ。実際、釧路空港に降りた途端に寒さを感じる。もっとも、私は暑いのは苦手なので心地よいくらいだ。
以前にも紹介したが、さびれ行く故郷、釧路のキャッチコピー「くしろよろしく」も空港で小さく出迎えてくれており、「寒さ」も一塩である。
私が高校を卒業した釧路市は、かつて20万人を擁した人口もすでに20万台を割り込み、高校などの統廃合も進み、景気のいい話とは無縁のシャッター街が広がり始めている。悲しいことだ。
だが近郊にある鶴居村は、2500人前後とはいえ人口は横ばいを維持しているとのことで、福祉や公共施設も充実した地域だそうだ。ウィキペディアによると、「農業所得が極めて高く、農業従事者一人あたりの平均年収額は全国一位」だそうだ。喜ばしいことだ。

私が鶴居村を訪れたのは、おそらく四半世紀ぶりになると思うが、鶴居村は驚くほど豊かに整備された、小綺麗な街並みであった。「行き届いた地域」という印象である。

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私が主に鶴居村を訪れたのは小学生の頃。毎年の夏休み、1週間近く親戚の家に泊めてもらい、同じ年頃の親戚の子どもたちとクワガタなどの虫取りに熱中したものである。私はたいへん虫取りが好きな子どもであった。カエルもだ。
母方の兄弟は8人、母は下から2番目。数多いいとこの中で、私は下から2番目となり、年の離れたいとこは私の母とさして変わらない年齢になる。だから、昔一緒に虫取りや花火を楽しんだ親戚というのは、いとこの子どもということになる。少子化の中で育ってきた人には考えられない状況かもしれない。
釧路空港には、鶴居に住むいとこがわざわざ車で迎えに来てくれた。もう70歳を過ぎたいとこであるので、少々呼称に困る。「おじさん」というに相応しい外見であるが、あきらかにいとこである。親戚筋からは「〜ちゃん」と呼ばれているが、だからといって弱輩者の私が同じく呼ぶのも気が引ける。何しろ、子どもの頃、鶴居を訪れた際に泊めてもらい、世話してもらったのはこのいとこの家なのである。
このいとこは親戚筋だけでなく地元でもたいへん人望に厚い方で、まことに心遣いが細やかで人柄も素晴らしい。いとこの端くれとしてせめて見習いたいものである。

いとこの車で鶴居に向かう途中、少し回り道をして「丹頂鶴自然公園」に案内してもらう。ちなみに「鶴になった男」としても知られるここの名誉園長は、少し離れた親戚である。
園内には20羽近い成鳥と、先月末に生まれたヒナ4羽を見ることが出来た。親鳥の後を覚束ない足取りで追いかけるヒナは「めんこい」ものである。

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園内のそこかしこに、丹頂鶴に関するちょっとしたクイズが備えてあってなかなかに楽しい。このクイズで知ったのだが、丹頂鶴の大きな特徴である頭頂部の赤色部分は、赤い羽根ではなく、地肌だそうだ。一瞬、羽を全部むしると全身真っ赤なのかと想像したが、まさかそんなことはあるまい。

鶴居村にある「グリーンパークつるい」に宿泊する。
http://www2.ocn.ne.jp/~gptsurui/
元々はかの悪名高き「社保庁」によって作られた温泉保養施設らしい。鶴居村の規模に対して少々不似合いなほど立派な施設にも思えるが、ここは珍しく黒字経営だったとか。現在運営は民間にゆだねられているとのこと。
社保庁運営当時は、食事のメニューは一種類しかなかったそうで、お客は何日宿泊しようが同じ献立に付き合わされたらしい。たいへんお役所仕事らしいエピソードである。現在は無論そんなことはない。
ここの食事は、語弊があるかもしれないが「普通に美味しい」。当たり前の物がごく当たり前に美味しいのである。これはたいへん素晴らしいことである。
ご飯にしろおかずにしろ、余計な手間をかけていないので、何というか「上等な家庭料理」のような印象。初日に出された「時鮭」はたいへん美味であった。
「グリーンパークつるい」は温泉の質といい、料理や館内施設、隣接するレジャー施設も合わせてたいへん快適である。スタッフもたいへん親切で応対も気持ちよく、宿泊料金も安いので、多くの方に利用されることを期待したい。

うちの親戚一行は、うちの両親や母方の姉弟が3人、いとこが一人、それと家内と私で、計8人。半分は後期高齢者である。
近頃話題の「後期高齢者医療」や「地方格差」の問題がひどく身近に思えてくる。東京で暮らしていて、年金暮らしの老人や過疎化する地方は脳内のスクリーンにイメージとして投影されることはあっても、そこに実感が伴うような質感はない。今回のような経験は現実的な想像力を賦活してくれる。
さらにもう一つたいへん有意義な体験をさせてもらった。牧場を見学してきたのである。ここでも近頃の大問題である燃料費や飼料の高騰による皺寄せを身近に考えるきっかけを与えてもらった。と同時に、酪農という仕事の迫力をわずかばかりではあるが間近に見せてもらった。

鶴居の地元にいる親戚、すべて私にはいとこになる人たちが宿泊所を訪ねてきてくれて歓談した際のこと。うちの一人が牧場を経営しており、翌日見学させてもらうことになった。滅多にない機会だ。是非にとお願いする。
翌日曜日、普段の生活では考えられないような早起きをする。といっても7時だが。この日訪れる牧場では、起床は3時半だとか。普段の生活なら私が寝る時間に起き出して働くのかと思うと、地理的な距離よりも遥かな隔たりを感じてしまう。
朝風呂を浴びて、食堂に行くと他の方々はすでに朝食を済ませている。東京に住むやくざな水商売者らしく、遅めの朝食をいただく。といっても8時に食べているのだから、うちにとってはものすごく健康風な時間帯なのだが。
朝食で印象的だったのは、地元で取れた絞りたての牛乳である。美味い。びっくりするほど味が濃く、実に牛乳らしい味のする牛乳だ。そのまま飲んでもたいへん美味しいが、これに濃いめに入れたコーヒーを混ぜ、カフェオレにしたらさぞや美味しかろう。という目論見は悪くなかったのだが、いかんせん食堂のコーヒーは甚だ薄い。グリーンパークさん、コーヒーだけはもう少し濃くした方がいいですよ。

食後、今回一番の目的である先祖の墓参を済ませる。納骨堂にある親戚にも手を合わせる。
お墓参りが終わっても、まだ10時である。普段の生活ならようやく起き出そうかという頃合いだ。しかし、田舎には早起きが似合いである。長い一日になりそうだ。
見学させてもらう牧場で「搾乳」が始まるのが15時過ぎ、ということだったので、それまでの時間をグリーンパークに隣接する遊戯施設で「パットゴルフ」をしたり、焼きそばを食べたりして、実に由緒正しきファミリーレジャーを楽しむ。パットゴルフをするのは初めての経験だ。あれは子どもや老人の遊びとバカにしてはいけない。見るとやるでは大違い。けっこう難しい上に、かなり楽しい遊びである。

さていよいよ牧場。
途中、少々道に迷うが予定の時刻通りに到着する。車を降りると途端に鼻孔を刺激するたいへん「かぐわしい」香りがする。強烈な臭いだ。
よく「ミソもクソも一緒にするな」というが、「ミソとクソを一緒にしたような」香りである。聞いたところによると、これは牛や排泄物の臭いではなく、牛のエサとなる発酵した牧草の放つものだそうだ。臭いはきついが、しかしすぐに慣れてしまった。人間の身体はけっこう融通が利くように出来ているものだ。慣れると平気で深呼吸もしたりなんかして(笑)
「長靴でないと足下汚れるんだけど、男もんの長靴ないんだわぁ。したらこれ被せるかぁい?」
と、流暢な北海道言葉でいとこから渡してもらったのは、いわゆるコンビニ袋。牧場内を見学するにあたって、ビニール袋を靴の上から被せ、ガサガサと音を立てながら歩いて回る。確か同じようなシーンが映画『スナッチ』にもあったことを思い出して妙に愉快な気分になってくる。
黒のスーツに革靴という出で立ちで、両の足下をコンビニ袋で包んでガッサガッサと歩く姿は、いかにも田舎に突然現れたトカイモンという風情で、己の滑稽な姿にさらに愉快になってくる。

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間近に見る牛の何と大きなことか。その体格に相応しく糞も尿もその排泄は豪快である。ボットンボットン、ジャージャーってなもので、牛たちはたいへんリラックスしている様子。
乳牛にとってはリラックスが何より大事で、ストレスがかかると途端に乳量は落ちるのだそうだ。何でもこの牧場は、一頭あたりの乳量がたいへん優秀だそうで、牛糞を発酵させて作られる牛床の効果が大だとか。要するに自分たちの排泄物を乾燥させたものの上で暮らしていると安心するということなのであろう。牛という生き物はたいへんデリケートな神経の持ち主のようだ。
糞尿は牛床の他に、肥料やメタンガスを発生させて発電にも利用されているとのこと。無駄のないシステムだ。

メインイベントである搾乳を見学させてもらう。テレビなどで最近の牧場のハイテク化は多少見知ってはいたが、生で見るとその驚きは格別である。
ゲートが開くと牛たちが待っていたかのように、両側に入ってきてそれぞれの位置に付く。作業する人間の腰が痛くならないように、牛が高い位置に来るよう工夫されている。

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乳首の消毒の後4本一組になったカップが装着される。ここまでは人の手によるが、そこから先は自動で乳が搾られ、乳が出終わると自動的にカップが外れる。絞り終わった後の牛のお乳は先より萎んでいる。考えてみれば、当たり前のことだが実際に目にすると何か感動的である。最後に手作業で、乳首から雑菌が入らないようにするための薬剤を塗布。ゲートが開くと牛たちは整然と帰って行き、次の牛たちが入ってくる。見事なものだ。
絞られた牛乳はパイプを通って、温度を下げられ濾過されてタンクに溜められる。この牧場では早朝と午後の2回の搾乳で、11トン!もの牛乳が取れるのだとか。

仔牛たちが集められた牛舎を見せてもらう。めんこい仔牛が数十頭いる。

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真っ黒な出で立ちで上背のある私に驚いたのか、あるいは私の腹黒さを本能的に感じ取ったのか、私を目にした途端、仔牛たち数頭が動揺して遠巻きにこちらを眺める。びびらせてすまない。
ここでも機械化は進んでおり、仔牛たちの首にはICタグが付けられ、授乳量をコントロールしている。授乳の機械は、仔牛が来ると自動的に人口の乳首が出てきて乳が供給される仕組みになっている。
その際、授乳機の近くにあるセンサーがタグを読み取り、同じ仔牛が続けて何度も飲めないようになっているらしい。メカニズムそのものより、その考え方と工夫に感心する。

さらに驚いたのは牧草を刈り取ったり、収穫したりするトラクターなどの大型機械。一台3千万だの1千万という景気のいい数字が聞こえる。

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こういうメカを間近に見ると、私はついつい能天気に思ってしまう。
「わ!かっこいい」
運転席に座らせてもらったが、さながらアニメに出てくるメカの操縦席みたいだ。そんなイメージしか出てこないのは、情けない想像力のせいか、職業柄か。ふと見上げると、運転席にはちゃんとカーオーディオも装備されていた。農作業にはどんなBGMが相応しいのだろう?

こうしたメカ……もとい、農業機械は高価なローンを払い終わる頃にはマシンも古くなってしまい、結局はローンが続くことになるらしいが、少ない人手で多数の牛の世話をするには不可欠なのであろう。
この牧場では牛が7〜800頭おり、世話をしているのは13人。機械化が進んでいるとはいえ、見るからにたいへんな仕事で私にはとても想像できないような労力や苦労、工夫などがあるのだろう。アニメの仕事が楽だとは思わないが、しかし酪農に比べて考えると、何だか申し訳ない気がしてくる。
せめてこれからは心して牛乳をいただくことにしよう。
みなさん、牛乳を飲みましょう。

月曜日は宿泊施設の規定に従い、10時にはチェックアウトして、再びパットゴルフ。昨日の雪辱を果たすべくチャレンジするが、狙えば狙うほどボールは言うことを聞かず、成績は悪化。ち。いつの日かまたチャレンジしよう。
いとこの車で空港まで送ってもらう途中、ちょっと時間が早いので郷土資料館に寄ってもらい見学する。おお、何と立派な施設か。
図書館や映写室、学童保育所なども併設されたたいへん立派できれいな建物。鶴居村開拓の歴史や鶴の生態などが分かりやすく展示してある。
過疎村だというが、鶴居村は道路や公共施設などのハード面はもちろんだが、何より「手入れ」が行き届いている印象がとても好ましい。
今度は出来れば寒い時期、丹頂鶴がこの村を訪れる時期に訪ねてみたいものだ。鶴がいてこそ鶴居の名に相応しかろう。

この一週間

特に書きたいようなこともないので更新がとぎれている。

先週の日曜日はこの本で笑わせてもらった。
『「ニッポン社会」入門 英国人記者の抱腹レポート』コリン・ジョイス 著・谷岡健彦 訳(生活人新書-NHK出版/¥700+税)
日本の「当たり前」を再認識させてくれながら、大いに笑わせてくれる一冊。
帯の表には「日本で暮らすならこれだけは覚えておこう」という項目が列挙されている。
「歌舞伎は歌舞伎町ではやっていない」
「「納豆は平気ですか」と30回は聞かれる」
「電車が遅れていると思う前に、君の時計を疑え」……
帯裏には「こうなれば君は、日本で暮らしていける」として、
「電話を切るとき、思わずお辞儀をしてしまう」
「ゴミの分別に、異常に執着してしまう」
「シャツにプリントされたヘンな英語を読まなくなる」
「マスクを着けた人と笑わずに会話できるようになる」
「居酒屋で「お通し」が出てくると、ホッとする」……
日本人はそれが日本人や外国人が書いたものであろうと「日本人論」を好むそうだが、自国民について語ること語られることにそれほど熱心なのは日本人くらいだとも聞いたことがある。
「他の人からはどう見えるのか」を気にする文化は、それを気にしない文化より危険は少ないと思う。

夜は、プロデューサーから借りて、DVDで劇団☆新感線『吉原御免状』を見る。新感線のイメージからすると、笑いがほとんどなかったのは意外だったが、これは慶一郎の原作イメージを尊重したためであろうか。
たいへん豪華な舞台で面白く見る。何よりセットが素晴らしく、場面転換一つも大きな見せ物になっている。
話はたいへん原作に忠実なようで、原作終盤の決闘は割愛されているが、全体のボリュームや話の煩雑さを考えると、良い判断に思われる。

この日、入浴中に内田勝さんの訃報を知る。ちょうど、冒頭に紹介した本に笑いながら湯船に浸かっていたときに、家内から知らされた。
「笑い」のモードが突然の不幸の知らせによってキャンセルされたせいか、意識が変に「平衡状態」になってしまい、ぼんやりとした反応しか出来なくなってしまった。
悲しいのは勿論悲しいし、驚きもするのだが、かねてから肺癌だったことは知っていたので、近い将来「そういうこと」もあるかもしれないとは思っていたせいもあるだろう。
3月にお会いして、浅草で美味しい野鳥料理をいただいたときのお声や笑顔がありありと浮かぶ一方で、その内田さんがお亡くなりになったということがどうもうまく認識出来ない。

月曜日、期限切れになったパスポートを申請しに立川に行ったついでに、お通夜に来て行くYシャツを買う。「御霊前」やYシャツを準備したり、お通夜のある斎場への経路を確認しながらも、それらが内田さんとどうにも結びつかない。まるで実感がない。

火曜日、レギュラーのムサビのゼミへ。家を出るのが遅くなり、雨ということもあって、楽して国分寺からタクシーを使う。
ゼミでは主に映画ネタを中心に雑談風にあれこれ喋り、後半は卒業制作の様子を話してもらう。
ゼミ修了後、トイレで着替えてお通夜へ。ムサビの最寄り駅である西武国分寺線「鷹の台」から、西武線を乗り継いで池袋線「江古田」まで。予定より30分も早く着いたので、駅前の喫茶店で軽く腹ごしらえしておく。サンドイッチをつまみながら、携帯していた本、『いきなりはじめる仏教生活』(釈徹宗・著/basilico)を読了。お通夜の前に読み終わるには似合っていたかもしれない。
斎場前で、マッドハウスの方々、家内と合流。ソニー・ピクチャーズのプロデューサー氏に案内してもらい、受付を済ませる。
各業界から届けられた花の数は200近くにもなったそうで、内田さんの多大な業績を改めて思い知らされる。参列者の数は大変多く、中には、荒俣宏さんやちばてつや先生、藤子A不二雄先生の姿も見える。
6列になってご焼香を待ちながら、わずか半年ばかりの短いお付き合いだったものの、その間にいただいた多くのお言葉やお人柄を思い起こす。
内田さんの遺影がとても素敵である。どなたかの話をにこやかに受けて、今にも何か話し出しそうな様子。
ごゆっくりお休みください、内田さん。

水曜日。買い溜めしておいた本の一冊『別役実のコント教室』を読み始めたら、これが滅法面白い。あまりに面白いので、出社途中に本屋に寄って『別役実の演劇教室 舞台を遊ぶ』も購入。こちらもたいへん面白く、夕方には2冊とも読み終えてしまう。ちょっと勿体ない。
前者は劇作に関して、後者は主に初歩的な舞台演出に関する本、とでも言えばいいだろうか。
ゼミ生たちの参考にもなるかと思い、前者はメーリングリストで紹介しておく。以下はその文面から引用。

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『別役実のコント教室 不条理な笑いへのレッスン』
(白水社/¥1700+税)
別役実は「日本の不条理演劇を確立した第一人者」で、今年71歳になられる劇作家・演出家です。私はその舞台を見たことはないのですが、この本をとても興味深い内容でした。
2001年、7日間にわたって行われた「劇作セミナー」を単行本化したもので、参加者が提出した短い不条理劇の台本を具体的に批評しながら、アイディアの展開や会話の作り方について紹介しています。
帯にはこうあります。
「劇作家・脚本家・放送作家になりたい人はもちろん、“ウケる技術”を身につけたい人のための短期集中講座。」
その通りの内容だと思います。「不条理」「コント」「笑い」を前提にしていますが、この本で紹介されていることはそれらに限らず、広く作劇の参考になるはずです。
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もう一冊『別役実の演劇教室 舞台を遊ぶ』(白水社/¥1800+税)はメーリングリストでは紹介しなかったが、舞台演出のみならず、アニメーションの演出や、レイアウトにも応用できる考え方がたいへん分かりやすく紹介されている。これまで漠然とではあるが演出上意識していたことが、たいへん簡潔な言葉で書かれており、たいへん刺激になる。アニメーターや演出志望の人にもお薦めしたい一冊。
著者の人柄や文章も面白く、「鉱脈」を発見した気がする(いまさらかよ、と言われるだろうが)。

木曜日と金曜日、鉱脈をたどるべく本屋を渉猟し、別役実の本を数冊購入。まるごと一冊冗談で書かれた『道具づくし』に大笑いする。
本ばかりでなく、最近は映画を見たい欲求も強いので、この二日間で20枚ほどDVDを購入する。見るのが追いつかない気もするが、見たいときに選択肢が多いのは豊かであろう。

映画『キングダム−見えざる敵』を早速見てみる。
わ。これは面白い。たいへんスピーディな展開と細かいカット割りに、晩酌をしながら見ているのでは目が付いていかず(笑)、腰を据えて本格的に見始める。
この映画も以前町山智浩さんのポッドキャスト『アメリカ映画特電』で紹介されていて、「楽しめるだろう」とは期待はしていたのだが、それ以上に楽しめる傑作であった。
銃撃や爆発シーンなどの派手な場面もさることながら、話の展開も面白く見られるし、扱われるテーマも奥行きがある。コンパクトかつタイトに作られた締まりのある映画だと思う。
いい買い物をした。

昨日、土曜日は掲示板でも話題になった『DAWN OF THE DEAD』を見る。店頭には同じタイトルで「アメリカ公開版」「ディレクターズ・カット版」「ダリオ・アルジェント編集版」の3種が並んでいた。
「……いい加減にしろよな」
「アメリカ公開版」を見るのが正しい態度だと思いつつも、つい一番長尺の「ディレクターズ・カット版」を買った。
私にとっては、ほぼ初めて見るといってもいい正統なゾンビ映画かもしれない。
肉を食らうシーンなどは晩酌のお供にはちょっと不向きであったが(笑)、妙に陽気な音楽と陰惨な映像の対比も面白く、物質文明に対する風刺が効いていて楽しんで見られた。1978年に作られたそうだが、その後のゾンビ映画の基本となりそうなアイディアが出揃っているし、なるほど傑作と言われるのも頷ける。
これまでどうもゾンビものは苦手であったが、たまにはいいかもしれない。何だか土曜日の夜には似合うような気がする。
一週間の仕事で疲れた「頭を吹き飛ばして」もらえるような気がするからだろうか(笑)

1勝2敗

火曜日はレギュラーのムサビ映像学科ゼミ。
毎度雑談が長くなるが、学生たちには雑談からこそ「考え方」の断片を拾い集めて欲しいものである。どの断片を拾って組み立てるかは人それぞれ。
学問としては少々無責任な伝え方だとも思うし、もう少し体系立てて準備をした方がいいとは思いつつも、私もそうやって学んできたし、それはそれでたいへんけっこうなことだったと思っている。
私にとってもっとも勉強になった雑談の場所は飲み屋である。飲み屋でなくても酒とともに必要なことは摂取してきた。ということで、ゼミ生たちとそういう「場」を作ってみることにした。
つまりは一緒に飲む、と。
課外ゼミは鷹の台駅前商店街にある「風神亭」。17時半の開店早々陣取って10名ほどで歓談。
映画からアニメから学校や業界話まで交えてたいへん楽しい時間を過ごさせてもらう。
ゼミが毎度飲み屋でだったらいいのに(笑)

最近、ゼミ生たちや制作スタッフと映画の話をする機会が多いせいか、映画を見るのがやけに楽しい。たいへんいい刺激になっている。
とても面白い映画とガッカリした映画とものすごく腹立たしい映画を見た。
見た順で書くと不愉快になるので、腹立たしいほうから。
先日買ったDVD『STOMPの愛しの掃除機』を見たら、あまりに何もなくて腹が立った。うちのテレビじゃなければ破壊したくなるほどだった。
どう間違って作ったところでそれなりの見世物になるはずのものが何にもなっていない。ウソだろ?
「STOMP」はイギリスのストリート生まれのパフォーマンスで、ゴミバケツやデッキブラシ、新聞紙や掃除機など、身の回りのものでリズムを作り出す。そのパフォーマンスは時に強烈で時にユーモアに溢れている。
日本のCMでも使われていたし、長編アニメーション『ベルヴィル・ランデブー』でも「まんま」取り入れられていたのでご存知の方も多かろう。
私は5年ほど前にニューヨークのオフ・ブロードウェイで公演を「体験」した。セリフは一切ないので100パーセント楽しめた。打ち鳴らされる「打楽器」の震動が場内を震わせ、痺れるほどの体験であった。客席の子どもたちが異様にテンションが上がっていたのも印象的だった。子どもでも、というより子どもの方がなおのこと楽しめるのかもしれない。
そんな「誰が見ても楽しい」パフォーマンスを大々的に取り入れていながら、映画『STOMPの愛しの掃除機』は「誰が見ても面白くない」といってもいいほど面白くない。こうしてキーボードを叩いていても怒りが甦ってくる。
どんなにつまらない映画だって私はそんなことを書いたりしない。しかし、さすがにこれには腹が立った。折角のいいものがなぜこんなことになってしまうのか。義憤に近い思いだ。
一体、この映画は何を見せようとしているのだろう。
「つまらないストーリーなんかどうでもいいんだよ、STOMPのパフォーマンスをもっと見せなさい!」
感想はそれだけだ。
金銭もさることながら時間がもったいなかった。何より素晴らしいものをダメにしか出来ない「作り」に腹が立った。

『バタフライ・エフェクト2』も見る。これは貰ったDVDである。晩酌のお供にしてみた。
一作目の『バタフライ・エフェクト』は、制作者の才気溢れる映画だった。見ている最中、素直にこう思った。
「これ、どうやって終わるんだ?」
お話がどう転がっていくのか予想がつかないと、ドキドキする。スリルやサスペンスによって「ハラハラドキドキ」することはあるが、しかしたいていは先の読める「ハラハラドキドキ」である。
「どうせ主人公が死ぬことはない」
そう思って見ているから、安心しながら「ハラハラドキドキ」するものだが、『バタフライ・エフェクト』は安心できない「ハラハラドキドキ」であり、その分、先の展開が気になるし最後まで「どうなるのか」が楽しめる映画だった。
そして『2』だが、これはある意味「昔ながらの『2』らしい」映画といえようか。ガッカリした、というより「多分そうなんじゃないか」と思っていたが、それ以上に一作目の遺伝子が薄くなっている。この映画こそ、企画や脚本の時点に立ち戻って、「あったかもしれない別の可能性を選択」して欲しかった。

とても面白かった映画は『ショーン・オブ・ザ・デッド』。プロデューサーのMくんからDVDを借りた。
これは面白い。大笑い。実に愉快なゾンビ映画だった。
これも町山智浩さんのポッドキャスト『アメリカ映画特電』、「第30回 『ホット・ファズ』は田舎の駐在さん版ダイ・ハード! 」で紹介されていて、以来是非見たいと思っていた。
Amazonの商品説明によると、「英国産のホラー・ロマコメ。ゾンビのようにドンヨリとした表情で通勤する人々を描くなど、英国らしいシニカルな風刺がタップリ詰まった作品」
ユーモア溢れるゾンビやゾンビ撃退の描写が何より笑えるが、主人公の成長物語という体裁がきちんと整っているところが気持ちよい。西洋の成長物語はやはり何と言っても「父殺し」が必要であろうし(象徴的な意味での「父殺し」だが、この映画においては必ずしも象徴的ではないし(笑)、「母殺し」まで盛り込まれている)、神話には定番の「ドラゴン(=ゾンビ)退治」がなければ「美女の獲得」はないのである。
ゾンビ映画のパロディであっても、基本的な構造が抑えられているのでパロディに終わらない、独立した一本の映画になっている。
監督のエドガー・ライト 、主演のサイモン・ペグのコンビによる新作『ホット・ファズ』がいよいよもって楽しみである。

先週の雑食

ブログの更新が滞っている。
新作のシナリオのことで余裕が失われているのであろう。
その割に、先週はわずかな時間を見つけてはまめに読書をしたり映画を見たりするようにしていた。どうやら脳が刺激と知識を求めているらしい。
先週はDVDを6枚ほど購入。
近頃は新作でなければ値段も安く気軽に買える。新作でも映画館に見に行くことを考えると高くはない。
先日見た『ロイ・ビーン』のシナリオがジョン・ミリアスだったということで、そのミリアスつながりで『若き勇者たち』(監督ジョン・ミリアス 1984)を見返したいと思っていた。
セール品で出ていた同作を発見。スクィーズ版ではないところを見ると随分古くにリリースされたものだろうか。
私はDVDも本も、どうも「一枚だけ」「一冊だけ」という買い方が出来ない。必ず複数を買わないと気が済まない。欲しいものが複数見つからないときは、欲しい一つさえ棚に戻すことがある。一体、どういう性分なんだろう。
買うべき一枚が見つかったら、「相方」を探す。この日は他に『ショートカッツ』『恐怖の報酬』『スラップショット』、未見のものでは『STOMPの愛しの掃除機』、新作も一枚くらいということで『パンズ・ラビリンス』。
ロバート・アルトマン監督の『ショートカッツ』はDVDがリリースされていたのを知らなかった。ずっと見返したいと思っていたのでたいへん嬉しい。
『サイレント・ランニング』も探していたのだが見つからず、他の店でようやく見つける。
買うばかりで見ないのでは勿体ないので、早速『若き勇者たち』を見てみる。
シナリオの都合で少々「戦争」(というか戦闘)の気分を味わいたかったのである。ソ連とキューバの共産軍がいきなりアメリカに侵略、田舎の高校生たちが山にこもってゲリラ戦を繰り広げるという「ムチャクチャ」な映画だが、懐かしさもあって楽しめる。

翌日は、先週購入しておいた『愛が微笑むとき』(1993)を見る。ひどい邦題だが、中味はたいへんよくできた映画だ。原題は『Heart and Souls』。以前、ケーブルテレビでかかっていたのをたまたま見始めたら、面白くて最後まで見てしまった。4人のゴーストが、それぞれ生前に果たせなかった思いを、一人の青年の肉体を借りて成就しようというファンタジー。
こんな言葉を使うのは恥ずかしいが、いわば「ハートフルファンタスティックコメディ」といったところ。名作『天国から来たチャンピオン』『キスミー・グッバイ』と同じ系列に属することになろうか。
オリジナルのシネスコサイズで見るのは初めて。同じ画面に、主人公の青年と彼に取り憑いている4人が入り込むことが多いが、シネスコ画面を上手く使って収めている。監督は『トレマーズ』のロン・アンダーウッド。ベタつかない演出が心地よい。たいへんいい映画であった。
『サイレント・ランニング』(監督ダグラス・トランブル・1972)は、映画としてはあまり面白いものではないが、やはりアイディアが魅力的。宇宙に浮かぶバイオスフィアみたいな空間で一体のロボットがずーっと植物を育て続ける……ラストシーンが印象的である。
一緒に見ていた家内曰く。
「これって、『天上の城ラピュタ』だ!」
「天空」だってば(笑)

ケーブルテレビでかかっていた『バベル』(監督アレハンドロ・ゴンサレス・イニャリトゥ・2006)も見る。う〜ん……くどい。映像の文体が私にとってはあまりにくどい、くどすぎる。じっくり描くというよりは、キレが悪くぐずぐずと長いように思える。無駄と思えるカットも多く、途中ですっかり飽きてしまった。
個々のエピソードも、一つ一つ見ればそうでもないのだが、無理が気になる。タイトルの通り「言葉が通じない」ことによって生まれる悲劇、そのプロセスに少々無理があるのではないか。一つずつならそれほど大きな無理ではないのかもしれないが、それらの蓄積がリアリティを遠ざけてしまうように感じられる。
特に日本が舞台となるエピソードに全然リアリティが感じられなかったせいもあり、他のエピソードも同様なのではないかと思えてくる。世界各所でのエピソードが相互に少しずつ関係しているという考え方はたいへん面白いので(『ショートカッツ』を連想させる)、残念である。

先週読んだ本は『グリム童話集2−完訳版』『読書力』『鼓笛隊の襲来』『子どもの社会力』『思春期をめぐる冒険−心理療法と村上春樹の世界』『グリム童話の世界−ヨーロッパ文化の深層へ』『髑髏城の七人』『聖書の論理が地球を動かす』。
ムサビのゼミ生たちが、あまり本を読まないということだったので「読書についての本」を探していた。『部下の仕事はなぜ遅いのか』(日垣隆・著)の中で『読書力』が紹介されていたので読んでみる。ついでに火曜日のゼミでも紹介する。
『鼓笛隊の襲来』(三崎亜記・著)は私のセレクトではなく、仕事仲間からのご紹介。
「(古本屋に)売っちゃいますけど、読みます?」
ということで借りて一時間ほどで読み終わる。「不思議テイスト」の短編集。2本ほどなかなか面白いものがあるが、私にはどうも「アルコールが薄い」。

木曜からレギュラーの神戸出張があり、お供に『思春期をめぐる冒険−心理療法と村上春樹の世界』(岩宮恵子・著 新潮文庫)と『グリム童話の世界−ヨーロッパ文化の深層へ』(高橋義人・著 岩波新書)の2冊。旅の供には持ち歩くのに負担が少ない文庫や新書が望ましい。
心理療法家の著者が、実際の治療現場と村上春樹の著作を対照させながら読み解く『思春期をめぐる冒険−心理療法と村上春樹の世界』。たいへん面白い。小説の解釈も興味深いが、紹介される心理療法の実例がこれまた劇的である。
アートカレッジ神戸の生徒やムサビのゼミ生たち、思春期の若者(といっても良かろう)と接することが多いので、あれこれ考えさせられる。
アートカレッジ神戸アニメ学科1年生が提出してきた課題には、濃厚に無意識が表出していると思われるアイディアや画像も多く、ちょうどこの本を読んでいたので尚のことハッとさせられる。

先々週『ディズニーの魔法』という、ディズニー長編とその原作を対比させた読み解きが面白かったので、『グリム童話の世界−ヨーロッパ文化の深層へ』も興味深く読む。メルヘンの背後に沈んでいる神話的紀元やキリスト教によって変形させられた土着の信仰、グリムが加えたであろう改作部分の推理や検証が面白い。

帰りの新幹線で読むものがなくなってしまったので、新神戸の売店で中島かずきの『髑髏城の七人』(講談社文庫)を買う。10年程前くらいに劇団☆新感線の公演(芳本美代子がヒロインだったはず)も一度見ており、ビデオも持っている。
ストーリーはすっかり忘れていたので、物語も再度楽しめる。随所に慶一郎へのリスペクトを感じる。残念ながら見ていないが劇団☆新感線で慶一郎の名作『吉原御免状』も舞台化したと聞いているので、よほどお好きなのだろう。私も一昨年だったか一時期、慶一郎をまとめて読んだ。『吉原御免状』『かくれさと苦界行』はそれ以前に読んでいたが、改めて読み直し、他の未完の作品も含めて、すべて読んだ。『鬼麿斬人剣』がたいへん印象的であった。Wikipediaによると、この作品はテレビドラマ化、漫画化もされているとのことだが、アニメーションにも向いていると思われるので、是非どなたか上手な人がアニメ化すればかなり良いものになるのではなかろうか。

『聖書の論理が地球を動かす』(鹿嶋春平太・著 新潮選書)も面白く読む。「BOOK」データベースによると「日本はなぜ孤立するのか。西洋の行動原理の底流をなす聖書の論理体系。日本人のキリスト教理解をくつがえす驚異の書」ということだが、私は序章と帯の文句に惹かれて購入した。序章「不可解をたどれば聖書の論理」。たいへん魅力的である。帯には「ナットク出来なくても「理解」はしよう」の文句。確かにその通り。読んでいると思い当たる節が多くて興味深い。序章のタイトルの通り、どうにも不可解・理不尽に思える諸々の背景が少しだけでも分かったような気がするが、何より感じたのは次のようなこと。
「日本人で良かった」

娯楽のことより仕事の方はどうなのか。いや、上記の映画も本も別に単なる娯楽として読んでいるわけでもなく、抱えている仕事の直接的な資料というわけではないが、「側面支援」の意味がある。はず。
そのおかげかどうかはともかく、週いっぱいで新作のシナリオの一稿がほぼ終了。このテキストを週明けにシナリオ形式にして、なんとか脱稿した。
さあ、これから直しだ。